事実は小説より奇なりと言うが……
(人生一寸先は分からない!)
1区隊
特 科 曽宮建夫
この3月末に第二の職を無事に終え暫く自由を満喫していた。と、言えば聞こえは良いが退職して1ヶ月を過ぎた頃から、自分では意識しないが溜息が増えたと妻は言う。やはりストレスが溜まっていたようだった。この4月からANAが特別給付金を当て込んでか知らないが65歳以上の熟年に全国一律ONE-FLIHGT9千円チケット売り出した。いつもの悪い癖で直ぐに食らいつき北は北海道から南は九州・沖縄まで独り旅で気分転換を図ったが、所詮旅も遊びで心の空白は埋めきれなかった。贅沢をしない限り年金で生活はできるが生きている充実感が得られないことに気づいた。もっというと健康であるのに何もせず生きていることは少々大袈裟に過ぎるが国家の損失という思いもあった。
そこで新たな職を探そうとパソコンでハローワーク(職安)にアクセスして元の職であった大学事務に手当たりしだいに履歴書を送った。結果は無残でどうも65歳という年齢が災いしてか全敗であった。5月末に失業手当を受給した後本格的に腰を据えて職探しを始めたが徒労に終わった。この間書いた履歴書は優に15枚を超えた。昨年のリーマンショック以来日本経済も急速に悪化、そして瞬時に雇用情勢も急激に悪化した。とりわけ65歳を超えた高齢者(この言葉は好きではないが、)が職にありつける等は極めて難しいことを思い知らされた。ところがである。「事実は小説より奇なり。」というが、これを地で行く体験をした。
話は少し遡るが退職して1ヶ月過ぎた4月末の頃、家の近くの開業医の玄関先に「パソコンができて週3日から4日間、一日4時間以上勤務可能な方を求む!」というビラを読んだ妻が走りこんで帰ってきた。年金もあるし家計を助けることより仕事で生きる張り合いが得られれば言うことはないと直ぐに簡単な履歴を書いて希望する旨を医院に届けた。少し惨めな気もないではなかったが「これで良いんだ!天は自ら助ける者を助けるというではないか」と自分に言い聞かせ、また妻へ義務も果たしただけで結果は余り期待はしなかった。予期していたとおり(??)というか案の定というかその後何の反応もなく時は過ぎいつしかこの事を妻は勿論小生も忘れていた。
ところが忘れもしない6月1日午後6時過ぎのことである。久しぶりに夕食にビールでもと早目の風呂に入って汗を流していたら電話が鳴った。妻が出て最初は要領を得ない応対をしていたが、やがて事情を呑み込み丁寧に応対する声が聞こえる。内容は「院長がお会いしたいのですがご都合は如何か?できれば今からでも、、」とのことであった。やおら風呂から出て身形を整えて歩いて数分の医院に出かけた。二日前に夏向きに髪を短めに切っていたのは良かったか?少し待合室で待って院長室に案内され中に入ると同年代と思われる恰幅の良い人が待っていた。院長先生であった。電話のお礼を述べ型通りの挨拶を交し勧められるままに椅子に座り面接を受けることになった。職務上面接をする立場が多く要領は身についていると思っていたが、いざ自分が受けるとなるとなかなか思うように話せず反省することが多かった。
やがて院長はおもむろに「曽宮さんの経歴を拝見して当初の希望された医療事務の仕事ではなく、自分が管理するマンシヨンの管理関係の仕事をお願いできないか?今働いている男性(74歳)が、もう年だから辞めたいと申し出があり丁度その後任者を探していたところでした。そこで曽宮さんに是非後任に御願したい。検討をしてみてくれないか?」と予想外の言葉に驚いた。願ってもない方向に展開していくことに当惑と喜びが交錯し頭が少し混乱した。「予期しない想定外のご提案で少し戸惑っております。ご提案の仕事は小生にとって全く未経験・未知の分野で自信はありませんが、先生がいま目の前の実物大の小生を見て可能だと判断していただけるなら本当に有難く御期待に添うよう全力を尽くして頑張ります。」と応答するのが精一杯であった。 この面接室にはもう一人の看護婦さんの服装をした人が立ち会っていましたが後で院長の奥様と知った。
面接に区切りがついて雑談になり彼は小生より1年年長であることを知った。やがて院長は「親父が元軍医で先の大戦最後の激戦地となった沖縄に赴任するところ急遽命令変更があって内地に留まったので今の自分があることや、大学受験では防衛大を熱望したが視力が足りずやむをえず親の後を継いだ。今でも防衛大・自衛隊が大好きです。」とポツリと話した。その後場の雰囲気は急に和らいで話がトントン拍子に進み2ヵ月間の見習い勤務をした後9月から正式に勤めることが決まった。女房の嬉しい笑顔を想像しながら足取りも軽く家路について二人で前祝いをした。
希望した「週3日、一日6時間」という医療事務の勤務条件からほど遠いフルタイム勤務で土曜日は隔週休みという現役時代以上の勤務条件ではあるが、家族的な雰囲気に溢れる温たかい勤務環境で働けるようで大いなる喜びを感じている。これから「自衛官の心構え」読み直しこれを基準に勤務すれば上司の意図に沿えると思うと同時に自衛官であったことに悔いはなかったと思った次第である。可能であれば前任者越える年齢まで勤務をしたいと願っています。
最後に「犬も歩けば棒に当たる。」という。思えば4月以来落胆と挫折の連続であったが、偶然重なったが事態が予想外の望ましい方向に展開した一例を紹介させてもらいました。ただ、最後まで就職への執念と努力を続けたことは確かであった。
諸兄の御健闘を心から祈念します。
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