「 無為徒食の生活 」
1区隊
特 科 曽宮建夫
平成27年12月21日、自衛隊、大学、不動産管理会社と三つの仕事を勤め上げ勤続満50年を区切りに社会の一線から退いた。 最後の仕事は定年がなく引き際を自分で決めねばならなかった。 これがいかに難しいか身に染みて感じたものである。 常に二人の自分がいて、一人は「まだ勤務すれば幾ばくか給料も入る。退職を示唆されるまで勤務しろ!」もう一人の自分は「慰留されるときに身を引くのが男の美学だと。」この葛藤が続き揺れ動いたのが正直なところであった。 結局後者の自分が勝利をおさめた。 退職意志表示して退職まで約1年かかった。 最後は妻の症状が思わしくない奥の手も使った。これが決め手になったか上司はしぶしぶ了承した。 しかし後任はどうしても自衛隊出身で、しかもできることなら防衛大の後輩を選んでほしいと条件をつけられた。 簡単なようで極めて選択幅の少ない針の穴に糸を通すに似た要望であったが最後の御奉公と上司の要望に応えようと努力した。 都心近くに住み渋谷まで一時間以内に通勤可能で、得る報酬は全額生活の糧に充てなくても年金でほぼ生活できる60代半ばの後輩となると極めて限定される。 何とか自衛隊時代の人脈を遡って概ね5期程度若い後輩に的を絞ってやっと適任者を選定した。 ところが彼は当然ながら既に某職場で働いており、約4カ月半粘って説得して引き継いでもらった。 幸い条件が合致し双方ウインウインの結果であったのは幸運であった。 思えば自衛隊・自衛官冥利に尽きた話であった。 辞める本当の理由は二つあった。 一つは72歳を超え仕事に従事し人生を楽しむこともなく一回しかない人生を終えることになりかねないと危惧したからであった。 不動産管理の仕事は全く未知の分野で当初苦労したが、一年経過したあたりからこの商売の面白さも分かり遣り甲斐も感じ、同時に家庭経済も潤うことになり周囲からも羨ましがられたことも事実であった。 もう一つの理由はある本を読んだ時「限界効用逓減の法則」という原則があることを知った。 簡単に言えば、暑い夏渇いた喉に流し込むビール程美味しいものはない。しかし二杯目、三杯目と重ねると当初の美味さはなくなりむしろ苦しくなる。個人差はあろうが小生の場合三杯目は遠慮したくなる。 これを「限界効用の逓減の法則」と言うらしい。 法則というからには普遍性がなければならない。 つまり社会現象の概ね全ての事象にこの法則は当てはまるという。 ところが「There is no rule but has some exception.」(例外のない法則はない。)という通りこの法則にも例外があるという。 それはお金であると。 つまり金はいくらあっても際限がない。 お金の魅力にとりつかれ死ぬまで僅かなお金を稼いで最後に札束(小銭)を枕元に積み上げてニタリとして死んでいく光景は想像するだにおぞましくこれだけは避けねばと思った。 今来し方を振り返るに今日まで社会生活50年、塀の内側に落ちることもなく平平凡凡ではあったが大過なく、普通の生活が過ごせたのは僥倖でかつ偶然の重なりと言えないこともない。 少々こじつけに聞こえるが、崇高な任務を有する自衛隊に奉職したことが大きな要因であった気がしてならない。 自衛隊退職後の二つの職務は、昭和の御代の国防に対するすざましいばかりの逆風の中で自衛隊に勤務し定年まで勤め上げたただその実績が評価されたと秘かに満足している。 さてこれから肩の荷を下ろし無為徒食の生活(老後という言葉は避ける。)に入る。 どう生きるか?まだ暗中模索である。 答えのないままこの世を去る可能性は高い。しいて言えば吉田兼好のように質素を旨とし雑然とした社会に隔絶・超然として自分らしく生きられればこれに優る幸せはなかろうと思っている。
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