日本の技術のすごさ
  明石海峡大橋は耐用命数2百年をめざす 


阪神淡路大震災に耐えた大橋の基礎部

 阪神淡路大震災の震源地は、明石海峡大橋から1kmしか離れていなかった。
1995年1月17日、海峡付近の深さ10〜20kmを震源とするマグニチュード7.2の大地震で、神戸市内の高速道路が横倒しになり、多くの家屋・ビルが倒れ、電気・ガス・水道等のインフラが寸断された。

 その時、大橋は建設の途上だった。
主塔が立ち上げられ、ケーブルアンカーが架けられ、橋桁を架けるための準備が行われていた。

 発災直後の目視点検では、完成した構造物に損傷はなかった。
しかし本橋のすぐ南西にある野島断層の変動が確認され、主塔を支える基礎部への直接的影響が予想された。

 光波測量等の結果、2基ある主塔の神戸側基礎は1.3m東にずれ、淡路側基礎は1.4m西にずれていた。
それにより、中央支間長が1990mから0.8mに伸び、淡路側の側支間が960mから0.3mに伸びていることが判明した。
GPSによる測量でも、橋の全長が1.1m伸びており、基礎部のずれが光波測量と一致していると確認された。

 その後、国と地理院が行った測量の成果、淡路島北部〜舞子にかけては地形そのものが50〜100cm動いたと確認された。本橋の基礎部は、それを設置した地盤そのものが動いたため、変位が生じたのである。

 こうした変化が、橋の構造に及ぼす影響と結果について、@橋の全長が長くなったため、ケーブルの高さが上昇した。
A基礎部の変位に伴い、中央径間で約1.3m、側径間で約0.3cm持ち上がった。B径間長の拡大に伴い、ケーブル張力が若干大きくなった(それでも許容張力以下)。C主塔基礎の位置のずれにより橋梁にひずみが生ずるが、それはわずかで問題ない。D径間長の1m増加は、これから製作する桁のパネルの調整で補うことが可能。

 このように、巨大地震による本橋への被害は軽微で、設計変更は不要と判断された。
主塔を繋いでいるケーブルが衝撃を吸収したとも言われている。
完成までおおむね計画通りに進んだ工事において、この地震は最大の試練だったとされる。
しかし基本設計と構造は、それを見事に克服したことを改めて証明する結果をもたらした。

          

「深い、速い、柔らかい、長い」克服

 神戸・舞子と淡路島・津名郡との間に架かる橋長3911.1m、中央支間長1990.8mの明石海峡大橋は、10年の歳月をかけ、世界一とされる英国ハンバー橋(中央支間1410m)を凌ぐ世界最大の吊橋である(2013年2月現在)。

 本四架橋3ルートの中でも最大の難工事といわれ、児島〜坂出ルート、尾道〜今治ルートを含む架橋建設を可能にするため、ここで開発された特許、実用新案は130を超えた。

 この大橋がクリアーしなければならなかった難題は、過去に例がなかった。
海峡の幅は4km。架橋ルート上の最大水深は110m。潮流速度は最大9ノット(毎秒4.5m)。瀬戸大橋の難工事といわれた備讃瀬戸は、幅3.2km、最大潮流5,5ノットである。
さらに、基礎になる硬い花崗岩が海底にあるのは淡路島側だけ。
それ以外は、堆積軟岩の神戸層か、砂礫層の明石層を基礎部の支持地盤にせざるを得ない。

 自然条件の他にも、制約があった。
海峡は古くからの好漁場であり、1日に1400隻もの船舶が航行し、巨大船も通航する国際航路である。
したがって、航路幅1500m+α、海面高65mの桁下空間は常時開放しておく必要がある。
ここから、中央支間長1990.8mという長さがはじき出された。

 このように、「深い、速い、柔らかい」自然条件と、船の航行や漁業を妨げない「長い」支間長をとる必要から、調査の開始から40年もの歳月が架けられた。
しかし2000m級の吊橋になると、耐風安定性が問題になる。
そのため、従来の部分模型ではなく、100分の1の全橋模型(全長40m)を作製し、風洞実験も新施設を作り、各種の試験を繰り返し、毎秒約80mの暴風にも耐えられる上部構造を作り出した。

 この結果、架橋地点から150km離れた太平洋プレートで予想されるマグニチュード8.5の大地震や、架橋地点で予想される地震にも耐えられる設計にした。
そうした悪条件を克服する新技術の一端を、架設工事の順に紹介しよう。

          

深度60mに人工岩盤を作る

 吊橋のケーブルを繋ぎ止めるには重石が必要だが、そのためのコンクリート塊を「アンカレイジ」という。それは、ケーブルを連接する本体部と、それを地球に繋ぎ止める基礎部からなる。

 ところが、神戸側のアンカレイジ場所は、人家や鉄道が海岸に迫っているので(国道2号線から海岸線までわずか50m)、埋め立てして作業場所を設けることから始まった。 
しかし埋立地の本体部だけでは、ケーブルの重さを支え切れない。
そこで、支持地盤となる神戸層まで61m掘り下げ、その層の上にコンクリートで直径85m、深さ63,5m、約60万dもの人工岩盤を築く大工事を実施した。

 基礎部は、地中に円筒形のコンクリートの土留め壁を作り、内側を神戸層まで掘り下げて巨大な「穴」を作る。
その後、この円筒形の「穴」にコンクリートを流し込み、人工岩盤を完成させた。
これは橋梁の基礎部としては世界最大で、関係者が「穴の底」でソフトボール大会を催したほど、大きく、広い地積だった。

 一方、淡路側では支持基盤にできる花崗岩層があったことから、土留め壁による直接基礎工法が撮られた。
本体に使用されたコンクリートは、神戸側で14万立法b、重量で約35万トンに達した。
これは、奈良の大仏1400体と同じ重さだったとされる。


大水深・強潮流下での主塔基礎作業

 主塔の基礎は、塔長から約12万トンの下向きの力を支持地盤に伝える。
これを支えるため、柔らかな海底地層を掘って硬い地盤を露出させ、そこに人工基盤を作る「設置ケーソン工法」が開発された。
ケーソンの大きさは、直径80mで、子供が手をつなぐと2百人もの人数が必要になる。
高さは80mに及び、40階建てのビルに匹敵する。

 作業は、まず海底を平らに掘って支持地盤を露出させ、次にここにケーソン(鋼製の筒)を沈め、内部に水中コンクリートを打ち込んで一気に基礎を完成させる。
これは瀬戸大橋工事で生まれたが、明石海峡では潮流対策に工夫が凝らされた。
海底掘削は、潮流の速い海面に係留したクラブ船から、水深60mの支持地盤を痛めることなく、プラス・マイナス50cmの精度で掘り下げる。深さと潮流と濁りから、人間の潜水作業は不可能である。
そこで無人潜水機などのハイテク機を駆使し、プラス・マイナス10cmという精度を実現した。

 ケーソンそのものも瀬戸大橋より大型とし、形状も安定性が良く沈設作業が容易な丸形に変更した。
製作は造船所で行われ、12隻のタグボートで現地に曳航し、潮止まりを狙って短時間に沈設、平面の設置誤差は5cm以内だったとされる。

 沈設後は、コンクリートのプラント設備を乗せた浮かぶ生コン工場に資材台船を横付けし、3昼夜連続、数十回に分け、一基当たり約30万立法メートルの水中コンクリート(海中でもすぐに固まる水中不分離性)をケーソンに流し込んだ。
とにかく、流れが速い水深60mでの作業であり、沈設の精度が厳しく求められたため、「失敗は許されない」として小豆島で1カ月にわたるリハーサルを行っている。
2か所の主塔基礎作業に4年と3か月を要している。

          

高精度の主塔を海上に建てる

 ケーブルを支える主塔は2本。高さ約300mだから、東京タワーに匹敵する。
だが東京タワーは4本脚で支え、頂上に張力を受けることはない。
海峡の主塔は2本脚であり、約10万トンの下向きの力と自重2万トンの重力を主塔の基礎部に伝える。

 これだけのものを高精度で建てるため、工場で精度よく作った鋼製の部材を現場で積み上げ、ボルトで繋ぐ工法が採られた。
高精度が望まれるのは、両方からの引っ張りに対する対応と、風による曲げ震動・ねじれ震動に対する強度を保つためである。

 一本の主塔は、30段の箱型(各段約10m)に分け、各段は3つに分解したブロックを積み上げた。
架設には、航行の妨げになるクレーン船は用いず、自ら昇降するタワークレーンを用いた。
タワーの垂直精度は、倒れ角度20秒以内。
これは300mの塔柱全高で僅か3cmの倒れに相当する厳しさである。現場は緊張の連続だったとされる。

 こうした精度を確保するため、工場で少し長めに作ったブロックの量端面を、大型精密機械で切削・研磨し、厳密な検査を行った。紙一枚の隙間も許さぬ精度だったとされる。

 また、風による振動、ねじれ振動を軽減するため、主塔の断面形状を十字形にし、空洞のタワー内部に振り子型の制振装置(TMD)を設け、耐風安定性を確保した。

          

強度を高めたケーブル

 ケーブルはまさに吊橋の命綱である。
明石海峡大橋は、127本の素線(ワイヤー)を束ねてストランド(小縄)にし、それを290本束ねてケーブルとしている。
したがって、一本のケーブルは、36830本の素線で構成され、直径120cm。

 この素線は鋼線で、直径5.23mmの高度亜鉛メッキが施され、総延長約30万km、地球7周半の長さに相当した。
ケイ素の含有量を増すことで従来の素線より強度を増し、片方2本必要だったケーブルを1本で済ませた。
その差は、重さで約3万トン、東京タワー7基分に相当するとか。

 ケーブルに採用されたもう一つの新技術は「防錆」法。
海上の吊橋は「塩害による錆」が耐用命数の決め手、吊り下げ重量の低下につながる。
対策として、ケーブルそのものをラバーテープで覆ったうえ、乾燥した空気を内部に送り込み、錆の発生を抑える・耐用命数を伸ばす工夫をしている。
ケーブルへの乾燥風の送風システムは、今もこれからも続けられる。

 もう一つの問題は、約4kmの海峡をいかにしてケーブルを展張するかだった。
海上交通の要衝であるので、航行する船を止めて海上クレーン船で展張することはできない。
そこで、ケーブルの先端に軽い・強い・柔らかいパイロットロープ(直径1cm)をつけ、ヘリで2本の主塔頂を経て対岸まで展張した後、これを引っ張ってケーブルを引き出す方法がとられた。
世界で初めてのヘリによる渡海作業だった。

          

橋桁の架設要領

 最後は橋桁の架設である。
長大橋である大橋が受ける風圧は、既存のどの吊橋より大きいものになる。
そこで橋桁は、風圧を避けるためトラス橋が採用された。
補剛桁には、高張力鋼材を大量に用い、重量の軽減と経済化が図られた。使用された鋼材は、全部で9万トンにのぼる。

 船の航行を妨げないため、架設も工夫がなされた。
工場で大ブロックに組み立てられ、それをクレーン付き台船で現場に運び、先ず主塔及びアンカレイジに一括架設。
その後、中央径間部は組み立てられたブロックをそれぞれの主塔部から押し出す・延ばす方法。
側径間部はアンカレイジ側から押し出し・延ばし、張り出す方法で架設が行われた。

 耐風対策として、橋の中央分離帯下面にスタビライザーと呼ばれる衝立状のプレートが取り付けられている。

          

明石海峡大橋の見学について

 現在、この大橋を徒歩で渡ることや、立ち入りはできない。見学用の設備は併設されていない。
しかし希望者には、身体等の条件を満たせば、完全予約制で見学できる「ブリッジワールド」のツアーが用意されている(電話 078-784-3396)。

 本年4月12日、筆者はこれに参加した。主催は、(財)本州四国連絡高速道路協会。
ツアーは約2時間で、主塔のてっぺんまで昇り、天候が良ければ神戸〜淡路島〜大阪湾を一望できる。
参加資格は保安道を歩くので、高所恐怖症の人や、幼児・高齢者は不可となる。

          

 当日午前の部は、34名の参加者の3分の1が台湾・韓国からの観光客で埋まった。
保安上の観点から、身分証明書の提示が求められる。
また、スタート前に20分間の注意があり、誓約書へのサイン(指示に従わねば負傷等しても責任は負いませんよとの内容)が求められる。更に、上からモノを落とさぬよう(高速道路上の事故防止)にと、イヤリング等は外すよう求められる。
靴も皮底はダメで、運動靴に履き替える必要がある。

 次に、橋の科学館で、橋の構造や技術の説明を受ける。
風洞実験の実物展示、3D映像の説明、写真・パネル等で、わかりやすい。
この間に、「これから約1時間、便所はありませんよ」との警告(?)が繰り返し行われる。

 いよいよツアー出発。網目状の保安道を歩くが、眼下は60m下の海面で、漁船等が行き交っている。
風をさえぎるものが無いので、下からも吹き上げてくる。声が聞き取りにくいので、歩行間の案内人の説明は、個人ごと耳かけレシーバで聴く。韓国語・英語の切り替えもできる。
説明者は、工事にかかわった技術者の退官者だから、ピント外れの質問にも的確に応えてくれた。

 主塔300mの昇降は、保安用のエレベーターで60秒足らず。階段をふうふう言って昇ることはない(本昇降機は、保安検査と非常時に橋上のドライバー等を海上離脱させる用途を兼る)。

 全員に色別ヘルメットの着用が求められ、常に人数チェックが行われる。
頂上で記念撮影が行われ、帰り際に写真がいただける。参加費は3千円。主塔頂上に昇った認定証と、解説CDのお土産付だから、高くはない。
しかもほとんどの参加者は、なるほど、すごいぞと言い合い、スマホで撮った写真を、直ちに母国や郷里に送って自慢し、楽しんでいた。

 車で明石海峡大橋を通って淡路・徳島に出かける方、手前で降りて橋の構造に触れて見るわけにはいかないだろう。
しかし4〜5分間で橋を通過する間に、主塔の高さ300m、ケーブル延長30万km、補鋼桁9万tを確認しつつ、建設時の精度がcmや秒単位だったことを思い出していただければ、日本の技術のすごさを、確認していただけると思う。

 雨の日も風の日も100人余の職員が、命綱をつけてケーブル、橋桁、送風機、ハンガーロープ等の保守・点検を続けている。
耐用命数200年をめざす努力である。
技術は、時空を超えて利用されることで、進歩し、人々に夢と希望を与え続けるのである。
 
参考資料
   本四高速DVD『ブリッジワールド』
   海洋架橋調査会『明石海峡大橋』



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喜田 邦彦
 6 区 隊
 職種:普通科