隊友ふれあいウォ−キング
深川に芭蕉を訪ねる

 「深川に芭蕉を訪ねる」は、生憎雨天の中、17名(夫婦2組、婦人3名)の参加を得て、実施しました。

 まず深川不動堂へ、ここは元禄16年(1703)に開創、「深川のお不動さん」の名で親しまれています。
直ぐ隣の富岡八幡宮は、神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭とともに、江戸三大祭の一つ「深川祭」として有名です。
境内には「横綱力士碑」『木場の角乗碑』等深川に纏わる多くの石碑が有ります。

       
                    富岡八幡宮 「横綱力士碑」 

 八幡宮を後に、清澄通りに出て法乗院閻魔堂に向いました。
この閻魔堂は江戸時代から「深川の閻魔さん」として親しまれて来ました。最近では、ハイテクを駆使した閻魔堂として知られ、賽銭を入れると、閻魔様の御告げを聞くことが出来ます。

 引き続き清澄通りを北上し、採茶庵跡を訪ねました。 
採茶庵は、元々芭蕉の門人、杉山杉風の別荘として使われていたもので、元禄2年(1689)芭蕉は、ここから「奥の細道」の旅に出ました。

 次いで、仙台堀川を渡り清澄公園内を抜けて清澄庭園へ。
ここは明治13年(1880)三菱の創始者・岩崎弥太郎が「深川親睦園」として開園、その後、隅田川の水を引き、全国の名石を配置して、明治を代表する「回遊式林泉庭園」として完成しました。

       
                         清澄庭園

 庭園を散策後、新装されたばかりの深川江戸資料館を訪ねました。
この資料館は、天保13年頃の深川佐賀町の長屋、八百屋、火の見櫓、猪牙船の浮かぶ掘割、船宿等の他、生活用品類の一つ一つを実物大で再現、更に一日の暮らしを音響と照明効果で演出しており、当時の庶民の暮らし振りが良く分かります。

       
                       深川江戸資料館

 資料館を後に、小名木川を渡り森下文化センター「のらくろ館」に向かいました。
小名木川は、徳川家康が行徳(市川市)で産する塩を江戸に運ぶ為、小名木四郎兵衛に命じて開かせた、隅田川と旧中川を東西に結ぶ水路でしたが、やがて塩だけでなく、東北地方の米や、関東各地の諸物資を江戸に運ぶ重要な水路となりました。
「のらくろ館」は、のらくろの生みの親の田河水泡(本名 高見沢仲太郎)が、幼少期から少年期までを江東区で過したのが縁で、遺族から作品・書斎机等の遺品が江東区に寄贈されたのを機に、田河水泡の業績を紹介する為に、開設されました。

 昔懐かしい、のらくろの漫画を見た後、慶長元年(1596)頃、この辺りを開発した深川八郎右衛門が勧請したといわれる深川神明宮を経て、芭蕉記念館へ。
ここは、かつて隅田川沿いで暮していた芭蕉の業績を顕彰する為に開設され、書簡・短冊・芭蕉の肖像等の関係資料が展示されています。又、入口に小さな日本庭園が在り、句碑が立っています。

 記念館を後に、隅田川に架かる「新大橋」に向いました。
新大橋の名は、両国橋(当時は大橋と呼ばれていた)の下流に、元禄6年(1693)新しく橋が架けられたことに由来しており、芭蕉の句にも読まれ、安藤広重も「名所江戸百景」に描いています。 
現在の橋は、昭和52年に架けられたものです。

 芭蕉庵史跡展望庭園は、隅田川遊歩道沿いに設置されており、隅田川と小名木川に隣接し、四季折々の水辺の風景が楽しめます。庭園には、芭蕉像や芭蕉庵のレリーフ等が有り、往事を偲ぶことが出来ます。
暫し、水辺の風景を楽しんだ後、芭蕉稲荷を経て、小名木川に架かる萬年橋へ。

 萬年橋は、富士山が綺麗に見える場所として、江戸時代からの名所であり、葛飾北斎の「富嶽三十六景」(深川萬年橋下)、安藤広重の「名所江戸百景」(深川萬年橋)に描かれています。 

 隅田川を更に下ると、深川清澄町と日本橋中洲町を結ぶ「清洲橋」が見えて来ます。
現在の橋は、ドイツのライン川に架かるケルンの大吊橋を範にとり、昭和3年に完成したもので、平成19年に国の重要文化財に指定されました。

 更に隅田川を下り、平賀源内電気実験の地を経て「永代橋」へ。永代橋の手前で後ろを振り返ると、清洲橋の向こうに、今建設中のスカイツリーが聳え、とても綺麗でした。
永代橋は、元禄11年(1698)に架けられ、赤穂浪士が渡った橋として、又深川祭で神輿と人が華やぐ橋として有名です。
最初の橋は、今よりも20m程上流に架けられており、当時この辺りが永代島と呼ばれていたことから命名されました。
因みに、新大橋・清洲橋・永代橋は隅田川三名橋と呼ばれています。

       
                     隅田川にかかる「永代橋」           

 永代橋を後に、隅田川と別れ、大島川水門を経て越中島公園に入り、東京海洋大学に明治丸を訪ねました。
三本マストの優美な明治丸は、鉄船として我国に現存する最古の船で、船舶としては、唯一の国指定の重要文化財に指定されています。 
明治7年に、英国グラスゴーのネピア造船所で建造され、当初は灯台巡視船の傍らロイヤルシップの役目も兼ね明治天皇を始め多くの高官が度々乗船し、我国近代海運史上重要な役割を担ってきました。
後に、商船学校の練習船として活躍しました。
又、海洋大学構内には、明治初期来日し我国の海運業界の発展に尽くしたイギリス人ジョセフ・ラムゼーの記念碑が有ります。

       
                     東京海洋大学に明治丸

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村越 和平
3区隊(通信)