カンボジアってどんな国?

1. 概観
 カンボジア勤務の打診を受けて諾否を検討していた時に、家族、親類、知人等に一応了解を得るべきであると思い、その話をすると最初に返ってくるは「カンボジアって未だまだ危ないんじゃないの?」という言葉でした。 
自分自身はある程度の危険は覚悟しており、自分がしっかりしておれば何ら問題がないと思っておりましたが、一応インターネットで諸情報を集めましたところ昔と違い大きなリスクはないと判断し受諾致しました。

 カンボジアは東南アジアのインドシナ半島に位置し、国土面積は約18万平方キロと日本の約半分、隣国ベトナムの半分、タイの1/3の国土を有しています。
東側はベトナム、西側はタイ、北側はラオスと国境を接し、南側はシャム湾となっています。
国土は大半が平野であり、国土の中央をメコン川が南北に流れ、北西部の中心に巨大なトンレサップ湖(面積:乾季は 2,600 平方km、雨季は 13,000 平方km)があります。
人口は、約1,500万人で日本の1/8ですので、一人あたりの専有面積は日本の約4倍と云うことになりますが、平地部が多くを占めておりますので実感としては10倍程度のゆとりがあります。

 気候は熱帯モンスーン気候であり、季節は大きく6月〜10月の雨季と、11月〜5月の乾季に分かれ、3月〜5月が最も暑い時期で日中の気温は40度にも達します。
雨季にはメコン川が増水し、トンレサップ川に流れ込み逆流を起こし、逆流した水は上流にあるトンレサップ湖に流れ込み、湖の規模は最大5倍にまで拡大すると言われています。
この湖がバッファ的な役割を果たしでカンボジアには、タイ、ラオス等の隣国の様な大洪水の被害が殆どありません。

              
上:雨季(2007年10月) と、下:乾季(2008年3月)のトンレサップ湖北部
 
 

(1) 治安
 実際に赴任してみると、殆ど治安上の問題はなく、夜間の路地裏の独り歩き等の特殊な状況を除けば不安を覚えることはありませんでした。
新聞、TV等の報道を見ても他の東南アジア諸国と同様で交通事故や盗難事案が主で殺人事件等は余り目にしたことはありません。

 その中で、結構頻繁に発生する事件は、バイクの後部座席に乗っている女性、特に外国人のバッグが引っ手繰られるもので、最悪の場合バッグを手放さないためにバイクから落ちて後続の車に轢かれ大怪我や死亡することもあります。
また、内戦における経験から自己防衛意識が強く銃器を自宅に隠し持っている者が少なからずおります。
勿論日本と同様に法的には銃器の所有は許可を得た者のみに許されているのですが、当局が厳しく取り締まっていないようで小生の部下も持っているとのことでした。
稀にこれを使用した事件が発生することがありますが、諸国並みといったところでしょう。

 在カ日本大使館は、夜9時以降の邦人の一人での行動は危険であり、慎むようホームページ上で訴えております。
やや慎重過ぎる対応とも思いますが極稀に事件が発生することもありますので責任ある立場上止むを得ないのかもしれません。
小生の夜遊びの場合は、常にカンボジア人スタッフが同行してくれますので全く心配はありませんでした。
また、事務所の近くの交番(警察署)の警官に「代表は、大事な人だから、何かあったらしっかり面倒を見てくれ。」と、お願いしてあるので大丈夫ですとスタッフが自慢げに話してくれましたが、如何にもカンボジアらしいと苦笑を禁じえませんでした。

 総じて、油断をしなければ現在のカンボジアは、治安上全く問題がないというのが結論です。

(2) 対日感情
 以前にも書きましたが、カンボジア在勤間に日本人である故に不愉快な思いをしたことは一度もありませんでした。
むしろ日本人故に親切にされたり、尊敬されたりしたことの方が圧倒的に多く大変過ごし易く感じました。

 わが隣国との間では、未だに戦争を巡る諸問題が政治的な問題として関係改善の大きな障害となっておりますが、カンボジアを始めその他の東南アジア諸国では全く問題にはなっておりません。

 カンボジアにも旧日本軍が進出致しましたが、当時は食料も豊かで住民の生活を圧迫したり、強制的な措置を講じたりしたことも殆ど無かったのではと思います。
むしろフランスの統治から解放してくれたという恩義を感じているようです。
日本の敗戦でフランスからの解放は一時的なものに終わり再びその統治下におかれましたが多くの人との会話で何度もその話が出てまいりました。

 米欧の列強を相手にあれだけの戦いをしたことも高く評価していますが、それ以上に彼らが強く感じているのが敗戦後の日本の戦後復興の目覚ましさです。
当に「アジアの星」として、尊崇の的となっております。
カンボジアも長期の内戦等で大きく破壊され、現在、それからの復興途上にありますが、遅々たる進捗状況です。
これに比して、日本の戦後復興の、速さと規模が目覚ましく瞬く間に世界第2位の経済大国になってしまったのを驚きと尊敬の念を交えて称えてくれます。

 これとも関係しますが、日本の技術力の高さ、日本製品の優秀さは、カンボジア人が等しく認めるところです。
マーケットに行きますと、「Nasonal」や「Sonny」、「Mitsuboshi」と云ったもどき(・・・)商品が片隅にこっそりと置いてあるのを見て大笑いしたものです。

 また、カンボジアに対する日本の経済援助を始めとする各種支援額はカ国被支援額の20%強を占め、関係国の中で最も多く最大のドナー国です。
近年、中国や韓国が積極的にカンボジアの開発に取り組み始めておりますが、概してカンボジア人の評判は悪く、彼らは金儲けでやっているだけで、本当にカンボジアのことを考えているとは思えないという声(小さな)を聴かされました。

 その他、同じ仏教国であることや、日本人の勤勉さや穏やかな国民性にも親近感を覚えているようです。
更にわが陸上自衛隊が初のPKO活動をカンボジアで実施して、素晴らしい成果を上げたことも我が国に対する好感度の向上に寄与したことは疑う余地がありません。

日本政府の支援によるプノンペン都洪水防御・排水改善計画 
 

(3) インフラの破壊と復興
  ご存知の通り、カンボジアは約20年間の内戦やベトナム戦争で壊滅的な打撃を被りました。
約20年前の国連(UNTAC)による暫定統治を経て、国際的な支援を受け逐次復興を遂げつつありますが、特にインフラの状況は目を覆うばかりで、小生が勤務していた5年前でも道半ばと云うよりこれからと云う感じでした。
首都のプノンペンやアンコールワットで有名なシェムリアップ等の都会はともかく、農村部に行くと丁度我々が小学生の頃の日本の農村風景そのものである種のノスタルジーを覚えます。

 インフラの状況については、別項である程度詳しくご紹介したいと思います。
内戦時にポルポト軍により200〜300万人に及ぶ大虐殺が行われたことは、広く世界に知れ渡っていますが、彼は資本主義を否定し農村革命を目指していたため、その障害となる人物の抹殺を図りました。
その対象が、技術者、研究者、高級官僚、医師、先生等の所謂テクノクラートでした。
当に復興の牽引力たる人材がほぼ全滅状態となり、これが我が国の目覚ましい戦後復興と大きく異なるところです。

 しかしながら、速度は遅いものの着実に復興が進捗しつつあるのも確かです。
多くは国際社会の財政的、技術的支援に依存していますが、ほんの少しずつ自力復興の気概も芽生えつつあるような気がいたします。

(4) 教育
  カンボジアの教育制度は、我が国とほぼ同じで6・3・3制を採っており、中学校までは義務教育になっています。
日本のタレントの某氏がTV番組で「カンボジアに学校を送ろう」キャンペーンを展開し、それなりの成果を上げたようですが、問題は箱物よりもその質・内容です。
ポルポトの大虐殺でも述べましたように、優秀な先生達が殆ど抹殺されて、字が読める、字が書ける、計算ができるだけの者が先生となっているのが実態のようです。

 学校は、午前と午後の2部制となっており先生も交代します、学校が少ないこともその要因です。
また、優秀な先生がいない原因の一つにその処遇の低さがあげられます。
都市部で一家4人程度が生活するには、300ドル/月ほど掛かりますが、小学校の先生の月給は、40ドル前後です。
これでは生活が出来ませんので、空いた時間に塾生を集めて教えたり、他のアルバイトをしたりして生活費を補っているようです。
本当かどうかは定かではありませんが、若い女の先生で売春をやっている者も居るとの噂を聞いたことがあります。
生徒の側から見てみると、小学校の入学率はほぼ100%だそうです。
しかし農村部では、高学年になると子供も大きな労働力とみなされて、休んだり、実質的に退学したりする生徒があり、卒業するのは2/3程度のようです。
これも本質的には貧困に起因するものと思われます。 
新聞の報道で、就学を促進するため国際機関が基金を募り、それで朝食を学校で支給するようにしたそうですが、就学年齢に満たない弟や妹も一緒に来て食事をするので予算が不足しつつあるので、ご協力をお願いする旨の記事が載っておりました。

 一方、プノンペン等の都市部では近年親が子供の教育に熱心になりつつあります。
どこの国でも子供の将来の幸せを願って、生活にゆとりが出てくると少しでも良い教育を受けさせようとするようです。
そういう意味では、カンボジアも復興が進みつつあるといえるかもしれません。
当然高等教育を受けさせようとすれば、それなりの資金が必要です。 
これに伴い、都市部では子沢山の家族は減少しつつあります。
JMASカンボジア事務所のドライバーが、子持ちで一人っ子でしたので「もう一人作らないのか?」と聞いたところ、子供の教育に金がかかるのでもう少し金を貯めてから作る積りとの事でした。

 都市部と農村部の経済格差を如実に表わす好例があります。
農村部へ行くと殆どの人がスマート、スリムな体型をしていますが、プノンペンではメタボな人間を多く見かけます。
近年糖尿病や、高血圧が増えているので運動習慣と食べ過ぎに気を付ける様にとの新聞記事を見かけたことがあります。
どこかの国でよく聞く話です。
経済発展と健康問題は相当相関関係があるようです。

(5)インフラ事情
  既に触れましたが、内戦の破壊活動によりカンボジアのインフラストラクチャーは壊滅状態になりました。
その後の復興努力により、逐次に整備が進んでおりますがその歩みは極めて遅く、大戦後のわが国の復興に比し相当の格差があると感じました。
これは、復興を担うべき人材の多くが虐殺されたこと、国際的な支援に頼るしかない貧弱な財政・経済基盤が大きな原因と考えられます。 

 以下インフラの内主要なものについて、説明したいと思います。

ア. 道路、交通事情
主要国道 
 
開発拠点と主要道路 
 
                            
 カンボジアの交通手段は、鉄道が殆どと云っていいほど機能しておりませんので、バス、トラック、ワゴン車、乗用車、バイク等が主体です。
このため道路網が極めて重要な役割を果たしていますがその整備状況はさみしい限りです。
主要国道は上図の通り1〜7号線ですが大半は2車線道で一部が4車線道です。
小生が勤務中はその大部分は舗装されており、未舗装の国道も舗装途上にあり国道に関してはお粗末ながら何とか使用に耐える状態でした。

 しかし、これらの国道も一度整備をすれば後は使うだけで事後の維持整備が出来ておりません。
国道に穴が開けば、その穴に石ころを入れて急場しのぎの応急処置がなされるだけで、本格的な整備は相当状況が悪化しなければ行われません。
国道以外の地方道は、未だほとんど舗装がされておらず雨季になると泥濘化したり、轍で車がスタックしたりするのは日常茶飯事です。
JMAS、CMACの活動する地域は殆どが地方道ですので4WD車を使い、経路の選定を慎重におこないこれを回避するのですが、状況によってはある地点以降は徒歩で前進することを余儀なくされるケースも稀ではありません。

 鉄道に関しては、唯一の港があるシハヌークビルからプノンペンを経由してバッタンバン州まで一本の錆びた鉄道が敷設されてはいますが、小生が勤務期間にこの上を列車が走っているのを見たのは僅かに2回のみです。
最近は、以前よりは利用されているようですが、貨物専用のようです。

 このため、殆どの輸送、移動手段は上記の様なエンジン付きの移動体です。
これらの多くは、所謂中古車がであり日本製(輸出車を含む)が相当な割合を占めています。
乗用車は、トヨタしかもカムリが3割位で、残りがその他の日本車、外車が占めており大半は劣悪な道路事情のためか4WDです。
最もポピュラーな移動手段がバイクで、これもホンダ、スズキ、カワサキ等の日本車が9割ですが、最近では隣国のタイやベトナム製の日本メーカーのバイクも見かけます。

 これらの隣国製品は、品質的に劣るとのことで、中古車の価格落ちが大きいため日本製の日本車に人気があります。
バイクは、個人的な使用割合も多いのですが「モトドップ」と云うバイクタクシーが気軽、安価な手段として多用されています。
モトドップの運賃は、行き先を告げ運転手と交渉し決めるシステムになっております。
モトドップは、原則二人まで客を乗せますが交渉すれば三人まではOKです。
個人使用のバイクは、交通規則はよく判りませんが時には乗用車並みに五人も乗っているのを見かけることがあります。
命がけのスリリングな光景ですがカ国の人は、全く意に介していないように感じます。

 日本ではバイク乗車時のヘルメットの着用は、義務化され略100%守られておりますが、カ国でも規則上は着用義務があります。
しかし、これが殆ど守られていないのが実態でした。
小生在任間に、これによる事故の増加に伴い違反者には罰金を課すとの政府通達が発出されました。
これによりヘルメットの着用率は3割程度に向上しましたが、依然として低調です。
これには、カンボジアならではの理由があります。
取締りの警官が違反者に袖の下を要求するためです。
罰金を払えば、3ドル程度ですが警官に2ドルを払えば見逃してくれるのです。
考えてみると両者にとってはウィン・ウインであり、余り良い事とは思えませんがなくなりそうもありません。

 また、当然のことではありますがバイクを運転するには免許証が必要です。
しかし、子供が無免許でバイクに乗って走り回っています。
事務所のハウスキーパーの女性も無免許でバイクに乗って平気な顔で通勤してきます。

 近年、プノンペンの様な大都市部では車やバイクが急増し交通渋滞が起きつつありますが、これと同時に交通事故も増大の一途をたどっております。
一方、事故に備えた保険制度が無く、事故が発生すれば示談で解決しています。
加害者が金持ちや、公用車の場合は、それなりの示談金が支払われますが貧困層も事故の加害者になることがあり、その場合が問題です。
事務所のプロジェクトマネージャーに「事故に備えて保険に入らないのか?」と尋ねたところ、その様な保険がないとの答えが返ってきました。
理由を聞いてみると、「一時は、保険制度が出来たが保険会社がお金を集めて外国に逃げてしまった。」ため、この制度は信用されなくなったそうです。
社会保障制度の貧困さを裏付ける好例で、何とも不安ですがひたすら事故を起こさないよう指導し安全を祈るばかりでした。

 その他の交通手段としては、自転車の前に座席を設けたシクロという人力車やバイクの後ろにリアカーを付け数名が乗車できるツゥクツゥクと云う乗り物がありますが、これらは東南アジアでよく見かける乗り物ですので説明は差し控えます。

                     
 5人乗りのバイク  荷物を満載したバイク(未だ軽い?)

イ. 電力事情
 カンボジアの電力の大半は、火力発電に頼っており、水力発電は2〜3箇所しかなかったと記憶しています。
勿論、原発や最近脚光を浴びつつある太陽光発電や風力発電は皆無です。
また、送電網は国土の半分程度しか伸びておりませんので、電気のない生活を強いられている人々が6〜7割おります。
所要電力量に対する発電能力が極めて低く、電気が有る所でも、頻繁に停電に見まわれます。
そのため、電気料金は、周辺国の2〜3倍はします。

 首都プノンペンに有るJMAS事務所ですらほぼ毎日のように停電があり、その都度自前の発電機で凌ぐ毎日でした。
発電機の容量が十分ではなくエアコンまでは無理で、業務上必須の照明及びPCへの給電がギリギリいっぱいでした。
一度停電があると、約2〜3時間復旧いたしませんのでエアコンの効かない室内は徐々に暑くなり、そのうちに窓を開放したほうがマシな状態になります。
この停電も地域差があり、政府要人が多く住む地域は殆ど停電が無いようで、こんなところにも差別化が見られ「復興はまだまだダナー」と感じさせられました。

 不思議なのは、送電網の届いていない田舎に行ってもテレビのアンテナが林立しているのを見かけることです。
電気がなくて、どのようにしてテレビを見るのか聞いてみると、バッテリーを使用しているとのことでした。
自動車用のバッテリーを各戸に2つ程保有し、交互に「充電屋」に出しているようです。
充電屋では、発電機を数台持ってバッテリー充電を商売としていますが、これにも資金が必要であり金持ちが益々儲かる仕組みになっております。

 カンボジアの経済的、特に工業発展のためには電力事情が大きく影響いたしますが、現状これが大きなネックであり近代化を妨げています。
最近、ベトナムへの我が国の原発の輸出が取り沙汰されておりますが、カンボジアもその次のターゲットとして考えられるのではないでしょうか?
これには、設備の建設はもとより技術者の育成等も含めた、パッケージでの支援が必要なのは皆さんご承知のとおりです。

ウ. 医療・衛生事情
  カンボジアで暮らしていると、物価は安く、対日感情がよく、食べ物も美味しく、治安もマアマアであり、中々住みよいところですが一番の難点が「病気になったらどうするのか?」ということです。
プノンペンでもまともな病院は殆ど無いと言っても過言ではありません。
そのため、大きな病気にかかるとお金のある人はベトナムの病院に入院します。
プノンペンからホーチミン(旧サイゴン)までバスでは片道15ドルで行けますので比較的気軽に利用している人もいます。
もっと金持ちで重症の人は、タイのバンコックの病院にゆきます。
タイは、近年医療ビジネスに国をあげて注力しており、先進的な医療も可能です。

 病院には、殆どの言葉をサポートするスタッフがおり設備・機器も最先端のようです。
また、病室はホテル並みで、食事も充実しているとのことです。
(実はJMASの日本人経理スタッフが二人共入院いたしました。)

 プノンペンですら上記の様な事情ですので、田舎に行けばどのようなのかは大体想像できると思います。
比較的大きな都市部でも小さな病院が2〜3箇所、農村部では診療所的なものが郡部に1箇所位で、何もない郡部も少なくありません。
そのため、田舎の人々は病気や怪我をすると薬局で薬を買って自分で手当を致します。
その薬局すら、近くに無く遠くまでバイク等で走ってやっと手に入れる人もいます。
更には、その薬を買う金もないという貧困層もあり、彼らは昔から伝わる民間療法に頼っています。
小生の知っているのは、風を引いて熱がある場合にコイン等で皮膚をひっかく方法でミミズ腫れになっているのを何度か見ました。
効果の程を尋ねてみると、すっきりして少し良くなったような気がするとのことでした。
また、「タコの吸い出し」のような療法もあり、1週間ほどその後が残っているのをよく見かけたものです。これは、肩こりや疲れを取り、元気になるとのことでした。
このように見てくると、「人の命はお金では買えない!」とよく言われますが、金がなくてまともな医療が受けられず命を落とす人が数多くいることも事実です。

 衛生環境でショックを受けたのは、トイレのない家があるということです。
はじめは、本当かと耳を疑いましたが、やはり事実でした。
都市部でも2割位、農村部では7割位の家にトイレがありません。
農村部では、川や水たまり、庭先等で用を足しています。
それに蝿が集り、飛んでいって食べ物に止まるので、不衛生極まりありません。
プノンペンのような大きな都市部では、下水道も整備され可成り状況は改善されていますが、公共場所のトイレに入るとその汚さにたじろぐのを幾度も経験しました。
(日本のトイレ事情が良すぎるのかもしれません)

 街中の道路では、ゴミが散乱しています。
また、食堂に入ると、最初にすることは食器を紙で拭く仕事です。使用する紙は、ティッシュペーパーではなくトイレットペーパーをケースに入れたものがおいてあります。
食器は勿論洗ってあるのですが、道路が舗装されていないためホコリをかぶりますので、使用前にもう一度拭く次第です。

 この後が問題です。
拭くのに使った紙を彼らはなんの抵抗もなく床に捨てるのです。
最初に見た時は、一部の程度の悪い人間かと思いましたがJMASのカンボジアスタッフを含めほぼ全員がこれをやります。
悪い人達ではないのですが、「自分さえ良ければ」の行為であり公徳心が乏しいと言わざるを得ません。
近年、街の美化についても行政が係るようになり、徐々にではありますが改善の兆しが見えてきたように感じます。
(余りにもやるべき課題が多く、それどころではなかったのでしょうか?)

 環境面で、苦労したのは蚊の多さです。
御存知の通り、蚊はデング熱等の各種伝染病を媒介しますのでその駆除は病気予防のためには必須と思うのですが、行政サイドではそのような取り組みを見かけたことがありません。

 そのため、自ら防護処置を講じるしか方法がありません。
事務所やベッドルームには一応網戸がついておりますが、トイレには網戸がなく而も窓にはガラスがハマっていない状態です。
トイレに入ると蚊の大群に襲撃され、トイレのドアを開閉するたびに室内に蚊がとびこんでまいります。
蚊取り線香や手で蚊を殺しても数が多くとてもやっつけられませんので、「何か良い物はないか?」とカンボジア人スタッフに尋ねると電気で殺すものが有るとの答えが返って来たので、早速買いにやらせました。
買ってきた物を見ると、丁度テニスとバドミントンのラケットの中間くらいの形のものでネット部分に電流が通っており所謂電撃器でした。
その効果は絶大で一振りで数匹〜10匹の蚊を仕留められます。
価格は5ドル前後だったと記憶しております。
その後、トイレ、浴室の窓部分にネットを張る工事を頼み、蚊の悩みから開放されました。
尚、カンボジアにも蚊取り線香はありますが、燃え尽きるのが早く日本製にはとても叶いません。
(日本製も売ってはいますが、倍以上の価格です。)

 この様な医療・衛生環境のもとでカンボジアの人々は、必死に生きているのですがその平均寿命は、小生在カ当時は58才前後でした。
これは、内戦による虐殺、戦死者の影響も少なからずあると思いますが、我が国に比し20数歳に短く医療衛生面での抜本的な施策が望まれます。
最近のデータを見ると、63才前後に伸びたようですが、依然として厳しい現況に変わりはありません。
安倍政権になり、最近医療パッケージ(施設、設備、人材の育成等)ODAの報道が見られますが、誠に時宜を得た素晴らしい施策であり、早期実現を期待しております。

エ. 通信・情報
  カンボジアに来て驚いたことに一つに、携帯電話の普及ぶりです。
固定電話の台数を携帯電話の台数が世界で最初に上回った国がカンボジアだそうです。
勿論、固定電話の普及が内戦等による国土の徹底的な破壊で殆ど進んでいなかったこともその要因だと思います。
この国では、何でも中古品が販売されていますが携帯電話も例外ではなく、程度、機種にもよりますが新品のほぼ半額程度でやりとりされています。

 日本では、未だにSIM固定で一つの通信会社しか利用できませんが、この国ではSIMフリーになっており如何なる会社のSIMでも入れ替えが自由で、それに対応したプリペイドカードを購入すれば金額に応じた時間通話が可能です。
面白いのが、プリペイドカードは、5ドル、10ドル、20ドル等に設定されており、少額のものはありません。
あまり金のない人は、5ドルのカードを購入して使いきってしまうと新しいカードを買う余裕がありません。

 そこで登場する商売が、貸携帯電話業で路上の至る所に店開きしております。
ここでは、3分間1,000リエル(25円位)で電話がかけられます。
次のカードを買う金が出来るまでの急場しのぎです。
必要のあるところには、商売値のネタはあるものです。

 国際通話が、驚くほど安く日本まで1ドルで3分間もかけられ、通話品質も十分でした。
日本国内で携帯電話で通話しても同じくらいかかりますので、気楽に利用致しました。

 インターネット環境は、現在はある程度改善されているかも判りませんが、当時は日本との格差が大きくお粗末な状況でした。
日本では、つなぎ放題が当たり前でしたが従量制でその料金も初期の日本の接続料金並みで、カンボジアの物価を勘案すると極めて高額になります。
速度も余り上がらず、Skypeが辛うじて使える程度でした。
従量制ですので、1ヶ月○○Mバイトと契約しそれをオーバーするとなんの予告もなく接続を切られてしまいます。
サービス会社に電話連絡し、新たに料金を納入してはじめて利用が再開出来る仕組みです。
東京のJMAS本部や日本大使館との調整は、殆どインターネット経由のメールに頼っておりますので、停電とともにネット切断は業務実施の上で大変な痛手でした。

オ. 水道事情
  東南アジアに旅行する場合に、特に気をつけるよう注意される事は「生水を飲まないこと」ですが、カンボジアも例外ではありません。
赴任直後の2ヶ月間程、ホテル住まいをしたと申し上げましたが、朝食はいつもホテルでブッフェスタイルのものでした。
台湾資本の中華系ホテルでしたので、お粥や麺類もあり助かりました。
野菜は、熱を加えた料理もありましたが、大半は生野菜です。
鮮度も悪くなく、一見美味しそうですが、生水で洗っているので危ないのでは?と思い当初は中々手が出ませんでした。
何日か過ごす内に周辺の客を観察してみると、誰もが平気で生野菜を食べています。
レスラン従業員に確認すると、当然のことながら「大丈夫!」との回答でした。
その後、恐る恐る少しずつ試しながら、摂取量を増やしてゆきました。
結論から言えば、全く問題ありませんでした。

 その後、諸情報を確認するとカンボジア(プノンペン)の水は、日本の技術・経済支援で浄水されており、そのレベルは世界でも有数とのことでした。
然し乍ら、各家庭レベルの水道に関しては生水を飲むのは相当の勇気がいるようです。
事務所の水も、一般の水道水ですので飲用にするのは躊躇われミネラルウォーターを購入しておりました。
世界レベルの浄水システムが有るにも拘らず、家庭系の水道が何故心配かと言うと、それは水道管システムに問題が有る為です。

 一般的にこの国では、メンテナンスの概念が乏しく一度整備すると事後の整備をせず、全く壊れてから初めて整備に着手します。
それも予算が潤沢でないため、遅れがちになるのが常態のようです。
水道管にヒビが入り、水漏れや不純物の混入のより、きれいなはずの原水が家庭に届くまでに不衛生な水になってしまいます。
事務所の水は、貸主の大家の話では、ほぼ大丈夫とのことでしたがそれを試す度胸は出ませんでした。

 カンボジアでは、通常ビールに氷を入れて飲みます。
エアコンが完備した室内のレストランは例外ですが、外気が暑いためビールが直ぐに温まってしまうからです。
「氷は大丈夫か?」との声が聞こえてくるようですが、小生の知る範囲では氷で下痢をしたのを聞いたことがありません。
どの様にして氷を作っているのかは、定かではありませんが何故か大丈夫なようです。
氷をリアカーに積んで売り歩くのをほぼ毎日のように見かけましたので、問題はないと思います。


   
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(その3)
カンボジアってどんな国?

山本 忠文
1区隊 (通信科)