隊友ふれあいウォ−キング
両国及び向島の史跡を訪ねて

 今回は桜の咲き始めた両国及び向島(隅田川沿い)の史跡等を訪ねました。(平成22年春)

 初めに両国公園を訪れました。公園内に、勝海舟生誕の碑が有ります。江戸幕府瓦解の際、西郷隆盛と会見し、江戸城の無血開城に成功、江戸の街を戦火から救った幕臣勝海舟は、文政6年(1823)この地に在った父方の実家・男谷家で生まれ、少年時代に今の緑四丁目で過ごし、幕末の剣豪・島田虎之助に剣を学び、弘福寺で禅の修業をしたと云われています。

       
            (両国公園内勝海舟生誕の碑)            

 明暦3年正月の江戸の大火「振袖火事」は、10万人を超える焼死者を出しました。その無縁仏を葬るために建立されたのが回向院の始まりです。その後、災害の犠牲者や牢死者・無縁仏等をここに葬る慣わしとなりました。境内には、石塔等が多く、鼠小僧次郎吉の墓も有ります。
又、勧進相撲が回向院で初めて行われたのは、明和5年(1768)のことで、その後天明元年(1781)から、文政年間に至るまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされました。やがて天保4年(1833)の10月から、春秋二回の興行の定場所となり、この年から明治42年旧国技館が完成するまでの76年間「回向院相撲の時代」が続きました。このように回向院は、江戸相撲の本拠地であり相撲に縁が深く、物故した力士を供養する力塚等も建立されています。

       
                  (回向院)

 回向院を後に、国技館通りを北上して旧安田庭園に向いました。旧安田庭園は、元禄期に笠間藩主築造の庭を復元したもので、小規模ながら江戸名園の一つに数えられおり、汐入の回遊式庭園で、当時は隅田川の水を引き入れていたと云われます。この庭園は、明治期に安田善次郎氏の所有となり、その後、氏の遺志により東京市に寄贈されたことからこのような名称となりました。

       
               (両国国技館前)                 

 旧安田庭園の隣に、横網町公園が有ります。ここには関東大震災による遭難者の霊を供養する為、昭和5年(1930)に建設された東京都慰霊堂が在り、関東大震災及び東京大空襲の犠牲者約16万人の遺骨が安置されており、毎年3月10日及び9月1日に慰霊法要が営まれています。
又、公園内には、昭和6年(1931)に完成した復興記念館が在り、震災時及び戦災時の様々な関係資料が展示されています。

       
                 (東京都慰霊堂)

 横網町公園で、暫し休憩の後、清澄通りを北上して駒形橋を渡り、浅草側の墨田公園へ向いました。ここ暫く寒い日が続いた為、公園の桜は3部咲きと言ったところ。隅田川をはさみ建設中のスカイツリーが青空に綺麗に聳えており、全員で記念撮影をしました。
(今になってみれば懐かしいですね。)

       
              (浅草側の墨田公園前)             

 言問橋の袂で、「伊勢物語と在原業平」について紹介、「名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」。実際に業平の故事があったとされる場所は、もっと上流で、現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」での事であり、当時言問橋付近は地名として存在しないとされています。
荒川と分離する岩淵水門から東京湾までの24kmが、現在隅田川と呼ばれていますが、この間に架かる橋は26有り、その中で桜橋は日本初の歩行者専用橋として知られています。桜橋を渡り終えた袂に、長命寺及び弘福寺の屋根が見えますが、その左手前に「言問団子」と「長命寺の桜餅」の店が道路を隔てて在り、「言問団子」店の前の道路を渡ると「墨提植桜の碑」が有ります。

       
               (日本一のスカイツリー)

 墨堤の桜は享保2年、8代将軍吉宗による植樹がその始まりで、明治20年建立の碑に桜の由来が書かれています。「長命寺の桜餅」店の前には、長い行列が出来ていました。長命寺は、3代将軍家光が鷹狩りの際、腹痛を起こし、この寺の井戸水を飲んで腹痛が治まったことから、長命寺の寺号が与えられたと云えられています。境内には芭蕉の雪見の句碑や十返舎一九の狂歌碑等が多数有ります。また、弘福寺は勝海舟も青年時代、この寺で修行したと云われる黄檗宗の名刹、咳や口中の病に効く「咳の爺婆尊」は有名です。

 ついで、墨田郷土文化資料館に向かいました。ここは墨田区の歴史・伝統文化を紹介し、文化遺産を継承していくことを目的として、平成10年に開館、実物資料や模型・パネル・マルチメヂアを利用し、見て・触れて・楽しみ学ぶことが出来るよう展示工夫して有ります。2階会場の「墨提の賑い」は明治初期の花見の様子が再現されています。

 墨田公園内にある牛嶋神社は、本所牛嶋の総鎮守社で境内に「撫で牛」があり、心身快癒の祈願物として、信仰されています。墨田公園を更に南下すると、水戸藩下屋敷の跡地の碑が有り、ここに明治天皇が花見に行幸された記念碑及び幕末にこの地に幽閉された尊王思想家・藤田東湖が同志の士気の高揚のために作った「正気の歌」の碑が有ります。

 墨田公園を通り抜け、最後の目標地であるリバーピア吾妻橋へ。 ここは、高層ビルの建並ぶコミュニティスペースで、ホールやギャラリーのある墨田区庁舎、アサヒビールのインテリジェントビルが有ります。以前、ここには「浩養園」と言う江戸期の名庭園がありましたが、最近の再開発で「リバーピア吾妻橋」と名を変えたとのことです。

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村越 和平
3区隊(通信)