中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科


 私が所属している琴古流尺八藤寿会の初吹き会が例年通り、阿佐ヶ谷の神明宮で開かれました。
神明宮は旧阿佐ヶ谷村の鎮守で主祭神は天照大御神です。
関東の神社でよく見かける通り、この神社も日本武尊が東征の帰途この地で休憩をしたことから、武尊を慕う村人がこの地に神明宮を勧請したのが始まりとされています。
神明宮は平成の大改修を経て端正な姿になっており、秋の例大祭には能楽殿で江戸時代から続く「阿佐ヶ谷囃子」が奉納されています。

  

 まずは「本日の演奏が上手くできますよう」とお参りをした後、社務所に入りました。
今年は「ペッパー君」が出迎えてくれました。結婚式や、七五三のお祝いなどで、「ペッパー君」もお子さん相手にサービス係りを担当しているんでしょうね。
山下明童さん(ジャズピアニスト山下洋輔さんの兄さん)がこの神明宮の氏子総代という縁で毎年、ここで初吹き会を行っています。

   

 藤寿会は藤井治童さんが会長をしていますが、最近、若い世代が台頭しています。
佐田奏生(さだ・かなき)君は今春、芸大(東京芸術大学)研究科2年生へ、石橋えりかさんは芸高(東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校)2年生に進みます。人見かのんさんも芸高に合格し、鈴木大紀君が芸大受験中です。
彼らは藤井治童さんが開いた「世田谷子供邦楽体験教室」に参加し、塩ビパイプで作った「尺八もどき」を吹くところからスタートした世代です。
佐田君はカナダ生まれで、長身・イケメン・尺八の名手で、古典だけでなく、二胡やギターとのコラボやアジアの民族音楽とのコラボを意欲的に行っています。

 演奏の相手をしていただいたのは、山田流の萩岡松韻社中と生田流の福田栄香社中です。
萩岡松韻さんは「萩岡会」の四代目の家元で芸大教授、イケメン・美声・超絶技法の名手で、作曲も精力的に行っておられ、娘さん達も立派に後継者としての道を進んでいます。
福田栄香さんは最近、生田流の名門「三ツの音会」三代目家元になりました。
芸大卒業の美人・美声・名手の超売れっ子演奏家で古典だけでなくいろいろな分野の演奏家とのコラボを行い話題になっています。

  

 「若いもんには負けられん」と元気の良い先輩の代表は、森山珠童さんです。
特攻隊の生き残りで、80歳まで歯科開業医、85歳まで歯科大学の現役教授、クリスチャンで聖歌隊の指揮者、ハワイアンバンドのウクレレ奏者、しかも男前・・現在89歳ですが、まだまだ枯れずに大曲にチャレンジしています。

 高橋星童さんは埼玉県春日部で尺八教室を開き、地元で活発に演奏会を行っています。
民謡の名手で、古典曲もちょっと「こぶし」をきかせた味のある演奏をします。
元市会議員で現在も農業を行うとともに、ラオスに農業指導に出かけたり、藤寿会の「竹の心」の編集者もするという忙しい人です。

 栃木県那須の御用邸近くで酪農を営む傍ら、尺八教室を開いている神長修童さんは、よく自家製の「どぶろく」を飲ませてくれました。昨年、飼っている乳牛に愛を告白され肋骨を折りましたが、傷も癒えて尺八に復帰しています。

 静岡から参加している森啓童さんは開運!お宝鑑定団!で、江戸無血開城を実現に導いた山岡鉄舟が街道一の大親分・清水次郎長に出した直筆の手紙を披露して話題を呼びました。

  

 藤井治童さんと鈴木鼎童さんが「鹿の遠音」の掛け合い演奏を披露しました。
治童さんは尺八界から初めて人間国宝に選ばれた納富寿童(初代)の内弟子として修業し、琴古流尺八の手法を継承しています。

 鈴木鼎童さんはお父さんの鈴木勝童さんの後を継いで、横浜で大勢のお弟子さんの指導に当たっており、治童さんの片腕として頑張っています。
琴古流本曲「鹿の遠音」の演奏は見事なもので、お二方ともに日頃から尺八本曲を大切にしておられ、学ぶべきことが多いと感心させられました。

 さて、中埜和童は「ゆう顔」を演奏しました。
源氏物語から江戸時代に生田流の名曲「夕顔」が作られましたが、「ゆう顔」は山田流の三世萩岡松韻(萩岡松韻さんのお父さん)が昭和51年に源氏物語「夕顔」をテーマに作詞作曲をしたもので、7分程度の美しい小品です。

  

 10時に始まった初吹き会も、30分の昼食をはさみ、17時まで30曲を演奏し無事終了しました。
しかし、これはまだまだ序の口で、今年も例年通り阿佐ヶ谷駅前で深夜まで反省会が繰り広げられアルコールで潤滑しながら尺八談義に花が咲きました。

          

 
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