隊友ふれあいウォ−キング
戸山から雑司ヶ谷の史跡を訪ねて

 今回の大江戸探訪は、まず戸山(新宿区)からスタートしました。 

 江戸時代、戸山一帯は戸山荘と呼ばれ、尾張徳川家の下屋敷でした。
庭園内に「東海道五十三次」を模した回遊式泉園が造られ、箱根山(標高44.6m)もその一部でした。
因みに箱根山は山手線内一の高所です。

       
                   箱根山(標高44.6m)山頂

 箱根山を下り、穴八幡宮へ。
康平5(1062)年、奥州の乱を鎮圧した源義家が凱旋の際、兜と太刀を納めて氏神の八幡宮を勧請し、東北鎮座の社として祀ったのが穴八幡宮で、金運の神様として親しまれ、「一陽来復」のお札を授与する冬至には、多くの参拝者で賑います。 

      
                   穴八幡宮の鳥居

 その後、早稲田大学へ向いました。
大隈講堂は、早稲田大学の象徴、初代総長大隈重信を記念して、昭和2(1927)年に建設。
大隈重信が提唱した人生125歳説に因み、125尺(37.8m)の時計台が早稲田の杜を見下ろしています。

       
                 早稲田大学初代総長大隈重信像

 大学構内にある演劇博物館は、早稲田大学文学部の創設者、坪内逍遥博士を記念して建てられました。
英国エリザベス王朝時代の劇場、フォーチュン座を模して設計された博物館で、館内にはシェークスピア関係から歌舞伎・新劇まで、
数多くの演劇関係の資料が展示されています。

 大学を出て、グランド坂を上り水稲荷神社へ。
水稲荷神社は、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)が勧進した神社で、霊水が湧いたところから、その名が有ります。
参道に堀部安兵衛(武庸)が、叔父菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をした武功を称える石碑が有ります。

 神田川にかかる面影橋は、都電荒川線の駅名にもなっていますが、「於戸姫伝説」を始め、その名に纏わる多くの伝説が残されています。又、橋の袂に太田道灌の逸話に因んだ「山吹の里」の碑が有ります。

 面影橋から目白不動金乗院に至る地域は、かつて鎌倉街道が通っていたと云われ、金乗院から目白通りに至る急な坂道は、宿坂(別名:暗闇坂)と呼ばれ鎌倉街道「宿坂の関」が在った所です。

 目白通りへ出て、学習院大学へ。 
 学習院大学は弘化4(1847)年、京都御所日御門前に開講。宮内省所轄の官立学校が戦後、私立大学となったものです。
学内には、第10代院長、乃木希典が学生と寝食を共にした乃木館や江戸随一の景勝を誇った富士見茶屋跡、芭蕉の句碑、堀部安兵衛が高田の馬場の決闘で使った刀を洗ったと云われる「血洗いの池」等が有ります。

      
                     学習院大学正門                   

 大学を後に、目白通りを千歳橋まで引き返し、雑司ヶ谷鬼子母神へ。
ここは、子育ての神を祀る日蓮宗の寺で、本堂は寛文4(1664)年に建立された江戸期の代表的な建物です。
境内にある樹齢600年と伝えられる大銀杏は、子授け・子育て銀杏として信仰の対象になっています。

 鬼子母神に御参りした後、直接雑司ヶ谷霊園に向い、いちょう通り沿いの夏目漱石、竹久夢二、島村抱月の墓を訪ねました。

      
                    雑司ヶ谷鬼子母神

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村越 和平
3区隊(通信)