不肖佐伯は昨年
9月くも膜下出血で入院しましたが、幸い命を取留め機能障害も出ずに、通常の生活に戻っています。
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月の例会では5ヶ月ぶりに諸兄と盃を交す事が出来ました。
この間、多くの同期生にお見舞いや激励のメール・お手紙を頂き、本当に有難う御座いました。

御礼にもなりませんが参考までに、発症の状況と所見を投稿致します。

発症の状況:
私は定刻より少し早く出勤して、運動するのが習慣でした。
当日もいつものメニュー(ストレッチ、階段昇降、懸垂、腕立て伏せ、カーリング…上腕筋トレ、仕舞…クールダウン)をこなしていたのですが、カーリングの最中に突如後頭部をバットで殴られたような衝撃が走りました。 
その後吐き気を伴う強烈な頭痛が襲ってきました。

脳溢血(出血)、脳梗塞(血栓)の場合たいてい昏倒・気絶するから、多分くも膜下出血だろうと思いました。
5〜6時間の勝負だが、周りには人も無し、119しても「本人がかけるなんて」と一揉するだろうし、変な病院、嫌な医師に当る可能性もある。

「まあ死ぬ確率は50%、生き残っても機能障害が残って家族をはじめ皆に永年迷惑をかける。もう少し能力が有って、やるべき事でもあれば別だが、厄介者は早く消えるのが世の為。かねがねポックリ逝くのを望んでいたのだから、チャンス到来」と考えて、119しなかった。

社長が出社するまで身辺整理(段ボールに私物詰他)、PC内の整理をやって早退、「近所の方が後々家内も楽だろう」と光が丘病院で「痛みだけはなんとかしてくれ」と受診した。
当日家内は駒込の歯医者に行っていて留守なので、一人で赴いた。

CT検査の結果予想通りくも膜下出血判定され、ICUで3日間点滴で過ごす。
CTやMRIの検査を繰り返して開頭手術かカテーテルかを検討していた様だったが、動脈の破裂や瘤は無さそうで、出血が止まり退くのが早い。
結局、手術無しで2週間の観察の後退院した。
当初あった腰から下腿部にかけての痺れも徐々に退いて行った。 

所 見:
その後毎日、朝昼晩と血圧を測っているが、非常に微妙なものでちょっとした動きや興奮で20も30も上がる。
寒い朝新聞をとってくるだけでも最高値は180位になるかと思うと就寝前には100位。
風呂では低血圧と高血圧の危険域の出入りを繰り返している。

若い健康な人でも一日に何回かは危険領域に入っている。
一流のアスリ―トでも練習中に死ぬ例がある。ましてや血管の固くなっている年寄をや。

「年寄の冷や水」という齢を考えない健康過信とクソ頑張りを戒めた言葉があるが,将に心すべし。
もう一つ、此の齢になったら、何時死んでも恥かかないように、身辺の整理をして置くこと。


蛇 足:
紀元節の連休に台湾旅行に行ってきました。
弁護士を中心とする然る会の企画に乗ったものです(村松君も一緒)。

台北と九芬だけでしたので、たっぷりと台湾情緒を満喫する程のものではありませんでしたが、ご存知の故宮博物館や忠烈祇、折からの春節祭(旧正月)の庶民の過ごし方など見てきました。
感じたことは日本のトイレが一番快適、日本の食事が一番美味しい(中華料理でも)という事。

            

   


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佐伯 忠史
 8 区 隊
 職種:普通科