熊本地方は今年(平成28年)4月に思わぬ大地震に見舞われ甚大な被害を被った。
被災者の皆様にはお見舞いの言葉も見つからない。大被害の要因の一つが最初に起こった地震規模より一日後に発生した地震が最初の地震規模を上回る地震学上珍しい地震であったとも言われている。少し辛口で傷口に塩を刷り込むようだが、為政者に一般市民と違った「治にいて乱を忘れず」の構えや備えがあったかと残念な気がする。

 熊本市内にある妻の実家も、大分にある我が実家も相当の揺れに遭ったようだ。
幸いいずれも断層から少し外れていたため被害は軽微であったが、墓はメチャメチャに壊れ、未だ原状復帰をしていない。本震と思われた地震の後にそれより大きい揺れが本震であったとされ、以後気象庁は余震という用語使用を見直すと遠聞した。 

 いきなり話は主題を少し逸れます。
先日、滅多に来ない長男が突然来宅した。「顔を見に来た。親父と一緒に酒が飲みたい(とは言わなかった?)」と言って一晩泊まっていった。
時には「お父さん、お母さんお元気ですか?今日は親の顔を見に参りました。」と言えば可愛いのにそれは全くない。言えば甘えられ、頼られ、金の無心でもされてはかなわん、とでも思っているのか?

 かくいう小生も振り返れば偉そうに言える柄ではなく身から出た錆と諦めている。この際つまらん詮索はしまい。まあそこはそれ、そこはかとなく血の繋がった情愛を僅かに感じ、買い置きの缶ビールを二人で飲んだ。見ると今まで横でテレビを見ていた妻は知らぬ間にいそいそと台所に立って酒のつまみを準備していた。 

 酒が入り雑談するうち「僕もこの11月で46歳になる!」というのを聞いて耳を疑った。
家庭を持って満1年後の1970年の僕らの結婚記念日に生まれたので覚えやすい。その日は11月1日、当時(今は知らない)自衛隊創立を祝う日で勤務していた久留米駐屯部隊では部隊は全力を挙げて久留米市中行進することになっていた。雲一つない澄み渡る秋空の爽やかな下、久留米市の目抜き通りを、大砲を引きながら市中行進した事が懐かしく思い出される。

 このままの状況が続けば、あと数年で結婚50周年を迎える。よくぞ・・・(・・・は各人ご自由に想像してください。)という言葉が浮かぶが、長いようで短い歳月であったという思いは偽らざるところである。

 これからの話は古い話です。
どうも昔の話は頻繁かつ鮮明に思い出されるが、今の話は直ぐに記憶のかなたに行ってしまう。思いたくないが、老人になった証拠でこれからの話も老人の戯言とお許し願いたい。

 さて、時空は一挙にワープした1995年の事、我々は結婚25年を機にロンドンに貧乏旅行した。
ロンドン中心地ハイドパーク公園近くの、日本大使館の傍にある古いが由緒あるパークレーンホテルに約1週間連泊、ロンドンとその周辺各地を見物した。

 最後の夜、あらかじめ予約していたテムズ川ナイトデナークルーズに出掛けた。
早目の午後4時頃ホテルを出て往きは地下鉄を利用した。テムズ川にあるクルーズ専用の船着き場は駅から川沿いに歩いて10分程にあった。たそがれの夕暮れ時、ゆったり流れるテムズ川を見ながらの景色はとても印象深かった。船着き場に着くと既に船には明かりが灯され、幻想的な雰囲気の中で船は出発準備を終え、客は乗船を始めていた。乗船時乗船名簿に名前と国籍を書いた。
その時スタッフから旅の目的を聞かれ「結婚25周年を祝って!」ですと答えた。

 やがて船はまずテムズ川に架かる有名なタワーブリッジに向かい上流に航行し、その後反転する約3時間のデナークルーズでした。ロンドン付近のテムズ川は水量が多く、そのうえ下流域で海に近いため極めてゆったりと流れる。イギリス海軍の小さな駆逐艦らしい軍艦も巡行していた。夜景を眺めながら数名の楽士が奏でる演奏を聴きながらの食事を堪能した。

 終盤頃であろうか突然司会者が「Lady and gentlemen! Attention please! I introduce you guests from Japan Mrs. and Mr. Somiya. The couple came to London to celebrate their 25th wedding anniversary!」 と紹介し乗客の皆さんの拍手を受け予期せぬ感激を味わった。
 そのうちいつのころからか小雨が降り出していた。船着き場に戻ったのは午後9時を回っていた。着くと周囲は夜のとばりの中、雨とロンドン特有のキリのせいで、暗くうすぼんやりと街灯がかすんでいた。

 帰りは流しのタクシーを拾う計画していた。ところが運悪く流しのタクシーは通らず、雨の中30分程待ったが拾えない。ついに諦めて地下鉄で帰ることにした。
 明るかった往路と様子が異なり、駅までの道路は全くの暗闇の中、不安を感じながら傘も差さずに地下鉄駅まで歩いた。とても長く感じながら気味悪さもあってクルーズの楽しみは半減した。当時ロンドンと雖も夜間人通りの少ない所は避けるように、外務省の情報は警告していた。

 幸いやっと地下鉄駅についた。小さなさびれた駅舎で暫く電車を待った。夜10時を過ぎると電車の本数は少ない。やっと来た電車は閑散とし白人は見当たらず酔っ払い風の黒人(色が黒い)が乗っていた。幸いにも無事にホテル近くの駅に無事ついてやれやれと思った。ホッとして地下の駅から外に出ようとしたその時、突然後ろから髭面のでっかい黒人の若い男から声を掛けられとっさに緊張し身構えた。

 驚きを押し殺しながら聞くと「使用しなくなった乗車券(one-day-ticket)をくれ!」という。有効期間はその日の24時まであり後1時間半は有効であった。お安い御用と気前よく(?)渡して難を逃れた? 
これが今回の「もうダメかと腰を抜かした話」だが、正に本震が後から来た感じであった。

 旅は幸い大きな災難にも遭わず翌日パリを経由して帰国した。
帰路はヒースロ空港で搭乗手続きを終えロンドン―パリ間はBA(British Airway)で、パリから成田間はJALに乗り換える旅程であった。

 搭乗手続きを終え、荷物は成田で受け取れるかと若い女性の係員に確認すると、彼女は涼しい顔で「いや、パリで一端荷物を受け取りJALカウンターで再度預けてくれ!」という。
即座に「それは困る。」と申し出て「Through(スル)」に切り替え成田で受け取れるように変更してもらった。
周囲に数人の同じ行程の日本人乗客(学生たち)がいたが、彼らが気付かないうちに良い事をしたと自画自賛したことを思い出す。

 さて、近々やって来る結婚50周年にロンドン再訪を考えている。
その時自分で計画し、ホテルを予約し鉄道切符や航空券を取得する体力と気力があるか、はなはだ心もとない。


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腰を抜かしもうダメかと
       思った話(その3)

1区隊
特 科   曽宮建夫