2016年12月14日 彼はその時元気がなかった。 昨年末、古希を過ぎても仕事をするのは空しい人生になると引き止める上司を説得し退職したが、早まった選択であったかと戸惑う日々を過ごしていた。 退職後暫くは待ちに待った自由の身になり自分の好きなように思うがまま過ごした。 最初の半年は都内各地の名所・旧跡・墓地を訪ね歩く等で心身共に充実し楽しい日々であった。 やがてこんな身の処し方で良いのかと疑問を感じ正直な話人生そのものに退屈していた。 趣味や学問研究に充実感を得ている同期生もいるようだが、「以下同文」(分かるかなこの表現方法?)で無芸大食の彼は不相応にも現状を肯じることができない気持ちになっていた。 老後(この言葉は好きではないがやむを得ない。)の身の処し方は人それぞれであり、これぞ正解というものはなく自分に合った生き方こそ一番相応しいという思いはあった。 では一体全体自分に相応しい生き方とは何か? 考えあぐねた彼が思い至った結論は体を動かす仕事に就き、些少でもいいから報酬を得ることが一番良いであろうという結論に達した。 そんなこんなで苦悩していた8月頃渋谷区シルバー人材センターの門を叩き月一回開催される説明会に参加した。 一通り説明を受けた後、面接を受け就職意志が固い旨表示し希望する職種を伝えた後、写真撮影をして登録料2千円を納め手続きは完了した。 後日希望した職種の求人募集があればお知らせしますという事であった。 約束に違わず1ヵ月を過ぎた頃人材センター担当者から「一日2時間週4〜5日の勤務」があるがどうかと打診された。 職務内容は全く未経験の分野でやれる自信も全くなかったが勤務条件が合致したので何とかなろうとお願いした。 70歳を超えて全く未知の仕事で働くにはかなりの勇気を要しかつ忍耐を強いるものであった。 当然ながら若い年下の上司からの遠慮ない叱咤を激励と受け止め職務内容を覚えるため耐えた。 ややオーバーに聞こえるかもしれないが死に物狂いで必死に覚えた。 しかし既に十分老化した頭は一つ覚えれば二つ忘れる程の記憶力の良さに彼は閉口した。 何度か諦め、挫け投げ出そうとしたが、石の上にも3年との格言を思い出し一端決心した以上途中で投げ出すのは男らしくない。 嫌われるのを覚悟で上司から退職を示唆されるまでは頑張ろうと彼は心に誓った。 何とか当初の3ヵ月が過ぎ、職務の全体像を掴み職場の人間関係や雰囲気にも慣れ続ける自信が少し湧いてきている。 さて、今や我が国は国を上げて「一億総活躍社会」と言う時代に来ている。 人口減少が進み労働力不足が叫ばれる中、高齢者と女性を積極的に活躍する以外に打開策はないこと誰が見てもわかる。 高齢者は体力気力に於いては若い人には譲るが人生経験では負けない自信が彼にはあった。 若造に戻り謙虚にして情熱(やる気)を失わなければ高齢者にもできる仕事は沢山ある。 特に早朝・深夜等の時間はいわゆるニッチ産業は高齢者に相応しい仕事あると思う。 吉田兼好ではないが、今や人生の評価は既に定まった。 何故に過去の経歴(職歴)に捉われ、あるいは周囲に気兼ねしてむざむざこの機会を失う必要があろうかという気分になった。 どんな仕事もやってみると新しい発見があり創意工夫すれば本当に楽しい。 一見簡単と思える仕事に難しさがありそれを黙々と遂行する若者を見て敬意さえ感じる。 我が国は前例のない急速な少子化かつ高齢化社会に突き進み国難と言っても過言でない中、将来が危ういと思うのは杞憂であろうか? 頼みの綱の年金の行方も悲観論はあっても楽観論はない。 誰でも体が動くうちは働いて自分の足で自立(律)をすることになれば社会全体を明るくなると彼は思っている。 彼は今得る報酬は些少であるが、頼りにされることに大いなる歓びと充実感を得ながら新たな人生を歩き始めた。 昔愛唱したSamuel Ullmanの「青春とは」の一節「青春とは人生のある期間ではなく心の有り様である。、、(以下略)」という言葉をかみしめながら。
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ある高齢者の生き方
(身の処し方)
1区隊
特 科 曽宮建夫