腰を抜かしもうダメかと
       思った話(その1)


 70年以上生きいろんな経験をしてきた。
これから先の事はまだ分からないが、総括すれば極めて平凡な人生であった気がする。
不思議なことに喜びは忘れ、苦労したことや絶望の渕に立ったことは鮮明に覚えている。
それらを何とか乗り越えてきたなと秘かなに自負している。その確かな証拠が顔面に現れている。
偶に街角で立ち居振る舞いが優雅で、さらに顔まで上品な人を見かけると反省もするがやむを得ない。
しかしその人でさえ人様に言えない困難を乗り越えてきたであろうことは想像に難くない。

 これから話は思い出すだに冷や汗三斗の経験であるが恥も外聞もなく勇気を奮って披露する次第である。
話は約30年以上前の古い出来事である。
まだ関係者が生存しておりその方の名誉を汚してはならないのでやむなく匿名とする。
当然既に時効であろうが、そのあたりを斟酌し隔靴掻痒の感は否めないが承知してほしい。

 公務でカルフォルニア州ロスアンジェルス北西約50qに位置するオックスナードという小さな町に約4カ月滞在した。
その公務というのは防衛庁始まって以来の一大プロジェクト、SSM(地対艦ミサイル)の実用(実弾)試験であった。
細部は割愛するが、防衛庁が米海軍太平洋ミサイルテストセンター(NAS:PMTC)の海上射場を米国から借り上げ(賃借)し国産SSM実射試験を実施した。

 試験は予想以上に順調に進み任務の半ばが終わり、隊員は現地の生活にも慣れ週末は車で遠出することもあった。
そんな或る週末の土曜日、同僚6名車2両で早朝宿舎を出発し西海岸の片道8車線の5号線を南下してメキシコの街チュアナに向かった。
途中米海兵隊の演習場があって水陸両用装甲戦闘車が多数動き回っていたのが印象的であった。
出発前メキシコに入るにパスポートが必要なことは伝えた。

 天気も良く爽快な気分でハイウエーを南下、運転を交代をしながら約5時間後米国とメキシコの国境に着いた。
11時頃だったと思う。
米国側の国境手前に巨大な駐車場がありそこに駐車して越境してメキシコの街チュアナに入ろうとした。
その前に念のためパスポートを確認した。
ところがどうしたことか一人G君がパスポート不携帯であった。
思案の末やむなく彼に言い含めて独り駐車場に残し5人でチュアナに入った。
名産の革製品を買い昼食をとって急いで13時半頃駐車場に戻った。

 驚いたことに駐車場にG君がいない。
必死で手分けして探した末G君は越境してメキシコに入っていた。
彼はメキシコ側へ入り回転ドアーの傍でしょんぼり泣き出しそうな顔をしていた。

 御存じの方もあろうかと思いますが、当時の米国とメキシコの国境通過要領を簡単に説明すると、国境では検問通過しないと相手側に入国できないのが普通です。
主要国道はフエンスにより遮断され許可された車両以外は乗車のまま通過できず一端車を駐車場に駐車し徒歩にて入国することになる。
国境には徒歩入国者のため2カ所の回転ドアーがある。
その一つ、米国からメキシコへの越境の際は係官のパスポートの提示は要はなく自分で回転ドアーを回してメキシコに入国することになっていた。

 もう一つは道路の反対側、メキシコに米国に入る回転ドアー(形式はは同じ)である。
勿論反対には回らない仕組みになっている。
人の流れは水の流れと逆で、豊かさを求めて低い方(メキシコ)から高い方(米国)に流れる。
今の欧州の難民と同じである。
メキシコから米国への入国は厳重で回転ドアーを通過する前にからパスポートの点検を受け異常がないもののみが回転ドアーを回して米国に入国する。
パスポート不所持で提示できないものは入国審査を受けねばならい。

 小生は再度メキシコに入国してG君と一緒にメキシコ側にある米国への入国ゲートに行くと息を飲んだ。
米国への入国審査を待つヒスパニック系の民衆が長蛇(約200m)の列を見て青くなった。
直感でこの列の最終列に並んで審査を待ってはその日のうちにホテルに帰れることは不可能と判断した。

 英語は余り堪能ではないが、最年長であった小生は勇を鼓して国境事務所の隊長の元にG君を連れて直談判することにした。
そして事の詳細を正直に話した。この時一つだけ嘘を言った。
「かくかくしかじかでNAS:PMTCに来ている。任務を終了して米国最後の週末に土産物を買いにキシコの街チュアナに来た。明日日本に帰ることになっている。どうしても今日中には宿舎のあるオックスナードに帰れねばならない。ついてはこの同僚がパスポート不携帯でメキシコに入ってしまった。間違いなく彼は小生の部下である。ついては小生を信じてこのまま米国側に入国をさせてもらいたい」と必死に説明した。
誠意が通じたのか「分かった!」と言って無事米国に生還した。
少々大げさであるが正直生還という言葉がふさわしかった。

 細部は省略するが、簡単に解決したように思えるが直談判に行く前、やや大袈裟であるが体が硬直するほど緊張し自衛官の出処進退をかけてやらねばと覚悟したのは当然である。

 帰国後G君に当時の心境を聞くと、国境フエンスの下には何カ所か硬い土を手で掘って不法侵入したと思われる穴があったという。
思い余ってそこから越境しようかと思ったが銃を持った国境警備隊が巡回(巡察)していたのでようやく思いとどまったという。

 思い出すに今でも冷や汗をかく思いだ。
その後試験は無事成功裏に終わり日本に帰国した。
勿論このことは6人の秘密であり今日まで秘匿されたままである。
自衛隊を退職してほぼ20年過ぎた今もG君とは良好な人間関係を維持している。
今では薄くなった頭を若者で埋め尽くされた街、渋谷の雑踏の中にある職場で小生の後任者として優雅に勤務している。


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