中埜和男(和童)
幹候:8区隊 職種:通信科
防大ブラス三昧の記 今年、平成26年11月3日、横須賀文化会館で、第50回防大吹奏楽部定期演奏会が開催されました。 我々10期生が昭和40年にスタートさせた定期演奏会が、ここまで途切れずに続いてきて、横須賀市民をはじめ多くの人々に愛されて続いてきたことを考えると感慨無量です。 (防大吹奏楽部ホームページ 第50回定期演奏会のお知らせ) 当日の様子を武縄 正君(15期・陸)の写真と記事で紹介します。 『防大吹奏楽部の人気度を表わしているのか−3連休にもかかわらず多数の市民が来場−50回の節目に取り上げた吹奏楽の名曲やマ−チ、「横須賀スト−リ−」の山口百恵メドレ−など、士官候補生の溌剌とした演奏に会場内は大きな拍手!拍手! 拍手! 小生は4年生の定演(第6回)で指揮&トランペットを務めましたが、44年の歳月を思い浮かべながら、後輩たちの熱演に耳を傾けました。』 さて、50年前、我々が4年生だったとき防大ブラバンは さて、50年前、我々が4年生だったとき防大ブラバンは、私がコンダクターとなって吹奏楽コンクール関東大会に出場しました。 前期試験の真っ最中というハンデを克服してコンクールに挑戦しましたが、結果は残念ながら神奈川大学に負けて大学の部2位になり、全国大会へ出場できなくなりました。 1年生の時には7期生に引き連れられて室蘭で開催された全国大会に進出し、全国3位の栄冠を手にしていたので、残念な気持ちで日々を過ごしていました。 私は4年生になる時の春休みに東北地方で行った演奏旅行や、その後のコンクール参加を通じて磨き上げてきた防大ブラバンの素晴らしい演奏を何とか皆さんに聞いてもらう機会はないかと考えていました。 キャプテンの佐藤昌史君やマネージャーの秋山進威君に相談すると、横須賀の町で演奏会を開こうという話がまとまりました。 第1回定期演奏会開催に至るまでの涙ぐましいお話は、佐藤君、秋山君から語っていただきます。 佐藤昌史君 (航空要員・ホルン) 「東北演奏旅行と第1回定期演奏会の思い出」 【東北地方演奏旅行のエピソード】 我々10期生が、吹奏楽部の運営を引き継いで、最初の大仕事は、前年度大成功を収めた9期生計画による初めての演奏旅行を継続するため、東北地方演奏旅行を計画・実施することでした。 そのプログラム巻頭のあいさつ文を、当時防衛庁長官であった小泉純也氏(小泉純一郎氏のご父君)にお願いしようということになり、学生の特権をフルに発揮し、秋山君等同期生数名とある日曜日突然横須賀の長官のご自宅を訪問した。 長官はご不在であったが、突然の訪問にも拘わらず純一郎氏のお姉様にお茶等ご馳走になり、巻頭のあいさつ文も快く引き受けて頂くことができました。 それにしても、学生の勝手な行動に文句も言わなかった学校当局の度量も広かったと思いますね。 (東北演奏旅行中、仙台にて) (小泉純也長官にご挨拶をお願い) 【第1回定期演奏会でのエピソード】 指揮の中埜君が、日頃の訓練成果を横須賀の地で発表する機会がないと言っていたところ、昭和40年横須賀市文化会館が完成した。 早速、第1回定期演奏会を計画したが、当然予算がない。 まずは、会館の使用料を無料にしてもらおうと横須賀市長に直接陳情するため秘書室に行ったところ、当然門前払い。 それでも毎日のように日参し、秘書室の皆さんの同情をかい(?)、やっと無料にしてもらいましたが、演奏会の時は既に12月、借料以上の暖房料が必要だったという顛末。 それにしてもどうして毎日外出許可を貰ったのか今でも不思議です。 また、文化会館長に「先日、某市民交響楽団の演奏会があったが、演奏団員70名に対し観客が50名位で子供が走り回っていた。防大吹奏楽部は更に名前が知られていない。観客がないだろうから止めた方が良い」との忠告を受けた。 これに部員一同奮起し、町中にポスターを貼り廻ってお客様集め。 お蔭様で、当日は1200席の予備席までほぼ満席の状態でした。 この時のアンケートで、お年寄り向けに民謡を入れて欲しかったとの要望があり、一般客向けの選曲にもっと気を使うべきと反省しました。 (開場前からお客様が続々と来場) 秋山進威君 (海上要員・ピッコロ) 「防衛大学校第1回定期演奏会余話」 私達10期生が4年生になってまもなく(昭和40年春)、横須賀市に初めてフルバンドの演奏ができる大ホールをもつ『横須賀文化会館』が完成しました。 この『柿落とし』に、海上自衛隊横須賀音楽隊とともに招待されたことは大感激でした。 ここはコンクールと違って、自分達の好きな曲を独自のプログラムを組み立て堂々と発表できる場所でした。 ぜひ単独の演奏会をしてみたいとみんなで話し合いました。 しかし、現実になると解らないことだらけで大きな壁がたくさんありました。 私は、無謀にも「よし、絶対やるぞ!年末まではまだ時間はある、みんなやろう!」と言うことで早速準備を開始しました。 学校側とは部長や顧問、校友会とは佐藤理事(主将)、曲目・プログラムに関しては中埜コンダクター、事務等は仙田主務がやり、庶務係の私は定演主担当として渉外を主に全般の計画・実施に全力を尽しました。 先ず、会場の確保、借用器材の可否、所要事務手続等を確認し、計画の概要と概略の経費見積を立て、実施計画及び行動予定を作りました。 年度計画にはない企画のため予算的措置が全く無いので、学校・校友会にそれぞれ要望してもらうことにしました。 取り敢えずの軍資金として、個人的に父から10万円を借用し当座の支出に充て、万が一赤字になった場合や中断補償の補填用等に備えました。 会場等の使用料及びプログラム作成費(招待者等事前配布用を含め3,000部)が大きな金額でした。 プログラムの印刷は、大叔父が印刷会社をやっていたので泣き付いて格安(できれば踏み倒すかも?)で依頼しました。 連絡・調整・申請等は平日・日中が殆どだったため、3年の時入手したオンポロカブ(バイク)が大活躍?(勿論無許可。バレたら懲戒!!)でした。 結局何とか経費の辻複を合わせ、会場もほぼ満員、大好評(自画自賛?)で成功裡に終えました。 私はこの演奏会が末永く続くことを願って『第1回定期演奏会』と名付けましたが、以後今日まで紆余曲折を経ながらも途絶えることなく発展継続できていることに対し、多くの関係者の皆様に心から感謝致しますとともに、半世紀前が昨日のようで文字通り感無量です。 (秋山君の力作プログラム) 中埜 【私は、もっぱら演奏曲の構成と、猛練習に力を注ぎました。】 プログラムは3部構成にして、第1部のメインはバーンスタインの「ウエストサイド物語」、第2部は賛助出演のグリークラブによる合唱、第3部のメインはシベリウスの「フィンランディア」にしました。 また、ゴールドマンの「木陰の散歩道(On the Mall)」の途中でグリークラブが歌いながら入場し、次の「フィンランディア」で合唱パートを担当するという演出にしました。 横須賀文化会館の『柿落とし』演奏になったこの第1回定期演奏会には、1200名のお客様が続々と来場され、2時間余り、最後まで演奏を楽しんでいただきました。 第1回定期演奏会の写真です。 (手のマークをクリックすると大きな画像になります。) その日から50年、防大ブラバンの定期演奏会は、会場を汐入の横須賀芸術劇場に移したりしながら、横須賀市民や多くの人々に愛され続けています。 また、防大ブラバンOB会を毎年1回、東京で行っていますが、現役学生を招待して、学生のアンサンブル演奏を聴いた後、総会・懇親会を楽しんでいます。 ヤンチャだった我々も少しは良いことをしたんだなと心から誇りに思っています。
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