私は65歳を過ぎようとしている今、山登りにはまっている。ひょんなきっかけで30年ぶりに山登りを再開し楽しん でいる。少し長くなるが再開したきっかけを話したい。 (仙丈ケ岳の山頂にて) (大菩薩峠の山頂にて) あれは確か昨年5月か6月頃であったか?同期の野村が幼稚園から高校まで同じ学校でしかも同級生であった女性から是非富士山に登りたいので宜しくという勇ましい相談を受けたのが発端であった。若い時滝ヶ原駐屯地に勤務していたある夏、子供を連れて富士山に登ったのが野村の唯一の登山体験であった。あれからとうに30年以上経過しそれなりに体力も落ち60歳を5つも過ぎて富士登山など全く眼中にはなかったという。それがかつてのマドンナからのたっての相談とあっては断るどころか喜んで引き受けたというから女性の威力は図り知れない。これが彼の憎めないところで、この女性の申し出を少々無理しても実現させてやりたいと思ったようだ。彼女の熱意に打たれたのが真意で、彼は早速自衛隊時代同じ勤務地で一緒に仕事をした経験があり山登りに極めて造詣の深い塚原に相談を持ちかけた。 彼は野村の申し出をニつ返事で引き受けた。塚原は第二の職場の定年後も暇をみては周辺の山に登りを趣味としてはいたが、95歳の母親の介護もあり多少無理をしても野村の願いを受け入れたのであろうと勝手に推測した。親友野村の熱い眼差しにほだされたか、あるいは頼まれたら断らない彼の人間性によるものであったのであろう。山をよく知り相手が女性と知った彼はいきなり富士登山には無理があると判断し8月初頭富士登頂を目標に、短期間ではあるが先ず丹沢周辺の比較的低い山で錬成訓練を積むことにした。 丹沢山系では熟知した山の中から大山・鍋割山等の1500m級の山を選んで足腰を鍛えた。この練成訓練に野村から誘いを受けた私は鼻の下を伸ばして喜んで参加したのが再び山登りを始めたキッカケであった。 早速、箪笥の中奥深くにしまいこんでいた30年前に愛用したニッカーズ(knickerbockers)を探しだし久しぶりに足を通しベレー帽を被るとそれとなく格好がつき若返った気分になった。これらの練成訓練の成果を踏まえて同年8月本番の富士登山に挑み、野村の同級生全員が無事登頂に成功する快挙を成し遂げたのは彼等の努力もあったが塚原の熱意のおかげであったろう。私は業務の都合でこの登山に参加できなかったのは残念であった。 さて本題に戻るが、野村の同級生達は富士山登頂に満足したのか、あるいは体力の限界を感じたのかその後山登りの要望はなく私達野郎の3入だけでするようになった。当初は特にこれといった目的や狙いもなくただ関東周辺の2000m級の山を適当に選んで楽しんだ。この間両神山(1724m)、赤城山(1823m)、武尊山(2158m)、大菩薩(2057m)、雲取山(2017m)等々の山に登った。気心の知れた3人の付き合いは山登りと同じくらい楽しいものであっ た。 やがて夢はさらに膨らみ、登山作家深田久弥の「日本百名山」の半数を制覇しようと自然と意見が一致した。60歳超えると体カ、気力の衰えは否めないが平素の鍛錬の成果が出るようで幸い我々3人は平均値以上の体力を持っていると秘かに自負している。いつしか3人は70歳までに3000m級の山々に胸を借りることにし、まずその狙いを南アルプスに定め今年7月に甲斐駒ケ岳(2967m)に、ついで仙丈ヶ岳(3038m)に登り、8月には日本で第2番目の高さを誇る北岳(3193m)と4番目の間ノ岳(3183m)に同時に登頂した。次は北アルプス白馬岳(2932m)に狙いを定めている。 (眼下に上越の山々を望む) (雷鳥のオス) |
||
なぜ山に登るのか?誰かは「そこに山があるからだ。」と言ったそうだが、傍から見ると暑い中何で大汗をかいて苦労して山に登るのか理解に苦しむ節もあろう。しかしこれだけはやった人でないとわからない。皆に納得してもらえる説明は難しいが、登る途中の路傍に咲く名も知らない美しい花に目を奪われ、小鳥のさえずりに耳を傾け、あるいは登るにつれて開ける壮大な山塊の峰々、顔を吹き抜ける涼風、地表を覆う巨大な雲海等々、それに何より都会の雑踏をから遠ざかり山懐に自分を預け浸る時の至福感、自分独りの力で頂上に登りつめ足下に巨大な山を踏みつけた時の言いようのない達成感・満足感等々は経験した者でないと分からないだろう。偶然仙丈岳と北岳で見かけた雷鳥親子の情景特に親鳥の子供に対する愛情溢れる仕草は下界で時に発生する殺伐とした人間模様がふと頭によぎった。 (仙丈ケ岳の頂上を目指して) (雄大な北岳の雄姿、遠くには富士山が) 今後も登山生命が続く限り我らの登山は続くであろう。幸い3人の役割分担も自然と決り、リーダーは豊富な登山経験と博識の塚原が務め主として登山計画の作成を、軽妙なユーモアーで緊迫する場の雰囲気を和らげかつ冷静な判断力で無理をしないで行動する野村は塚原と交互に車両を提供する。そして私と言えば鉄人の二人に比して非力でひたすら彼らに食らいついていくのが精一杯であるが、経理等に居場所を見つけている。なんとも天の采配で決まったような不思議な取り合わせの野郎3人の仲間であるが生涯の得難い友となりつつあり、山登りの副次効果にしては大きすぎる成果だと思っている。もしかしたら野村のマドンナの差し入れかとありがたく思っている。この副次効果もまた末長く続くように祈っているのは小生だけではないと確信している。
|
曾 宮 建 夫
1区隊 普通科