自衛官候補生とは? 帝国陸軍時代の新たな入営者は、「初年兵」と呼ばれ「2等兵」の階級が与えられた。 現在の新入隊員は、着隊→入隊→「2等陸士」ではない。 防衛大・防衛医大学生、高等工科学校生徒と同様、階級のない「自衛官候補生」という身分である。 最近まで、「新隊員前期」と呼ばれていた3か月の期間は、自衛官になるための「準備期間」へと変更された。 俗な言葉で、「非正規社員」「契約社員」「お試し期間」と言った方が、わかりやすいのかもしれない。 制度を変更した背景には、部隊の新編と定員枠の問題があった。 島嶼防衛が喫緊の課題となった時、新たな警備・警戒・対処部隊の新設が求められたが、15・9万態勢の陸自ではその人員を捻出する余力がなかった。 部隊編成の原則は、スクラップ&ビルドである。 そこで新隊員教育の前期課程の隊員を「定員外」とし、空いた定員枠で新編部隊の人員をひねり出すことで、防衛省と財務省が合意した。 これに海・空自も同調し、三自衛隊共通の自衛官候補生(以下、自候生と称す)制度が平成20年に始まった。 彼らの身分は、特別職国家公務員。 給与(26年)は月額126,900円、3カ月後に2士に任官すれば161,600円にアップ。 その際、自衛官任用一時金として、176,000円が支払われる。 したがって新制度を金銭面で旧制度の2士と比べると、若干上回っている。 陸自の任期制は2年で、1任期前の当初3か月間が「自候生」。 この教育終了後、本人の希望と適性を考慮して職種(兵科)と配属部隊が決まり、正式に任官し、8〜13週間の特技教育を受ける。 「着隊」直後の3つの関門 本年4月、東部方面管内を募集区域とする東部方面混成団隷下の第117教育大隊に、約400人の自候生試験の合格者が着隊した。 出身を大別すると、大学・専門学校卒業者が4割、高卒が6割を占め、年齢も、18歳から26歳までさまざまだ。 志願の動機は、国防・公共への奉仕というより、圧倒的に職業選択としての志願とされる。 彼らは、「公へ奉仕する」意識は持っているが、就職選択にあたっての優先順は、@地方公務員、A消防又は警察、B自衛官で、@AがダメだったからBを選んだ、或いは進路指導や親の勧めでBにした例が多いとされる。 変わった点では、昔のように「サラ金地獄」を抱えた者はいないが、大卒者・専門学校卒業者に奨学金返済に追われる者が結構いる。 最大700万円、平均して200万円くらいで、返済は毎月1万〜2万円前後。 大した額ではないが、20〜30年と続くので、将来に持ち越す。任期制の一時金で支払うというのも、志願の動機かもしれない。 能力面。彼らの知能指数は平均して5(−)段階。ちなみに、一般曹候補生が5(+)、女性自衛官・2士が6程度とされる。 体力面では、懸垂、ボール投げ、腕立て伏せの能力が低い。 原因は腹筋・背筋が弱いからで、クラブ活動・運動をやってないため。 また、今はサッカーの時代で、キャッチボールの経験が全くない者もいる。 私有車について、現段階では興味なし。今はなんといってもスマホ。また、彼女を持つ隊員もあまりいない。 孕ませて自衛隊に逃げ込んだと言うのは昔の話のようだ。 自候生着隊者の第1関門は身体検査。即ち、「不適格者」の選別である。 旧陸軍時代、入営者は引率されて兵営に集合し、各中隊・内務班に振り分けられ、軍服に着替えた時点で軍医から「部隊身体検査」を受けた。 この際、病気等がある場合は「即日帰郷」が命ぜられた。 現在の陸自も同じで、試験時に身体測定、着隊直後にも身体検査が行われる。 教育部隊として最も困ることは、この際にてんかんや精神病等の「既往症」、最近多いのはアレルギー症状を、隠す者がいること。 これらは自己申告なので、身体測定では発見されないが、武器を扱う職務なので危険であり、入隊不適格に該当する。 この採用判定を巡り、教育・募集・父兄の間で軋轢が生ずる。 筆者も地連・募集班長として苦労した経験がある。 着隊者の第2関門は、「宣誓」である。旧陸軍でも、「宣誓式」が行われた。 「軍人として身命を惜しまずに万難を排して渾身を捧げて忠誠を致す事」を宣誓する。 中隊長が初年兵を1名づつ呼び出して「誓文帳」に署名捺印させ、「御真影」を拝して終了した。 陸自・自候生の場合、身分は自衛官ではないため、自衛官用の宣誓(「事に臨んでは危険を顧みず・・・」)は行わない。 自候生用の宣誓は、「徳操を養い、人格を尊重し・・・知識・技能の習得に励みます」。 要約すれば、「自衛官になるため、勉強します」との誓約で、3か月後に自衛官に任官する直前に「一般用」の宣誓を改めて行う。 宣誓内容については、募集側が事前に教育しているので、トラブルや辞退する者はまずいない。 着隊者の第3関門は、営内・団体生活への慣れである。 旧陸軍の内務班は、一部屋に20名前後の兵員を収容し、即日から新兵も古参兵も一緒だったため、げんこつ・ビンタは根絶できなかった。 陸自の場合、自候生だけの10名で1個班を編成し、3曹の班長が営内の直接指導にあたる。 また、この4〜5個班をもって1個小隊を編成し、初級幹部又は准尉・曹長と小隊付の陸曹が、班長と自候生を指導する。 更に、4個小隊で1個中隊が編成され、1尉〜3佐の中隊長が精神教育と全般統制にあたる。 営内は、2段ベット。ロッカーは二人で1個。 隅に簡易ソファーと勉強机がある程度の簡素な、自候生だけの部屋である。 但し、教育部隊によって施設に余裕があれば、1段ベッド等が用いられる。 しかし、子供の頃から個室で育った彼らにしてみれば、2段ベッド、同室者の存在、時間と班長に追い回される生活は、驚きを通り越して恐怖かもしれない。 課業中の携帯電話の使用は禁じられているが、初めの頃は夜間ベッドに入って母親に連絡している者がいた。 母親から、なぜ使わせないかとの抗議が寄せられたそうだ。 自候生の生活指導は20代の班長があたり、四六時中、土日も彼らと接する。 班長と自候生の間で交換ノートが書かれ、同僚にも言えないことや不満・意見が伝えられるので、身上把握にとって重要な手段となっている。 何冊か見せてもらったが、これによって班長と自候生の信頼関係が築かれていく。 こうした第1〜第3の関門をクリアーした者だけが「入隊式」に臨み、宣誓書を提出して「自衛官候補生」として採用される。 採用・任命権者は、混成団長(1佐(一))である。 教育期間前半 「しゃば気」を抜く 大隊長の廣幡2佐は、空挺団の普通科大隊長・中隊長を務めたガチガチの猛者(もさ)だ。 一方で、幹部候補生学校BUI課程の区隊長を経験したU出身でもある。 したがって、一般社会・生活と自衛隊社会・生活とのカルチャーショックを経験し、その克服要領について認識が深い。 そうした経験が買われ、教育大隊長に補されたようである。 大隊長は自候生教育の目標について、「端的に言えば、しゃば気を抜くこと」とシレッと答えた。 言葉を代えれば、個人生活から集団生活への切り替えだ。 彼らは正規の自衛官ではないし職種もない。 だから、特定色に染めるまではいかないし、そこまでは望めない。 彼らが自衛隊生活を始めるに当たり、最も重要なのは「命令の遵守・確行」と強調した。 彼らの今までの生活は、教師・父親との上下関係が希薄だった。 だから彼らは、命令した班長・小隊長等に「なぜですか」と質問・説明を求める。 例えば、班長の半長靴を夜間に順番で磨いておくことだが、大隊長はその必要性を「すぐに答えるな、彼らに考えさせよ。強制・実行した後に討議して答えを見つけさせよ」と班長等に指導している。 「もちろん、回答は最後に与えるのだが、基本については妥協しない」と語った。 もう一つ重点は、「仲間意識を植え付ける」こと。 今どきの若い人は、他人とのコミュニケーションを避ける。親友を作ろうとしない。 人とのつながりが希薄との共通点がある。 彼らは物心ついた時から個室を与えられ、母親から衣・食を与えられ、我慢や干渉を嫌い、彼女を持つことすら面倒くさがる。 携帯電話で連絡を取っているが、会ってふざけるよりスマホ・ゲームに没頭している。 そこで入隊初期は、営内班長を中心にした責任分担(ゴミ出し、便所掃除等の当番)、ルール作り(洗濯機・便所の使用順、)身の回りの整頓と譲り合い、同僚・班長との意思疎通・助け合いを重視し、交代で「取り締り」係につき、班を統制することを学んでいく。 そして営内点検等を通じ、徐々に躾けられていく。 教育する側にも問題がある。班長・小隊長の能力・経験がバラバラなこと。 彼らは自候生に対し「全人格での指導・対応」が求められる。 しかし彼らの8割は3カ月間の臨時勤務者であり、本属教官との差がはっきりと「隊員の仕上がり」に出てくる。 また、「プライバシー尊重」の意識が強く、強制・矯正・干渉を躊躇する、或いは迷いから踏み込まない教官・助教が増えている。 彼ら自身の体験から、二段ベッドの営内班に入って「自分と他人の棲み分け」を教えることに確信が持てないようだ。 彼らもまた、「輝号計画 (職・住分離と営内の快適化施策)」世代に育てられたためでもある。 逆に、班長たちも休日は仕事を離れて自由で居たいとし、不干渉を名目に必要以上の指導を回避する者もいる。 もっとも、そうした経験や基準は、20年前の過去のもので、時代錯誤なのかもしれない。 教育者としての「熱気」が感じられないことが時々ある。 教育訓練 やればできる!! 教育期間3か月の教育内容は、4月が精神教育、服務指導、基本教練、武器の取り扱い、射撃予習、体力測定、10km行進。 入隊式が終わった直後に、武器の貸与式(?)が行われ、各人に小銃・銃剣が渡される。 生まれて初めて本物の銃を手にするのだが、自候生の心境は複雑なようだ。 取扱い上の注意、分解結合、射撃予習、実弾射撃と進むが、今回も「恐ろしい」と感じ、辞退・退職を申し入れた者がいた。 5月に入ると、戦闘訓練、歩哨・野外勤務、通信、検定射撃。最後の6月は、富士野営(戦闘訓練総合、掩体構築、25km行進)、体力検定、武装障害走、修業訓練・検閲となる。 科目と内容は、諸職種共通の初級レベル。従来の銃剣道に代え、格闘訓練が組み込まれている。 訓練に必要な教範等として、「新隊員必携」がある。自候生が自費購入するもので、カラーで見やすい・わかりやすく図面・写真を多用しており、銃の取扱い等も含まれる。 「自衛官の心構え」もちゃんと記述されていた。 この「虎の巻」は、修業試験・陸曹等への昇任試験の出題範囲だから、全員が所持している。 検定射撃等を控えた前夜など、照準・撃発要領等について必死に勉強していると、大隊長は感心していた。 教育期間後半 魂を吹き込む 噴火した御嶽山などの危険な場所に不意に派遣されても、隊員は黙々と任務をやり遂げる。 基本は「使命感」であり、「危険を顧みず身をもって・・・・・」の宣誓にある。 しかし彼ら自候生は、そのレベルの宣誓をしていない。非正規社員扱いである。 社会から飛び込んだ自候生にとって、入隊したその日から使命感が芽生えるわけはない。 集団生活における挨拶、教官・助教・同僚に対する礼儀作法を次第に身に着け、自分と同じレベルの仲間と寝食を共にする環境から、周りに迷惑をかけないため何をしてはいけないか、何をしなければならないかを、徐々に実践していく。 さらに、自衛官になるには「国家観」が欠かせない。 「国とか国民とは何か」を彼らなりに理解させなければならない。その初歩は、国旗と国歌である。 駐屯地ではほぼ毎日、警衛隊員が国旗を捧持し、朝に掲揚、夕に降下を行う。 「君が代」が流れ、自候生もまた国旗に対し敬礼するか、建物内にあっては姿勢を正すことを習慣づけられている。 最初は何のためにやっているかわからないだろう。しかし記念式典の観閲行進にも加わり、国家とか国民を感じるようになる。自分たちの役割が何なのかを考えるようになる。 それは、個人によってレベルが違うだろうが、周りの同僚や班長等から感化を受ける。 連帯感(戦友愛)の育成も重要である。 自衛隊の仕事は分隊や班で行うことが多く、教官・助教が父親役や兄貴役を担って自候生を教導・支援していく。 徒歩行軍で倒れそうになれば班長が背嚢を担いで励ます。 熱を出して医務室に入室すれば、班長や区隊長が見舞いに来る。 そうした上下の連帯感が、営内班・区隊で育まれ、そこから信頼関係と運命共同体の意識が育まれる。 彼らから、感謝と言う気持ちが出てくる。 矯正して仕込むことも多々ある。 例えば、宴会。軍隊に酒はつきものだが、若い人は飲まない。 民間でも「飲みにケーション」は重視されるが、そういう場・機会をセットして、半ば強制しなければ宴会にでてこない。 しかしやった後は、「よかった、楽しかった、またやろう」という気になっている。 教える側も、「公務・強制」と「プライベート、趣味」の線引きに迷いがあるが、「飲む・しゃべる」を通じ「心を開く、意思を疎通する」という手法は受け継がれるべきだろう。 それでも脱落者は出る。徴兵制を強いた日本陸軍でも、途中でやめていく者はいた。 ましてや、個人意思が尊重されるご時世だけに、やめていく者はいる。 全体でみれば平均1.5%程度。理由は、@性格に合わない、A団体生活が厭、B訓練がきつい、C家庭の事情等で、5月の連休後に進路変更(専門学校や大学受験)を申し出てくる。 退職問題で苦労するのは、モンスター・マザーからの激しい抗議。 退職には両親の同意を求めるが、特に母親は「自分が育てた息子に欠陥があるとは信じがたい」「自分のこれまでの生き方の否定」と受け取り、部隊教育に問題があると抗議される。 個々の自候生の任官の適否について、教育部隊の対応は分かれる。 営内生活に馴染めず迷っている者、検定に合格しない者の扱い。 117教育大隊は、自衛官に任官させて後期教育の部隊に送り出す。 ここでの成績で自衛官の道を絶たせることはしない。 地本の広報官が苦労して集めた金の卵だし、親御さん・教師等の期待もあり、本人に再生の機会を与える。 一方、意志薄弱な隊員は送り先部隊に迷惑がかかる、戦力になれないと見て自衛官への登用を拒否する教育部隊もある。 自候生の期間は「お試し期間」である一方、実動部隊にとっては「瑕疵(かし)期間」と見る理論である。 「何よりヒトが大切か、部隊の精強が優先するのか」。 この問題は、「任命権者」の裁定・判断に委ねられているようだ。 徴兵制を敷いている韓国軍(陸軍の義務は21カ月)では、少子化や厳しい規律への不対応から、小銃の乱射事件や自殺者の発生がしばしば伝えられる。 自殺や事故誘発の恐れのあるA級の「要注意」判定の兵士は、軍全体の2割に達するとみられ、政府は対応に苦慮しているようだ(読売新聞 2014.06.24) 大隊長が語る教育という社会的役割 自衛隊の役割―かっては『天皇陛下に対する忠誠』という確固たる国民的合意があったが、現代はそうしたものはない。 しかし、国民の自衛隊に対する認知度は格段に高くなったが、社会から飛び込む青年にとって自衛隊の生活はやはり敷居が高い。 彼らに対し私は、『国民が困った時に感謝される存在になれ』と教えている。 彼らは素直に受け取ってくれている。 矯正・躾・命令服従―混乱し抵抗するのは最初だけ。自衛官の仕事を理解し、慣れれば進歩も早くなる。 こんなものだったのか、こんなことだったかと認識した者は、積極的に前に進もうとする。 そのへんに私は期待しているし、その橋渡しをするのが教育者たる我々の仕事と考え、誇りを持てと教官助教を励ましている。 自衛官への任官―修了式を明後日に控えているが、彼らは間違いなく戦場で戦う。 しかし非正規戦闘に巻き込まれれば、死傷者も出るし、長期化には耐えられまい。 本教育期間では、スキルがそこまで達してない。 それに耐えうるベースとは何か。大隊長として大変悩ましい問題と考えている。 大隊長の役割―着任以来、自候生の真ん中レベルを基準にし、できる者はもっと伸ばせと指導してきた。 私にできることは、教授観察の現場指導と精神教育。 前向きな教育技法等の提案は直ちに採用し、他中隊にもやらせることでレベルアップと仕上がりの均等化を図っている。 あとは、メンタルヘルスを早い段階からどう教育するかが問題である。 教育部隊の意義・役割―将来もコミュニケーション能力、体力の低い者が入隊してくるだろう。 社会に出るために必要なこと、家庭でも教わっていないことを、この教育期間で教え込み、実践させねばならない。 『教えざるの罪』だけは避けたいと思う。 大半の自候生は、ここでの教育を通じて我慢すること、仲間のために何ができるかを考え、実践して喜び、自分勝手な行動がいかに仲間に迷惑をかけ、悲惨な結果をもたらすかを確認してくれた。 そうした点は、自衛隊のみならず、社会の矯正に大いに役立っている。 「『自衛隊の学校』という本があったが、ある意味、今の学校・家庭は、必要なことを教えていない。 今の青年はある意味で恵まれているので、素直さはある。 その真っ白さに如何に礼儀、節度、奉仕、責任を教え描くかが、我々のテーマだと認識しています。 修了式を明後日に控えた自候生は、物品返納を終えて班対抗ソフトボール大会を楽しんでいた。 自衛隊は社会の縮図だと言われるが、長髪・茶髪・スマホは見られない。 各人がおそろいのTシャツを着こみ、丸刈り、日焼けした顔と顔。 目つきも鋭くなったし、腹の底から声を出してチームを応援している。 3〜4日後には別れ別れになる同僚とふざけ合っている。 教官と自候生の濃密な信頼関係が、現代っ子を見事に脱皮させた。 帝国陸軍では「天皇陛下の命令」は絶対で、その一言で兵隊は危険に立ち向かった。 しかし自衛隊にそうしたオールマイティはない。 それにもかかわらず、隊員を危険な任務にあたらせるのは、指揮官と隊員の人間関係(統率)と、隊員の使命感だけである。 陸自の部隊活動において、彼らの活動・役割は欠かせない。 若い防人の志願者が増えること、育てることをおろそかにしてはなるまい。 自衛官候補生の人生が、幸多いものになることを切に祈り、また教育担当者の活躍を期待しつつ、武山駐屯地を後にした。 射撃検定 距離200mにおいて、伏撃ち・膝撃ちにおける射撃(写真は膝撃ち) 防護マスク訓練 訓練用ガスを充満させた天幕にて、当初防護マスクを装着した状態で入り、途中から脱着し、防護マスクの重要性を 認識させる訓練。(写真は、脱着した状態) 観閲行進 東部方面混成団創立4周年記念行事における徒歩行進(入隊後8週間目) 擲弾射撃 64式小銃を使用した訓練用擲弾を1人1発射撃する。 戦闘訓練 昔と変わらずほふく・射撃・突撃等により敵陣地を奪取する訓練 隊容検査 富士演習場で実施する野営訓練に先立って駐屯地で実施した隊容検査の様子 戦闘訓練(富士演習場) 富士の地形を利用し地形に応じた戦闘行動を行い敵陣地を奪取する応用訓練 25km行進訓練 富士の変化しやすい天候の中、敵を意識した銃口管理を維持しつつ行進する訓練 格闘訓練 昔の銃剣格闘と徒手格闘が合わさった格闘訓練、もっぱら新格闘と呼ばれている。(写真は、銃床打撃) 障害走 教育終了間近に実施され、隊員個々の能力を見極める訓練(写真は、囲壁通過(奥)、第4ほふくによる電流線通過(手前)
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今どきの「自衛官候補生」教育
117教育大隊(武山駐屯地)にお邪魔して
喜田 邦彦
6 区 隊
職種:普通科