1.はじめに 2007年7月から2009年4月の約2年間にわたってJMAS(認定NPO法人:日本地雷処理を支援する会)のカンボジア統括代表として勤務する得難い機会を与えられました。 勤務間に、何度か現地報告を故渡辺君に送りこのホームページにアップして頂きましたが、当時は、あまり時間的なゆとりが無く、カンボジアのインターネット環境が劣悪であったこともあり纏まった報告が出来ませんでした。 帰国後はや4年が経過し、そのまま放置すると記憶が薄れてしまい何も残らないので、時間があり、未だ記憶も確かな内に当時の体験、印象、所見、教訓等を整理しようと思いPCに向かっています。 前段部分は、固い話が多く退屈するかもしれませんがご勘弁願います。 後段部分では、皆様にとり興味のある様々なトピックスについてご紹介したいと思っております。 今後、トピックス毎に何回かのシリーズに分けて、報告しますのでご笑覧下さい。 2.JMASについて (1)設立の経緯 JMASとは、Japan Mine Action Serviceの略称で、日本では上記のとおりです。Mineを辞書で引くと軍事的には地雷、機雷と出ており不発弾は含まれておりませんが、国際的な通念では不発弾をも含んだ広い意味があると云われています。 専門的にはREW (The explosive remnants of war 爆発性戦争残存物) というのが正確です。 20世紀後半、世界の各地で発生した地域紛争の跡地には、膨大な数の地雷等が残されたままです。 その厳しい環境の中で、日々の生活を送る多くの人々が今もいます。 しかしながら、地雷地帯の処理安全化活動そのものを実行するNGOとしては、その行動の危険性と専門性から、民間人構成のNGOには限界があり、現在、効果的に活動している地雷処理関係の外国NGOは、軍歴経験者が中核となったNGOのみとなっています。 日本においては自衛官経験者が中核のNGOが期待されながら、様々な配慮から関係者はこの種の活動を控えてきました。 しかし、国際協力に関する日本国民の意識は、著しく変化し、自衛官経験者が中心となったNGOが設立されても、国の内外から誤解を招くこともなく、その真意が正しく理解される時期が到来したものと判断し、日本人の誠意と真心を国際協力の現場で、お金や物のみでなく現地で働く人間の姿として表現したいものと決意し2001年9月からの数次にわたる調査を経て2002年5月にJMASが設立されました。 (2) 事業実施の原則 実際に地雷処理事業及び不発弾処理事業を行うにあたり、この種活動は極めて危険を伴いかつ諸制約が大きいため、事業開始に先立ち次の4つの原則を確立しました。 ・活動地域に治安の安全がある。 ・活動地域、国家が自助努力の意思を持っている。 ・JMAS、日本に対して正しい理解が得られる。 ・JMASの能力対応事業がある。 この様な原則を踏まえて最初に事業展開をしたのがカンボジアです。 当初は、政府の資金援助も得られず、当時の主要なメンバーが自己資金でやるしかなく、多額の経費が掛かる地雷理事業は断念して比較的経費の掛からない不発弾事業から始めたと、聞いています。 (3) 日本人専門家とCMACの関係 現場でカンボジア人と共に活動する日本人は専門家或いはTA(Technical Advisor)と呼ばれ、主に武器科、施設科出身者が就いています。 実際に処理等の活動を実施するのはカンボジア人で、彼らはカンボジア地雷対策センター(CMAC)の要員です。 相互に指揮関係はなく、名前の通りアドバイザーとして技術的或いは管理上の助言を日本人TAが行っております。 CMACの不発弾処理は、EOD(Explosive Ordnance Disposal )と呼ばれる3名一組のチームが基本単位で、2個チームに一人のスーパバイザ―が付き1個班になります。 私が勤務していたころは26〜27個のチームがありました。 彼らは当時既に10年以上の不発弾処理の実績があり、日本人TAよりも豊富な経験を持った者も多くおります。 しかしながら、作業指揮、安全管理、作業記録処理、物品管理等の訓練があまり行き届いておらず、様々なトラブルや事故を引き起こしています。 これらに関して、日本人TA がOJTで指導に当っております。 日本人TAは、通訳、ドライバーと4輪駆動の車1台を指揮して、CMACの2個EOD +スーパバイザ―と共に概ね1〜2個州の不発弾処理を担当しております。 一方、CMACには、地雷処理のための要員も別途組織されており、こちらは約30名から成る小隊編成を取っています。 後ほど説明しますが、地雷処理は当に人海作戦であり多くの人員を必要とします。 JMAS担当地域の地雷処理(人力)には、3個の小隊が投入されておりました。 このほかに、不発弾等の情報収集や地域住民に対する危険防止のための啓蒙教育を担当するCBURR(Community Based UXO Risk Reduction)と云う地域密着型の要員がおり、1個州に4名程度が配置されています。 彼等は、別に警察官や地方自治体の職員等の仕事を持っている者が多く、地域での顔が広く、情報の収集には最適です。 自前のバイクで地域内と走り、話を聞きながら情報収集に当たり、手当はガソリン代に毛が生えた程度ですが頑張って活躍してくれています。 どちらが本業なのか? CBURRをやっていれば本業は疎かになるのでは?との心配をされる向きもいるとは思いますが、そこはカンボジアのいい加減なところであり何ら問題になることはありません。 3.カンボジアの不発弾、地雷汚染状況 (1)概要 カンボジアの不発弾汚染の原因は、1970年から1980年代の後半まで繰り返された内戦によるものと1960年から1975年まで続いたベトナム戦争によるものです。 そのため汚染はカンボジア全土に広がっておりますが、ベトナム戦争による汚染がより深刻で図1に示すベトナムとの国境沿い地域が不発弾処理活動の主な対象となっています。 図1: 不発弾、地雷汚染地域 ベトナム戦争当時、図2に示すように、ベトコンが北ベトナムから非武装地帯を避けて、ラオス、カンボジアを経由して南ベトナムに対しゲリラ作戦を行いその兵員輸送、武器、各種補給品を送り込んだのが諸兄の記憶にもあると思いますが所謂「ホーチミンルート」(ホーチミントレイルとも言います)です。 図2:ホーチミンルート 米軍が執拗な北爆を繰り返した、目的の大きな一つにこの「ホーチミンルート」の破壊があります。 この結果、カンボジア、ラオスに戦争の負の遺産として多くに不発弾が残されました。 また、1970年には3.5万人の米国、南ベトナム地上軍がカンボジアに侵攻しこれに大きな打撃と与え、ベトコンのゲリラ活動が半年ほど停止するほどでしたが国内外の世論を考慮し4ヶ月で撤退しております。 この際に使用された迫撃砲弾等の一部が不発弾として周辺地区に散らばっております。 一方、地雷については、1967 年ベトナム戦争当時に北ベトナムによって初めて埋設されたと言われています。 また、1975 年にクメール・ルージュ(ポルポト派)と呼ばれる共産主義が政権の座につき、内戦はさらに泥沼化していきました。 カンボジア北部・西部でタイ国境地帯に追い詰められたクメール・ルージュは、ここを最後の軍事拠点として防衛するために地雷を埋設する一方で、政府軍もこの地を地雷で包囲しました。 このようにして、双方によって仕掛けられた大量の地雷が、今なお北・西部の国境地帯に残っております。 大雑把な言い方をすれば、埋設された地雷は500〜600 万個と推定され、約30 種類の対人地雷と6 種類前後の対戦車地雷があり、主として中国製と旧ソ連製が多く見られます。 一方、投下若しくは発射された爆弾、砲弾の約10%程度が不発弾となり、その数は240 万個と推定されています。 発掘される不発弾の多くは、全長1.5m の500 ポンド爆弾、ボンビーと呼ばれるテニスボールほどの大きさの子弾、迫撃砲弾、クラスター爆弾です。 図1−1:カンボジア不発弾汚染地図 図1−2:カンボジア地雷汚染地図 (CMAC資料から) (2)地雷汚染を表わす統計(L1S調査、レベル・ワン・サーベイ) カナダ政府の資金で2000年、2001年にCMACとカナダのコンサルタント会社が、地形上立ち入り不能 だった2村を除く13,908ヶ村を対象に実施し、2002年4月にL1S調査(レベル・ワン・サーベイ)が完成しました。 その結果を地図上にプロットとしたのが上記の汚染図です。要約すれば以下の通りです。 1) 地雷または不発弾があると思われる地域:3,037地域、4,466平方q(全土の2.5%) 2) 地雷または不発弾で高度に汚染された村:1,640ヶ村(全村の12%) 3) 不発弾が散らばっている村:5,500ヶ村 4) 地雷または不発弾があると思われる地域の61%が北西部、北部のバッタンバン州、バンテアイ・ミエンチェイ州、 オダール・ミエンチェイ州、プレアブヒア州、パイリン直轄市にある。 対人地雷の存在が確認され、未処理な個所には右下の様な赤い髑髏のマークの看板が設置され、北東部の州では至る所で見受けられます。 不発弾、地雷の種類、写真は下記リンクで確認できます。 http://jmas-ngo.jp/ja/?page_id=97 4.不発弾処理と地雷処理作業の概要 大半の皆さんは、不発弾処理も地雷処理もほぼ同じようなやり方で行っていると思っているのではないでしょうか? 実態は、全く異なっております。 大雑把にいえば、不発弾は情報のあった場所からこれを回収・処理するというスポット的な処理であるのに対し地雷は地雷の存在する地雷原をべた押しで虱潰しに処理して行きますので、処理した跡地は安全宣言が可能です。 以下のその概略の要領について説明します。 (1) 不発弾処理 不発弾は、地雷原の様にある地域に纏まってあるわけではありません。 記述の様に投下或いは発射された爆弾、砲弾の約10%前後が爆発せずに不発弾として残されておりその分布は一様ではありません。 従って不発弾処理の第一歩は先ず不発弾の所在を確認することから始まります。 不発弾情報は、地方の住民、自治体、警察等から寄せられることもありますが、主に記述のCBURR要員が地域を回って口コミで情報を集めてきます。 また、開発工事や河川工事の折にたまたま大量の不発弾が求まって発見されることもあります。 これらの情報は、担当地域のCMAC (カンボジア地雷対策センター)に寄せられます。 この情報に基づき、スーパバイザ―、EODチームリーダーが翌日の行動要領(場所、経路、時間、回収要領、爆破処理要領等)を定めます。 翌朝、7時にEOD宿泊所(事務所)前でカンボジア国歌を斉唱(日本人TAも一緒に歌います)した後、体操、当日の行動要領の説明を行います。 自衛隊の朝礼とほぼ同じと思って下さい 。この際、健康状態の把握、服装・装具点検等を日本人TA が行い気分を引き締めます。 愈々、UBURRの先導に従い最初の回収現場に向かいます。回収作業は、対象物によって異なりますが、通常は先ず弾種、状態(特に信管等の有無)を確認して動かせるものはそのまま慎重に車に運び積載します。 車には、ショックアブサーバとして土嚢を積んでおり不用意に衝撃で爆発しないよう細心の注意を払っています。 稀にMK82 250Kg爆弾を回収することもありますが、おおむね自衛隊における不発弾処理と同じようなやり方で行います。 回収される不発弾の種類は、爆弾類(大型爆弾からクラスタ爆弾、子弾等)、加農砲弾、無反動弾、迫撃砲弾、榴弾、擲弾多種多様で、時には対人地雷も出てきます。 1ヶ所の回収を終えると引き続き第2、第3の回収現場に移動し逐次に回収して行きます。 何ヶ所を回るのかは、不発弾の種類、数量により異なりますので一概には言えませんが通常は一日2〜3ヶ所です。 引き続いて、爆破処理場に移動します。 爆破処理場は、未使用の広い空地を地主の許可を得て無償で使用しています。 この辺がカンボジアらしい大らかなところですが、小生勤務間に「この土地を開発使用するので、今後は爆破場としてお貸しできない。」と言われたことが一度ありました。 爆破作業は、まず穴掘りから始まります。 何度も同じ爆破場を使用しているとクレータのような状態になっていますが爆破する不発弾を設置するため地均しをして再度穴を掘りしっかりと設置します。 次に爆破のためのTNT火薬を不発弾の周囲に設置し導爆線を取り付けます。 導爆線に信号線を取り付け安全離隔距離として4〜500m位離して点火できるようにします。 この作業と並行して周辺に立ち入っている人、牛等を確認し拡声器でこれらに警告して、安全地域に避難させます。 これは、周辺に住む子供たちが小遣い稼ぎをするため爆破された砲弾の破片を拾いに集まって来るためです。 勿論これは禁止行為ですが、爆破の安全確認後は大目に見ているようです。 これもカンボジアらしい大らかさ、いい加減さでしょうか? 準備が完了すればいよいよ点火し、爆破処理ですがここで再度安全確認、警告を実施してOKであればゴーサインが出ます。 爆破後、破片の回収(これは必要がないのですが、不用意に子供たちが処理場に立ち入らないよう片付けます)、整地を行い最終的な安全確認を終えたら宿舎に帰り食事です。 食事は、場合によっては1〜2時頃になる場合もあります。 宿舎に帰った後は、EOD要員は機材等の点検整備、チームリーダー、スーパバイザ―はその日の作業記録の整備、翌日の行動計画の調整等を行い、その後は自由時間で食事の準備・喫食、シャワー、家族との電話、TV、外出等をそれぞれに楽しんでいます。 (2) 地雷処理 地雷処理は、不発弾と異なりL1S調査で既に地雷があると判断された地域を更に小さく分割して番号を付与し、これらをCMACの計画に従って順次処理をしてゆきます。 対象は対戦車地雷も含まれますが、実際にはその殆どが対人地雷です。 ア. 人力処理 処理要領は、人力による方法がメインで、小生勤務間に機械力による処理が始まりました。 人力処理は、幅1.5mのレーンを2名で、1個小隊では15m〜20mを担当します。 奥行きは地雷原の規模により異なりますので、1個エリアを処理するのに要する日数は、まちまちです。 1.5mのレーンでは、一度に約50pの奥行きを、雑草・木の伐採、地雷探知機による探知、反応があればその周囲を地雷探知棒を使いながら排土して所在を確認します。 この作業が最も緊張する場面です。 所在を確認した地雷は、直ちには処理しないでマーキングを施し、この作業を繰り返して逐次に前進するわけですが、隣り合うレーンとの進捗具合を確認・調整しないと1個レーンが突出し事故発生時の犠牲者を増大する等の問題が考えられますのでこの点にはTAも意を用いて助言しております。 午前中でこの様な作業を終了し、昼食後発見・確認されたマーキングのある対人地雷の処理作業を実施します。 知識のある方は安全化の処置を施してから除去すると考えかもしれませんが、これには相当な専門的知識・技術が必要で地元採用のデマイナー(地雷処理要員)が殆どを占める場合は危険で事故を起こしかねません。 実際は、発見された地雷に小さなTNT火薬を仕掛け(専門的知識のある者が)、各地雷を導線、導爆線で接続し一度にまとめて爆破処理する方法を採っております。 爆破後は、安全確認の後処理済み(安全化)の標識を付けて1日の作業を終了します。 1個エリアは、原則1個小隊で担当しますが、広い場合は2個小隊で行うこともあります。 この対人地雷処理にJMASでは、CBD(Community Based Demining)というやり方を採用しております。 それは、地雷原に汚染された地域の人々をデマイナーに採用することで農業以外に収入源のない地元住民に仕事の機会を提供してその生活レベルの向上を図る、そして自分たちの住むところは自分たちで安全化して自力での地域復興の気概を持って貰うことを目指したものです。 このため、CMACが地元住民に対して採用試験を行い合格者に対しトレーニングセンターで所要の教育訓練を行った後現場に配置して行きます。 応募者は、募集人員の数倍を超えるほどで、その中には20歳前後の若い女性たちも多く含まれています。 学校の先生や警察官の月給が40〜50ドル程度であるのに対し、危険を伴う作業とは云え100ドルの手当は、彼、彼女らにとっては極めて魅力的であるのは間違いありません。 イ. 機械処理 機械処理は、ブルドーザの排土板をトゲ(ビット)の付いた重いローラーに取り換え、ローラーの重量がかかったビットの先で地雷を踏みつけ爆破する方法を採っております。 ブルの前進速度でローラーの幅の範囲の地雷を処理するのですから人力に比し圧倒的に処理速度が早いと思われるかもしれませんが然程簡単なことではありません。 先ず、機械処置に適する条件を備えた場所はそれほど多くありません。 その条件は、おおむね平坦な地形であること、ドーザーが進入できる経路が存在すること、対戦車地雷がないこと等があります。 また、機械処理を行った後で、安全宣言をするには人力で地雷(金属)探知機を使って処理破片を回収する必要があり、これに相当な人員と時間が掛かります。 JMASでは、この機械処理と並行 (連携) して道路の補修・整備、溜池の設置、学校の建設等の地域開発事業を行っております。 そのため、処理機の他にブルド−ザー、グレーダー等の機械を備えその運転操作、整備要領等についてCMAC隊員に技術移転のための教育・訓練も実施しております。 このための費用は、外務省のNGO連携無償資金では支援の対象外のため某民間企業から機械、技術支援及び数千万円の資金援助を受けて実施しております。 この事業で気にかかるのは、事業対象地域となった住民は受益者であり大歓迎ですが、隣接地域の住民には羨まし(恨めし)がられ隣接地域住民間に摩擦が起きることです。 そのため、地域の選定にあたってはCMACが地域を管轄する州政府と事前に十分に話し合いその了解・要請に基づき事業を進めるよう留意しております。 「良かれと思ってやっていることが、思わぬ事態を招くことがある。」という貴重な教訓です。
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山本 忠文
1区隊 (通信科)