中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科


東京駅前の丸の内のイチョウが美しい黄色に染まって来たので、街角ウォッチャー中埜がカメラを友に出かけてみたところ、何とラッキーなことにこの日、12月1日から皇居・乾(いぬい)通りの一般公開が始まったところに出くわしました。
せっかくの機会だったので、丸の内のイチョウの黄葉だけでなく、乾通りの紅葉も見物することにしました。

  

皇居には江戸城の雰囲気が残っていました。
皇居へは桔梗門を通って入って行きますが、お堀の向こうに見えるのは桜田巽櫓(たつみやぐら)でしょうか?

  

皇居・乾通りの一般公開は予約が要らないし、無料でもあり、気軽に二重橋手前の皇居前広場で列の一員になりました。
セキュリティチェックを受けて入りましたが、DJポリスのような警察の人たちが優しく誘導してくれて、あまり時間もかけずにスムーズに坂下門から入ることが出来ました。

  

乾通りを進んで行くと、宮殿や宮内庁の建物が見えてきました。

  

乾通りから蓮池濠を隔てた向こうに東御苑の森が見えます。
東御苑には江戸城天守閣がありましたが、明暦3年(1657年)に起きた「明暦の大火」で焼失し、以後は再建されず今では天守の土台が残っています。高さ60mほどもある日本最大級の大天守だったそうです。
天守台の近くに「松の大廊下跡」があります。元禄14年(1701年)、浅野内匠頭が吉良上野介に対して起こした刃傷事件の現場として有名ですが、多分、こちらは江戸時代末期の火事で焼失したようです。
ちなみに「皇居」は「江戸城の西の丸と吹上庭園」だけを指し、その他は公園になっているそうです。
寄り道になってしまいましたが、乾通りを進んで行くと「局(つぼね)門」がありました。昔、お局さんが通っていた門でしょうか?

  

次に道灌濠の傍を通りました。江戸城は太田道灌が築城したと言われていますが、本格的な城ではなく低湿地で水辺に堤を築いて濠にした程度だったようです。
西桔橋のたもとに着きました。私は「乾通り」のお散歩をするつもりでしたから、皇居東御苑へ行くコースの人達とここで別れます。

  

そのまま歩いて行くと間もなく「乾門」に至りました。乾門をくぐると皇居を出ることになり、いきなり首都高速の「代官町料金所」に出くわします。道路を横断するとそこは「北の丸公園」です。

  

「北の丸公園」の入口付近に赤レンガのおしゃれな建物があります。「国立近代美術館工芸館」ですが、元は近衛師団司令部の庁舎だったそうです。
建物の斜め前に「北白川宮能久親王の銅像」があります。親王は伏見宮の第九皇子として江戸時代の末期に誕生し、青蓮院宮、輪王寺宮を相続し上野寛永寺の門跡となった後、還俗して伏見宮に復帰して軍籍に就きました。1895年(明治28年)に近衛師団長として台湾に出征しましたが、疫病(マラリア)にかかり、台南で49歳で薨去されたそうです。
銅像は渡台時に近衛騎兵として側近に仕えた、彫刻家新海竹太郎によって建立されました。

  

北の丸公園の「中の池」や、紅葉のきれいな散策道をお散歩して満足しました。

  

北の丸公園の名所「日本武道館」が見えたら、もう出口と言うか入り口と言うか「田安門」です。

  

田安門を出て道なりに左へ行くと「千鳥ヶ淵」に至り、また、道路を渡ると「國神社」があります。

 

今日はいいお散歩を楽しんだのでこれくらいにして、また来春にはこの地にお散歩にやって来て満開の桜を愛でたいものです。

 
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