李登輝閣下の兄上
6月7日木曜日昼頃からのテレビニュースで異な事を見聞きしたように思います。前台湾総統李閣下の靖國神社参拝に関連したことですが、靖國には閣下の二歳年上で二人兄弟の兄上である岩里武則(李登欽)氏が合祀されていて、それがお参りの理由なのだそうですが、アナウンサー達は兄上が、旧日本軍の兵士としてレイテ付近で戦死したと盛んに述べていました。思うに李閣下は京都帝大ですから兄上も恐らくは然るべき大学出身で予備役将校だったのではないかと考えられます。決して兵士、兵隊というわけではなく、軍人、将校と表現すべきなのではないかと思います。
それで思い出しましたが、最近あるテレビ番組に取り上げられた、イギリスの街中にある「戦闘機」についてですが、盛んに戦闘機と紹介されたのですが、実は爆撃機でした。どうやら、軍用機(軍用航空機)と表現するつもりで戦闘機と言っているようでした。さらに、割合に広く行われていることが、戦闘艦艇あるいは軍艦というつもりで「戦艦」と表現する人も結構いて、知らないからとは言え混乱の元になろうかと思います。言葉尻をとらえて鋭く他者を追及する人々に、えてしてこういったことには寛容で、たいしたことではないではないかと言うことが多いように観察します。
自衛隊の階級
どうやら准将それに上級曹長という階級が新設される模様です。ま、准将については現行の1等陸佐に3カテゴリーがあって、実質的に将補めいた1佐から行き止まりの1佐まであることを考えると、帝国陸軍には存在しなかった呼称とは言え、何だか意義がありそうに思えます。
准将、陸将補、陸将、統合幕僚長または陸上幕僚長たる陸将の将官4階級はたかだか16万人の勢力からするとトップヘビーの感は否めませんが、2〜3千人しかいない旅団長を准将とし、その2倍もいない師団長を将補にするというのならば結構なことだとは思います。が、ま、そんなことはないでしょう。屋上屋を重ねるのでは無く「軒下軒を重ねる」のが防衛省流のやりかたですから。陸曹(下士官)が5階級になるのもなんだかなあという思いがします。
少年工科学校が改変され、生徒は自衛官から学生になるそうですから、陸士の階級は3等陸士がなくなって、3階級になるわけでこれもまた、志願制で専門性を目指す陸上自衛隊の実態に即すものかもしれません。この上は、新設呼称との整合性を考え、その他の階級呼称は旧軍と同様にすれば宜しいのにと思います。
将来ロシアや“中華人民共和国”の様に尉官と佐官も4階級制にするとお役人様が考えるかもしれませんが、くれぐれも佐官に「准佐」は設けないで貰いたいものだと考えます。
あげつらいの恥じ
今回のサミットで安部首相の顔と名前が売れていないことを、我が国の報道機関がさも嬉しそうに言い募っているが、考えさせられる。一つには向こう側に関心が低いことがあることを考えるべきだろう。総理が知られていないのはともかくとして、他の日本人で良く知られている人がどれほどいると言うのだろうか。基本的には日本人蔑視とまで云わなくても軽視があることを想起すべきだろう。
で、底流には黄禍論的差別感が未だに彼等の内に引きずられていることを忘れてはならない。そして、黄色人種への蔑視は日々再生産、拡大されていることを日本人の多くは知らされていない。数年前、アメリカ合衆国西海岸で黒人やヒスパニックの暴動があったとき襲われたのが韓国人達の店舗だったことは事実の報道があったので覚えている向きも多かろう。決して尊敬され恐れられているのではなくて忌み嫌われ、軽蔑されているのだ。支那人達、ベトナム人達が海外で彼らの同胞からの搾取の対象となり、しかも地元で経済的、習俗的に社会的撹乱要因と見做されていること。
同じくベトナム人達と北朝鮮人達が奴隷的労働力としてロシアや旧東欧で自国政府から搾取されていることが知られていて、そのことで軽くみられていること。そして、日本人が海外で、単独では「チノ」、「チャイニーズ」、「シネーズ」と呼ばれることは経験した人も多いだろう。次には外務省の怠慢というか無力があげられよう。積極的なデータ配布もなければ、在外公館に資料請求の対象としての吸引力すらないということだろう。三には、殆どの日本人の表現力、説明力の欠如があるだろう。他国人の無知と無恥を啓蒙してやる親切心の欠落ということが出来るだろう。
最後には我が国の報道機関の発信力のなさを声を大きくして言わなければならないだろう。引用されるのは日本の恥、日本の落ち度と見做される、しかも基本的には誤報に類したことだけであることは、先に述べた対日蔑視に与することであることよくよく理解すべきであろう。通信社ではないのだから対外発信には責任がないとは言えないのだ。逆に、外信ネタの取捨選択による情報鎖国の増進もあるのだが、これはまた別の機会に触れたい。
また間違い(で、三太郎氏がお詫びするのかな。)
6月9日土曜日の「永六輔の土曜ワイド」では銀座が採り上げられ、色々な時代の銀座が紹介されていた。その中に終戦直後に和光にPXがあった頃のこともあったのだが、永氏がPXのPはポストで、だから郵便局のことで、あと雑貨品などもあった。と説明していた。
どうだろうか、POSTは場所あるいは施設あるいは職務の意味ではないのかと思う。だからPXは post exchange即ち交易所、交換所というほどの意味ではないかと思う。辞書的にも米国陸軍の売店、購買部、酒保等はあげられているが、郵便局という解釈は見られない。
米国英語では post office とは云うけれど、郵便は mail であり post は英国英語であろう。尤も米国陸軍は長くごく大雑把な組織だったから、あるいはPXで郵便も扱っていたのかもしれない。これは、米国陸軍の郵便制度の変遷を調べなければはっきりしない。ともかくも現在はそういうことはないようだ。
還暦より古い世代はPXを覚えているが、最近の人々にはなじみのない言葉のようだ。尤も陸上自衛隊では駐屯地の売店をPXと俗称しているようだが。ちなみに海上自衛隊の基地売店はBXと通称しているそうで、これはbase exchange ということらしい。
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