高尾山への誘い
    薬王院めぐり

長岡 弘
  2区隊
  職種: 普通科


 薬王院の正式名称は「高尾山薬王院有喜寺」(以下、薬王院)、宗派は真言宗智山派(宗祖は弘法大師)です。
 薬王院は、奈良時代の天平16年(744)、僧行基が開山し薬師如来を祀ったとされています。
しばらくの荒廃の後、南北朝後期の永和年間(1375〜78)、僧俊源によって中興されたと伝えられています。
以来、高尾山の守護神として飯縄権現が祀られ、山岳信仰の霊山として栄え、江戸時代中期には、現在の薬王院の基礎となる堂宇が揃います。
明治時代に入っては神仏分離令、大正・昭和時代には関東大震災や火災等によって大きな打撃を受けますが、江戸時代の建造物を改修等により維持し、平成時代になっては新たに堂宇を建設するなどして、現在に至っています。

 境内は4段の棚田状になっています。
中心的な役割を担う大本堂は2段目に、飯縄権現堂は3段目に位置しています。

     
【1 段 目】
 四天王門の前は広庭になっていて、右手(A地域)には次に紹介する順序で堂宇が並び、その前には手水舎があります。
それを通過すると左手には護摩受付所、右手には札所、次いで僧侶専用の黒門、薬王院のバックヤードたる大本坊、その奥には福徳弁財天があります。

〇四天王門(してんのうもん) [写真左]
 現在の門は、江戸時代のものを再現して昭和59年(1984)に建てられ、邪鬼を踏んだ四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)が門の東西南北を護っています。よく観察すると足が短くて親しみを感じます。
門内左手では、鼻高天狗の大きな面がこちらを睨んでいますが、金網が張られた扉があるため気付く人は少ないようです。
たまたま年末の大掃除の時に通過した折、シャッターチャンスに恵まれました。
 門の手前右には、俊源大徳の石像があります。

〇大天狗・小天狗像 [写真右]
 右が大天狗(鼻高天狗)、左が小天狗(烏天狗)です。「大小となっているのは、大きさや地位のことではなく、本尊の脇侍として2体ペアの方が格好がつくからではないでしょうか」と、ツアーのガイドが説明していました。
 ペアの天狗像は、大本堂前、飯縄権現堂前、仁王門の中にも立っています。

  

〇八大龍王堂(はちだいりゅうおうどう) [写真左]
 平成5年(1993)に建てられ、金ピカの娑伽羅龍王が祀られています。足元に流れる水でお金を洗うと財運が上昇されるとされています。
 なお、八大龍王堂の右には、古いお札を納めて祈願成就を感謝する納札堂があります。

〇倶利伽羅堂(くりからどう) [写真右]
 平成9年(1997)に建てられ、2頭の龍(倶利伽羅龍王)が不動明王を現わす剣に巻き付いて(交尾して)います。こちらも金ピカです。ご利益は縁結び、結縁です。

  

〇修行大師堂(しゅぎょうだいしどう) [写真左]
 堂内には弘法大師の行脚姿の木造立像が祀られ、その前には蛸に関連する縁起物(オクトパス、鉄蛸など)が置かれています。
ご利益は、合格、学業成就です。

〇目覚め石等の石柱 [写真右]
 護摩受付所裏のトイレに通じる小道の左脇に3つの小さな石柱が立っています。
 手前は平成13年(2002)に発見された道標で、「是より びわのたきみち」と彫られていて享和3年(1803)の銘があります(「目覚め石」と呼ばれています)。中央は「當山 一丁目」と彫られた文化3年(1806)の丁石、奥は正面に「是より 大山道」、左に「是より 江のしま道」と彫られた道標で年代は不詳です。
 なお、1丁目は四天王門前、1号路(参道)入口の薬王院別院不動院前が36丁目になります。

  

〇黒門(くろもん) [写真左]
 寛政10年(1798)建立の僧侶専用の門です。ほら貝の音を響かせながら、護摩修行のため大本堂に向かう僧侶の一行に出会うこともあります。

〇福徳弁財天(ふくとくべんざいてん)(穴弁天・あなべんてん) [写真右]
 洞窟の中10mほど先には八臂の弁財天座像が祀られています。平成16年(2004)の崩落でその先には入れませんが、さらに30mほど奥には琵琶を持った弁財天が祀られているとのことです。
階段左脇には現代的な顔立ちの琵琶を抱えた弁財天像が安置され、その前には小さな湧き水があり、ここでお金を洗うとそれが増える、いわゆる「銭洗い弁天」になっています。メインルートから外れているため、参拝者はあまり見かけられません。

  

〇人気コーナー
 手水舎の右脇には「願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)」[写真左] があり、時間帯によっては順番待ちの人たちを見かけます。
願いを念じながら輪をくぐり、その先にある大錫杖を打ち鳴らすと本尊に願いが届くとのことです。また、手水舎周辺には、北島三郎歌碑や井田誠一歌碑もあります。
 [写真右] は、修行大師堂前の「オクトパス」と、境内や1号路沿いに設置されている「六根清浄石車」です。
 「オクトパス」は、「octopus(蛸)」と「置くとパス(合格)」の語呂合わせでだと思われます。
「六根」とは6つの感覚(目、鼻、耳、舌、身、意=心)で、「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱えながら石車を回すと、我欲が薄まり心身の安らぎが得られるそうです。
それぞれにはお守りが準備されていて、「かなうわ守」300円、「合格祈願守」600円、「六根清浄・心願成就守(水晶)」800円、さらには「ぼけ封じ」600円もありました。
 「オクトパス」と1号路脇にある「開運ひっぱり蛸」の蛸の形が酷似しているので、その辺りのことを寺僧や茶屋の女将などに尋ねました。・・「たこ杉」を保護するため金網が張られたところ、毎年「蛸供養」を行っている某水産会社から「開運ひっぱり蛸」の石柱が奉納された(平成21年・2009)。その人気の高まりに応じて境内には蛸の縁起物が置かれるようになった・・。
状況の変化に敏感に対応する薬王院の経営手腕が窺えます。檀家を持たないことから、スポンサーの確保や人気スポットの開拓などは経営基盤の大きな要素になっているものと思われます。

  

【2 段 目】
 札所左横の階段を登り、仁王門をくぐると正面に大本堂、右に進むと堂宇が並んでいます(B地域)。
引き返して大本堂前を通過し、その左脇の階段を登ると飯縄権現堂前の鳥居に至ります。

〇仁王門(におうもん) [写真左]
 江戸時代中期の建立で、都の有形文化財です。表を阿吽の仁王尊=金剛力士、裏(大本堂側)を愛嬌のある大・小天狗像が守護しています。仁王尊は、災害除け・身体健全の守護神です。

〇大本堂(だいほんどう) [写真右]
 開山本尊である薬師如来と中興本尊である飯縄権現が祀られており、堂内中央に設けられた護摩壇前では毎日護摩修行が行われています。
堂の正面上部には彫刻が施され、左右には迫力ある大・小天狗面も掛けられ、階段両脇には大・小天狗像が立っています。
天狗の面や像が多い理由を寺僧に尋ねました。・・天狗様は、薬王院のご本尊である飯縄大権現の随身です、また、天狗様は山中で修行する山伏のモデルとも言われ、山岳信仰の地・高尾山ならではの存在なのです・・。

  

〇寛永古鐘(かんえいこしょう) [写真左]
 鐘楼堂脇に保存されている梵鐘は、「寛永古鐘」と呼ばれ、寛永8年(1631)の鋳造とされています。上部に付いている龍頭の形から、鐘が作られた時代が分かるそうです。
 寛永古鐘の右脇には、薬王院中興の祖・行基菩薩像が建っています。

〇鐘楼堂(しょうろうどう) [写真右]
 建立時期の記録はないようですが、安政2年(1855)の古地図にはほぼ同位置に描かれています。
現在のものは、昭和41年(1966)の台風で倒壊したものが、同49年(1974)に再建されたものです。堂の前にある奉納板の枠の彫刻は見応えがあります。
 堂の右には寛永古鐘と行基菩薩像が写っています。

  

〇愛染堂(あいぜんどう) [写真左]
 平成6年(1994)に建てられ、全身深紅の愛染明王(ガラスケースに入っている)が祀られています。ご利益は、良縁成就、縁結びで、若者に人気があるようです。

〇聖天堂(しょうてんどう) [写真右]
 平成9年(1997)に建てられ、歓喜天=聖天が祀られています。堂の扉は閉まっていて、二股大根を描いた巾着型の鍵が掛けられています。向かい合って交差している二股大根は男女の交合を現わしています。ご利益は、縁結び、夫婦和合、子授けなどです。

  

〇大師堂(だいしどう) [写真左]
 江戸中期の建立で、都の有形文化財です。弘法大師が祀られ、堂を囲むように四国八十八カ所霊場と四国別格二十霊所のコンパクトな巡拝施設が設けられています。

〇飛飯縄堂(とびいづなどう) [写真右]
 飯縄権現堂に向かう階段途中にある小さな祠で、飯縄権現の石像(2代目)が祀られ、できものやイボなどが取れるという信仰があります。天保7年(1836)の古地図でもほぼ同位置に描かれています。
また、日野市の飯縄神社から飛んできた、あるいは、薬王院が火災のときに一時避難のために日野まで飛んで行ったという「飛び飯縄伝承」があります。
初代の石像は富士浅間社左横の旧護摩壇奥にあります。

  

〇鳥居と狛犬など
 この鳥居は、明治3年(1670)に薬王院別院不動院前にあった「一之鳥居」と共に撤去されていましたが、その後再建されたものです。
 鳥居に至る階段両脇に鎮座する狛犬は、寛政3年(1791)に奉納されたものです。石工(いしく)は同じ親方の下、別々の弟子が彫ったという珍しい例だそうです。
 階段左側の狛犬後方には、明治43年(1910)に奉納された磁石石があり、1辺1m、高さ60pほどのものです。子から亥までが刻まれた十二支の方角は、かなり正確に指しているようです。
 階段両脇の斜面には、不動明王の眷属・三十六童子が勢揃いして立っています。

  

【3 段 目】
 鳥居の正面は飯縄権現堂、その左は鳥居が並ぶ神社ゾーンのようになっています(C地域)。1号路は飯縄権現堂右奥の階段を登ります。

〇飯縄権現堂(いづなごんげんどう)
 江戸時代中期に建立された権現造の社殿で、飯縄権現が祀られており、高尾山修験道の中心的な存在となっています。都の有形文化財です。
本殿は享保14年(1729)、幣殿と拝殿は延宝3年(1753)の建立で、昭和以降では40年(1965)、平成10年(1998)に大改修が行われています。社殿全体には彫刻が施され、正面には大・小天狗像が立っています。
左の写真は拝殿を正面から、右の写真は社殿全体を4段目から撮ったもので、左から本殿、幣殿、拝殿、その右には鳥居が見えます。

  

〇飯縄権現堂の彫刻  [写真左]
 左上の狐は注連縄上の両サイドに配置されているものです。右上の白象は吉の象徴と言われています。中央の仙人は裸足で座っていますが、立っている仙人もあり、こちらは靴を履いています。たくさんある彫刻を見比べてみるのも楽しいものです。

〇福徳稲荷社(ふくとくいなりしゃ) [写真右]
 鳥居の並ぶゾーンの奥にあるのが福徳稲荷社で、稲荷神が祀られています。ご利益は商売繁盛で、堂の前には狐の像や置物が並んでいます。

  

〇飯縄権現社(いづなごんげんしゃ)、天狗社(てんぐしゃ) [写真左]
 両社とも飯縄権現を護る大・小天狗が祀られています。左の小さい祠が天狗社で、脇にはたくさんの下駄の置物などが置かれていますが、健脚を祈願して奉納されたものです。

〇大黒天碑(だいこくてんひ) [写真右]
 天狗社から少し離れた所に高さ2mほどの碑があり、大黒天が線彫りされています。明治8年(1875)の奉納です。大黒天は商売繁盛だけではなく、鼠を配下にしているので、農家にも信仰を得ているとのことです。

  

【4 段 目】
 手前から奥之院不動堂、富士浅間社が配置され、富士浅間社の左横には旧護摩壇があります。
なお、薬王院に関連する古地図では、この地域が「山頂」になっています。

〇奥之院不動堂(おくのいんふどうどう)、富士浅間社(ふじせんげんしゃ) [写真左]
 奥之院不動堂(左側)は江戸初期・寛永年間(1624〜1644)の建立で、都の有形文化財です。不動明王、行基菩薩、俊源大徳が祀られています。
 富士浅間社(右側)は江戸時代に建立され、今の社殿は大正15年(1925)に再建されたものです。富士山の神・浅間権現が祀られています。

〇切り立った崖 [写真右] 
4段目直下・福徳稲荷社背面の崖の状況です。明治34年(1901)の崖崩れにより堂宇が移設され、3段目にあった奥之院不動堂はその後、写真左上辺りに建てられています。

  

〇旧護摩壇(きゅうごまだん) [写真左]
 この護摩壇は富士浅間社の左横に位置しているため、1号路からはほとんど見えません。護摩壇の奥には、山内で最も古い石像と言われる飯縄権現石像(延宝4年・1676の銘あり)が立っています。
なお、現役の護摩壇は、仏舎利塔前の広場にあります。

〇初代・2代目飯縄権現石像 [写真右]
 イボに効くということから、初代の像は上半身が殆ど削り取られ、尊顔は判別できません。両石像を比較すると、翼は共に持っていますが、初代には狐の姿はなく、2代目は狐に跨っていることが判ります。

  

 堂宇はその外にも自然研究路沿いに建てられています。
1号路沿いには、入口に薬王院別院不動院と飯縄権現遥拝社、金比羅台に金比羅社、四天王門手前600m辺りに浄心門と神変堂があります。
また、6号路沿いには、琵琶滝不動堂があります。

〇神変堂(しんぺんどう) [写真左]
 浄心門をくぐると直ぐ左に建っています。昭和になって建てられたもので、44年(1969)に改築されています。
堂内には修験道の祖である役行者(神変大菩薩)が祀られ、堂の前では役行者に従った鬼の夫婦が護っています。ご利益は、健脚、腰痛平癒です。正面に掛かっている扁額「神変大菩薩」は「内閣総理大臣 佐藤榮作 謹書」となっています。

〇琵琶滝不動堂(びわたきふどうどう) [写真右]
 琵琶滝右横に建っています。安政2年(1855)の古地図に描かれ、明治末期に再建されています。堂内には不動明王が祀られています。右手に剣を持っていますが、「倶利伽羅堂」内で2頭の龍が巻き付いているのはこの剣です。

  

 最後に、薬王院の宗祖・弘法大師、開山の祖・行基菩薩、中興の祖・俊源大徳の姿が、どのような形で参拝者などの目に触れているかを紹介します。
 左から、弘法大師・2体(木像、左:修行大師堂内、右:大師堂内)、行基菩薩(石像、寛永古鐘右横)、俊源大徳(石像、四天王門手前右)です。 

  



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