このアフラシャブの丘には、サマルカンドの旧都が
築かれていたが、1220年、ジンギスカンの軍隊に
よって破壊されたそうです。

有名なレギスタン広場には3つのメドレセ(神学校)があります。


また、バザールに行ってしまいました。
オレンジ色のレモンや、黄色い人参、ピンクのじゃがいもなど珍しい果物や野菜がならんでいました。


タシケントに到着。 タシケントは中央アジア随一の250万人の町。
1966年(そう、66期生は忘れることもできない年)に大地震があり、町が壊滅して、ソ連各地から3万人以上の
「革命的労働者」の投入によって、3年間で新しい近代都市に生まれ変わったそうです。
ブロードウェイを歩く若者たちの中では民族衣装はあまり見受けることはありませんでした。

日本に帰ったら思いっきり魚を食べたいものです。

峠越えの道路沿いに産直の果物や蜂蜜を売っていました。
随分小さなりんごを売っていました。

チムールの眠るグリ・アミール廟と、石棺(中央の黒い棺)。

上は「青の都サマルカンド」を代表するビビハニムモスクで、ビビハニムはチムールの王妃で
ジンギスカンの孫でした。

下はチムールゆかりの人々の霊廟が並ぶシャーヒジンダ廟群で、今も修復が続いています。

3つ目のシェルドル・メドレセで不肖 中埜和童が尺八パフォーマンスをしていました。
現地の弟子にも手ほどきをしました。

左は、ウルグベク・メドレセ、右はティラカリ・メドレセです。

C

サマルカンドは長い歴史を持ち、チムール帝国の都として「青の都」と呼ばれていました。
今も100万人を擁す中央アジア第二の都市です。

いよいよ、タシケントへ帰ります。

民族楽器屋のオヤジさんとコラボ。     

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