山 本  忠 文
 1  区  隊
 職種:通信科

平成19年7月以降JMAS特定非営利活動法人日本地雷処理を支援する会)カンボジア現地代表としてプノンペンに赴任した山本君からの報告です。

第1回  カンボジア戦線異状なし! (平成19年7月19日)

 先日は小生のカンボジア赴任に伴う壮行会を何度もして頂き有難うございました。

 14日の夜台風の襲来をを避け無事にカンボジアに到着いたしました。途中バンコックで乗り 継ぎのため約3時間時間待ちをしましたが朝6時に家を出て現地時間の19:30(JST21:00) に到着で、約15時間かかりました。(成田でのチェックインを2時間前に済ませるよう指示)

 第1印象はプノンペンは日本の地方都市位に賑やかで車も多く“とんでもない田舎”ではあり ません。天候気象も日本の梅雨時に出発いたしましたので余り暑さを感じません(尤もオフィス はエアコンが効いておりますが)たまに強烈なスコールが来ることがありますが約30分程で止 んでしまいます。その翌日は大概晴天でじりじりした暑さに見舞われます。 宿泊.食事は基本 的には当分の間(2W)ホテル暮らしですので全く問題なしです。但し、クメール語中国語ができ ませんのでメニュウが偏りそうです。

 仕事のほうは、16日に着任し同日、AMに日本大使館、PMにカウンターパートであるCMAC (カンボジア地雷処理センター)の長官(中将)&副長官に挨拶、表敬を実施致しました。JMAS のプノンペン事務所には日本人女性2人を含み7名がおります。日本人の2人は英語は勿論で すがクメール語もある程度出来、20代と若く且つ美人です。日本の若い女性にも大した人達が います。カンボジアのスタッフも英語が出来ますが、訛りが多く現在は未だよく聞き取れません。

 地雷、不発弾の処理現場にはいまだ進出致しておりませんが、努めて早く行こうと考えており ます。現場に行けば皆さんにご報告できる珍しい話題もあると思いますので楽しみにして下さい 。

 取り敢えず無事着任のご報告です。

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第2回  貧困は罪なり! (平成19年7月26日)

 カンボジアに着任してはや10日になろうとしております。業務的には不発弾事業(18年度分)は8月3日をもって終了予定で、最終報告書の作成、これと並行して次年度要求中です。地雷の方は5月末に開始したばかりでこれからというところです。月曜から昨日にかけCMAA(カンボジアの地雷処理に関する最高機関)の現地調査に同行してメコン川東岸のベトナム国境地域にまで行ってきました。

3:PMに事務所を出て先ずプリヴェーン州に向かいました。国道1号線に乗りましたが略舗装はされているのですが、途中何箇所かで工事中で殆どが日本の援助による工事のようでした。メコン川をフェリーで渡りましたが待っている間に多くの物売りや金乞いが集ってきたのには参る世同時にこの国の貧しさを痛感致しました。因みにフェリーの料金は9,000リエル(300円程度)で、僅か300mの川を渡るのにこの国の所得水準からすれば随分と高いと感じました。なお、軍隊及び政府高官の車は無料だそうです。

川を渡ってプリヴェーンに向かう道路両側のの風景は椰子の木と水が無ければ(雨季のため冠水箇所が多い)まさに日本の田園風景と変わらず長閑な景色でまさかこの辺りに不発弾が多数残っているとは想像できない位です。宿泊は「アンコールトム」という名前だけは立派なホテルでした。プノンペンのホテルではシャワーのみでバスタブがなかったのでバスタブを見つけたときはヤッタと思ったのですが、温かいお湯が出てこずやむ無くぬるま湯風呂で我慢いたしました。カンボジアでは余程良いホテルでなくては全ての設備が機能していることは期待しないほうが良いという教訓です。食事は近くのレストラン(大衆食堂)でとりましたが、ここの親父は威勢がよくまるで築地の魚屋の様な元気さでした。お陰で満席の盛況で、日本人らしいのも数名いたので確認したところUNICEFの人でした。翌朝は同じレストランで食事をし、食後のコーヒーを注文いたしましたがミルクが付いてなかったので頼んだところコンデンスミルクが出てきてその甘さに閉口致しました。

24日の午前中はプリヴェーンの州政府の講堂でミーティングが開かれ3時間ほど付き合いました。会議にはCMAAの副長官(フンセン首相のアドヴァイザー)、州知事、州警察の長官やCMAC(カンボジアの地雷処理の実行機関)の地域代表等そうそうたるメンバーが出席致し中々熱のこもったプレゼンテーションや議論が展開されましたが、全てがクメール語で且つプロジェクター等の補助ツールが無い口頭発表でしたので極めて苦痛な時間を過ごしました。隣でJMASのカンボジア人スタッフが英語で解説してくれるのですが、これも相当訛っており更に小声のため余りよく理解が出来ませんでした。その中で日本政府及びJMASに対する厚い期待が何度も表明され我々のやっていることは十分理解されているの感じ取れました。

午後からは、ヴァペットというベトナム国境の町に進出し周辺状況を視察いたしました。この町は現在台湾の資金でホテルが多く建てられ建築途上のものも沢山あります。全てのホテルはカジノ付きです。中には「Las Vegas Sun」というそのものずばりのホテルもあります。こんな所で誰が遊ぶのか?と聞いたところ、大半は台湾人、タイ人で一部ヴェトナム人も居り稀にカンボジア人もいるそうです。建築中のホテルを見ると近代的な建物ですが、足場が木製で針葉樹が無いためでしょうか何れも曲がった木を使用しており近代的建物と見事なコントロラストをなしています。

その後は約1時間をかけスヴァイリエン州に入り、同所のJMASの事務所で1宿1飯のお世話になりました。25日はスヴァイリエンの廃品回収業者の現況を見て回りました。金属類が高騰し且つ貧困者が多いので、不発弾を掘り起こし業者に持ち込む者が居りそれが事故に至るケースが結構有り問題化しているおります。我々が視察した中にも持ち込まれた弾を分解しようとして爆発し約1ヶ月前に両手の肘から先を失った8歳の男子が居り痛ましい限りでした。「貧困は罪なり」と実感させられました。

その後9時から再び前日と同じ様なミーティングでタフな時間を強いられました。昼食は州知事が小生のため超高級料理を準備して呉れて居ったそうですが、既に同所の現地代表と会食する約束をしておりましたので残念ながらお断りいたしました。
以上、感じたことを書きなぐりましたが、現地に出ると色々感じることがありますので又メールいたします。現時点すっかりカンボジアに馴染んでいます。
 

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第3回 日本の代表を自覚! (平成19年8月3日)

 激励メール有難う御座います。自民党大敗の中、佐藤君の上位当選良かったですね。陸自を中心とする自衛隊の現役.OBと防衛省の一枚岩となった団結を内外に示すことが出来、今後の彼の活動を力強く支えることと思います。

 小生のカンボジア勤務も早3Wを経過し、天候気象、食べ物、人間関係にも逐次順応し元気にやっております。暑さは雨季という事もあり然程暑いと感じません。尤も大半の時間はエアコンの効いたオフィスで過ごしておりますので東京の生活と大差はありません。カンボジアの食事は余りスパイシー(香辛料は自分で調整可)ということも無く、生野菜も最初は警戒をしたのですがノープロブレンです。但し、ボリュームが多く出たものを全部戴くとメタボになるのではと心配しております。

 仕事の方は、カンボジア南東部地域の不発弾処理については3個州で活動中でしたが本日を以って今年度の事業を終了しこれからは成果報告、会計決算、監査受け等が控えており今月は相当多忙になりそうです。また、北西部(タイ国境)に於ける地雷処理については5月末から今年度事業を開始し計画通り順調に推移しております。小生は不発弾の現場には2回参りましたが、地雷の現場には未だ進出しておりません。近じか出向きたいと考えております。

 今度の日曜日に木村防衛副大臣が來カされるのに伴い大使主催の夕食会が公邸で開催され、それにJMASの2名が招待され参加してまいります。こちらに来ると、カンボジア内外の色々なVIPとの交流の機会が結構あり日本を代表していると自覚させられます。

 今のプノンペンオフィスは施設が古く、やや手狭ですので移転を計画し昨日場所を決めてまいりました。ニュウオフィスは現オフィスの3倍強の広さで庭も広く小生もその2階に起居する予定です。その他ゲストルームも3つ準備して居りますので機会がありましたら遊びにお越しください。