隊友ふれあいウォ−キング
善福寺川沿いに史跡を訪ねる

 6月上旬、隊友ふれあいウォーキング「善福寺川沿いに史跡を訪ねる」を実施しました。

 JR中央本線「荻窪駅」に集合して、9時出発、爽やかな天候の下、先ず大田黒記念公園に向いました。
この公園は、ドビュッシーやストランビンスキーを日本に紹介し、又NHKの人気番組「話の泉」の回答者として、活躍された音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷を整備し、1981年に日本庭園として開園したものです。
園内には、芝生広場を囲むように巨木が茂り、その一角に大田黒氏の仕事部屋であったレンガ色の記念館や蔵が保存されています。

         

 大田黒記念公園を後に、川南遺跡、松渓公園を経て、西田小学校郷土資料展示室を訪ねました。
ここは、杉並区立郷土博物館の分室として、1995年に誕生したミニ博物館です。 
学校で勉強し放課後は、友達と目一杯遊び、夕方に家に帰って来ると言う1950年代頃の西田地区の町の子供の1日を「学び」「遊び」「暮らし」のテーマで展示してあり、杉並区の学校教育への取組む姿勢が感じられます。

 西田小学校を出て、善福寺川緑地公園を通り、尾崎熊野神社の境内に聳える樹齢400年のご神木の黒松を見学の後、松ノ木遺跡に向かいました。

         

 松ノ木遺跡は、区立松ノ木中学校の南のグランドを中心とする約2万uの広さを持ち、約2万年前の旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代にかけて、各時代の生活の跡が発見されています。 
特に、1976年に行われた松ノ木中学校の改築工事に伴う発掘調査では、縄文時代から古墳時代の60棟を越す竪穴住居跡が確認されています。
 松ノ木中学校の南西の隣接した一角に古墳時代の竪穴住居での生活の様子が分るように、展示を兼ねた住居が復元されています。
又、復元住居の脇には、1954年に杉並区遺跡保存会により発掘調査された古墳時代の竪穴住居跡が、一部修復して公開されています。

 古代人の生活の様子を学んだ後、欅・コナラ・赤松の茂る和田堀公園を経て、区立郷土博物館に向かいました。
ここには、原始・古代<武蔵野台地と水と人の暮し>、中世<武蔵野の村と古道>、近世<江戸と杉並>、近現代<荻窪風土記>をテーマに、杉並区の歴史が分りやすく展示されています。

         

 杉並区の歴史を学んだ後、大宮八幡宮に向かいました。
大宮八幡宮の祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后で、社伝によれば第70代後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)奥州に乱が起き(前9年の役)、征討の勅命を受けた鎮守府将軍「源頼義」が、この地に差掛ると八条の白雲が棚引き、源氏の白旗が翻ったように見えたと云われ、これを奇瑞とした頼義が、乱平定後の康平6年(1063)京都の岩清水八幡宮より、分霊を勧請したのが、当宮の鎮座であり、東国での八幡宮建立の嚆矢となりました。
1591年に江戸城に入った徳川家康が当宮に参詣し、社領三十石を寄進、以降歴代の将軍家より御朱印が下されました。

         

 大宮八幡宮に参拝の後、同寺域にある大宮遺跡(東京都史跡)および同遺跡からの出土遺物を見学後、隣接する高千穂大学に向かいました。
高千穂大学大宮遺跡は、旧石器時代、縄文時代中期、弥生時代、古墳時代、中世にわたる複合遺跡であり、平成14年の調査の際、古墳(円墳)の周溝が発見されました。
周溝の規模から噴径13m余の古墳と推測されましたが、墳丘及び埋葬主体は破壊され、既に消滅していたとのことですが、古墳の周溝を埋める土層内から、土師器杯形土器二点、鉄製品二点、メノウ原石一点が発見され、杉並区指定文化財に登録されています。

 これ等の出土品は、現在区立郷土博物館に展示されており、高千穂大学の記念館には、それらのレプリカが展示されています。
記念館見学後、高千穂大学が保存する、もう一つの杉並区指定文化財である大正12年建築の高千穂学園武道場を見学しました。
この武道場は、今も合気道の道場として使われています。


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村越 和平
3区隊(通信)