死後、チムールはサマルカンドに葬られたが、本当はこのシャハンギール廟に葬られることを望んでいたらしく、石棺も準備されています。

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今日は1日中、ブハラの観光。イスマイール・サマーニ廟は
892年から943年にかけて造られた中央アジア最古の
イスラム建築で、世界遺産の資金で周辺を整備中でした。

公園でウズベク人のサーカス一家が鉄棒の準備をしていたので、
ちょっと見ていたら思わず引き込まれて1時間バッチリ見てしまい、
おひねりを渡して、後髪を引かれながらバザール見物に行きました。

チムール像の後ろにはアク・サライ宮殿の入り口のアーチ跡が
そびえています。
チムールはモンゴル系の出身で、1336年にこの地で生まれ
大帝国を設立したが、中国への遠征中に風引きで亡くなりました。
夫人のビビハニムはジンギスカンの孫で、今もシャフリサブスには
モンゴル民族が多いそうです。

牧畜や農業が行われている中を、車を走らせ、チムールの生まれ故郷シャフリサブスに到着。

沙漠の中にガスの採取施設がありました。
思い出しましたが、ウズベキスタンは金の産出量世界3位だ
そうで、おっちゃんも、おばちゃんも、姉ちゃんも口をあけると
金歯がきらきら輝いていました。
農薬が凝縮されて死の海になってしまったアラル海にも
石油が見つかったとのことで、「色々あるんですね」という
所見を持ちました。

ブハラから45km程のところ ギジュドゥワンに有名な陶器工房があると言うので見に行きました。
緑と黄色に特徴があるそうです。陶器を作っていた娘さんが草木染のスカーフの仕方を展示してくれました。

ブハラのシンボル カラーンミナレットは52m 105段の階段を懐中電灯をつけて上る。
案内の少年は流暢な日本語で「頭に気をつけてください!」と注意してくれました。

5日目は、チムールの生まれ故郷シャフリサブスを経由して、チムール帝国の都サマルカンドまで移動します。
この日も結構走りました。

バザールでは、ありとあらゆるものが売られていて見ていても飽きない。
上段はスパイス屋と米屋のお兄ちゃん、下段は民族服屋さん。 小生も同化してしまいました。