「カラコルム・ハイウェイ」を往く
2012.8.3〜8.13


第7・8日 クンジュラブ峠をめざして

アッタバード湖に至る

フンザ(カリマバード)を出ると間もなく、2010年の大崩落の現場にさしかかった。 
水抜きをすると下流に大洪水を起こす心配もあり、時間の経過に従って水が溜まってしまい、最大水深100mのアッタバード湖という堰き止め湖になってしまった。 左の写真の山の斜面がえぐれている。


そして、湖が見えた。 「いいじゃない!!」「こんな美しい湖なら、水抜きしないで観光資源にしたら?」との思いがした。
船はカラチ等の港からトラックに載せて運んできたらしいが、中国とパキスタンの物流の幹線としては、手作業で荷役をしていてもラチがあかないのは明白で、今では「海のシルクロード」が物流の主な経路になっているらしい。
トンネルを中心としたバイパスを作る計画も持ち上がっているそうです。


舟に乗って上流に向かうと、岸の高い所に昔のシルクロードがへばりついているのが見える。 
昔は、よほどの難所だったのだろうと感じた。 前方にはカテドラルと呼ばれる山々の姿が湖に映えている。


堰き止め湖が出来たせいで、孤立してしまったシスカット村に立ち寄った。
ポプラの木が立ち枯れており、ガイドさん達が上陸すると、子供たちがアンズをプレゼントしてくれました。


グルミット村訪問

さらに上流のグルミット村に到達し、上陸すると、堰き止め湖ができる前の「カラコルム・ハイウェイ」が姿を残していた。
この地区は上部フンザあるいはゴジャール地区と呼ばれ、ワヒ族が暮らしている。 
彼らは、12世紀〜13世紀にかけて、パミール高原のワハーン回廊から移動してきたようで、言葉も容姿も独特である。 村を歩いてみると、子供たちがかわいい。
クンジュラブという言葉はワヒ族の言葉で「ふるさと」をあらわすそうだ。


家庭訪問をした。 1軒目では娘さんがウールの糸で絨毯やタペストリーを織っていた。 生活の場で使用するとともに、バザールで売って収入を得ているようだ。
2軒目では、家族からもてなしを受けた。 父親・母親と3人娘と1人の息子がいる家庭であったが、長女はこの村の服飾や刺繍のプロだそうだ。 長女と三女が未婚、次女が結婚してかわいい赤ちゃんを抱えていた。
この地区の教育レベルは高いとのことであった。


フサイニからスストへ
更に底の浅い舟に乗り換えて、フサイニへ向かった。 
アッタバード湖が出来る前は、スストで国境専用バスに乗り換えていたが、今は車も不足しており、フサイニまで迎えに来てくれた。 
途中、パス―氷河を見たり、道路の舗装工事を待ったりしながら、スストのPTDCモーテルに向かった。


スストの朝
8日目の朝、散歩をしていると、ヤクを見かけた。 更に進んでゆくと川岸でヤクを解体していた。  
昨夜のヤクの煮込み料理も、こういうお仕事をしてもらえばこそ、食べることが出来たんだなと実感した。


モーテルの前で早朝から「カラコルム・ハイウェイ」の舗装工事をしていた。 
コンクリートの上にアスファルト舗装をするみたいで、作業スピードも思ったより速い。


クンジュラブ国立公園入口

本日はクンジュラブ峠を越えて、中国のタシュクルガンまで行く予定。 
作業効率の悪い出国審査を受けた後、クンジュラブ国立公園の入り口に到達。 
ここまで来るとフンザ川も大分狭くなる。


高度4000mで「万里の長城」を突貫作業
峠に至る道では、道路舗装の突貫工事中である。 険しい道にはトンネルや、防護カバーが付けられている。
もともと、カラコルム山脈も大きな砂山のようなもので、砂の微粒が舞って車の中も埃だらけになる。


高度4000mで日本の中古建機(ドバイ経由?)も働いていた。 
作業員も手造りで縁石構築作業をしていた。 「凄いよな〜。現代版万里の長城だ!」と思った。

ところで、こんなに一所懸命尽くしている中国は、パキスタン人にはどう見えているのだろうか? 
「中国は大好き」「アラビア諸国も好き」「インドは好き嫌い、複雑」「アメリカは大嫌い」「日本は存在感なし」という感じである。


クンジュラブ峠に到着

最後の曲がり道を過ぎ、ついにクンジュラブ峠(4733m)のパキスタンの国境事務所に到着した。
おい、おい、マイッタ! ここでは8月というのに、小雪が舞ってるよ!


パキスタンの国境事務所のポリス(?)と国境専用バスのドライバーが気さくに写真撮影に応じてくれた。
中国側の事務所や軍隊の写真はご法度なので、折角の美女の写真を消されても困るので、これぐらいで妥協しよう。