癒しの楽園南インドの旅
2020.1.11〜1.18 (後編)
5日目 ケーララへ 早朝、ホテルの屋上でベンガル湾から昇る朝日を見てから朝食をとった後、約250km、約6時間をかけて一路ケーララ州のトッタパリに向いました。 高速道路が建設中のため、バスは村の中をクラクションを鳴らしながらラリーのように凄いスピードで走り続けました。 ケーララ州は識字率が90%以上とインドで一番高く、伝統的に教育に力を入れているそうで、治安は良いそうです。 バスはタミルナードゥ州からケーララ州に入り、町の看板の文字もケーララの言葉に変わりました。 バナナ畑やココナッツの木など南国の景色が広がります。 州都のティルヴァナンタプラムの土産物屋でトイレ休憩。 イギリス統治時代の邸宅を改装したものですっきりした店構えでした。 ホテルのレストランで昼食。 ガネーシャが迎えてくれました。 ガネーシャはシヴァとパールヴァティの息子で、商売と知恵の神で象の頭と大きな太鼓腹を持ち、ねずみに乗っています。 黒い布にくるまれたビールはいい雰囲気ですが中身はいつもの「キングフィッシャー」でした。 「キングフィッシャー」はインド国内において最もシェアの高いビールだそうです。 その後、バス移動の途中、ビールがよく効いて尿意を催し、青空トイレのために緊急停止をお願いするハメになりました。 ◎バックウォータークルーズ トッタパリに到着後、お目当てのバックウォーター(海岸の内側に広がる水郷地帯)のクルーズでアラップーラ(アレッピー)まで行き、ケーララ州の南国的な風情を楽しみました。 学校帰りの子どもたちがにこやかに手を振っています。 香料を運んでいた舟を改造したボート1隻を4人で借り切って、料理人までついたクルーズはのんびりしていい気分です。 ボートを岸に着けて、田んぼに沈む夕日を眺めました。この辺りでは米が一年に3度とれます。 舟に戻って夕食をとりましたが、南インドの米は北インドの米と違って日本の米のようなもっちりした食感です。 ボートで一泊します。 エアコン・シャワー・水洗トイレ付きの個室ですのでぐっすり眠れました。 そして、翌朝、対岸から昇る朝日を眺め、小鳥のさえずりを聞いて、のんびりとした時間を過ごして大いに癒されました。 こんな優雅な舟遊びを満喫させてくれたケーララの人達に感謝しました。 朝食は餃子の皮のようなものでココナッツを包んだものや、パイナップルジャムなどソフトな味わいでした。 楽しかったクルーズも終わり、アレップーラで下船しました。 下船後、コチ(コーチン)に向い約1時間半後に到着しました。 途中、ココナッツウォーターを飲みましたが、あっさりした味でした。 6日目 コチ(コーチン) コチはケーララに広がる水郷地帯の北端に位置し、古くから交易で潤い、フェニキア人やローマ人、アラブ商人などが訪れ、重要な港町として主に香料貿易で栄えてきました。 1503年、ポルトガルの植民地となり、その後オランダ、イギリスなどの支配を受けましたが、現代のコチはインド有数の国際貿易港として発展しています。 ◎コチ市内観光 コチにはキリスト教徒が多く住んでいて、約50%はヒンドゥー教徒、約40%がキリスト教徒、約10%がイスラム教徒のようです。 また、ヨーロッパからの観光客や留学生も多いということです。 聖フランシス教会はポルトガル時代にはカトリック、オランダ時代にはプロテスタント、イギリス時代には英国国教会、現在はインドのキリスト教会として使用されています。 この教会はヨーロッパ人が立てたインド最古の教会でヴァスコ・ダ・ガマの墓があります。 ヴァスコ・ダ・ガマは1524年にこの地で病死していますが、遺骨は死後14年経ってから長男がポルトガルに持ち帰りました。 フォートコーチンはポルトガル、オランダ、イギリスが支配した歴史を持つコーチンの中心地でコロニアルな建物が建ち並んでいます。 インドの伝統漁法チャイニーズフィッシングネットを見ました。 この漁法は中国から伝わり数百年前からコチで続けられている伝統的な漁法で、インドではコチでしか見ることができないだそうです。 スパイスマーケットや民芸品店でショッピングも楽しみました。 軍隊の制服を洗濯してきたという歴史を持つ洗濯場を見てきました。 洗濯場に「躍るマハラジャ」の主役のラジニカーントの看板がありました。 コチは世界三大伝統医術の一つでオイルマッサージのようなアーユルベーダの発祥の地で、世界中のアーユルヴェーダセラピストが学びに来る聖地なんだそうです。 一応、私もアーユルベーダで癒されてきました。 ◎南インドの伝統舞踊カタカリ カタカリダンスはケーララ州を代表する民俗芸能で、緑色の隈取りがされた顔や、巨大なスカートを履いた衣装が特徴です。コチの街の至る所に「カタカリ」をモチーフにした絵やデザインを見ることのでき、ケーララ州のシンボル的な存在となっています。 化粧をしていると顔の表情が随分変わってきます。 カタカリは能や狂言に少し似ているパントマイムで、目や手の動きが面白いです。 物語は「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」からとられているそうで、村祭りの定番の出し物だそうです。 左が王子様、右が悪魔で美人に化けていますが、王子に見破られ胸と鼻を斬られて殺されるという芝居で、パントマイムの最後の所でギャーという叫び声を上げるところが面白いところです。 ◎ カタカリの音楽 7日目・8日目 デリーへそして成田へ コチでの観光を終えて、アバドアトリウム・ホテルで一泊しました。 早朝、コーチン国際空港を出発して、AI0466 / エアバスA321で空路デリーへ約3時間半のフライトの後、10:45デリーに到着。 南インドを一周した後、振り出しのデリーに戻ってきました。 デリーに着くとまたもや曇り。「やっぱりデリーの空気は汚染されているな」と思っていると、間もなく晴れてきました。ヒマラヤからの冷たい風によって霧が発生しやすいんだそうです。 到着後、まず昼食をとりました。 久しぶりの日本料理が懐かしくほっとしました。 デリーのショッピングモールで買いものの後、インドの家庭でマサラティーをよばれました。 その後、デリー空港へ。21:15デリー発、AI0306 / ボーイング787-8で7時間15分のフライトで成田へ。 8日目の朝、無事成田に到着しました。 旅の終わりに 今回の旅行は出発までにツアーが成立するかどうかで随分気を揉まされましたが、結局、8名でツアーに出発しました。 私は南インド旅行を熱望していたのですが、世の中の人達はそうでもないんでしょうね。 危ない・汚い・下痢しそう・見るものが何もないというような心配が先に立つのでしょう。 南インドはちょっとゴミゴミしていますが、殆んど乞食にも出会わず、穏やかな人柄を実感しました。 私は「腹5分目」くらいで止め、下痢にもならず快調な旅でした。 南インドの地方都市は緑が多く自然も豊かで落ち着いた感じでした。 寺院巡りが多い旅でしたが、インド人の宗教心が強いことを感じ、ドラヴィタ系の温和な人達に癒されました。 最後に、現地ガイドのネギさんの熱意溢れるサポートに心から感謝します。
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