中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科

世界遺産・日光を訪ねる

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平成28年9月の末、世界遺産・日光を訪ねてみました。
「紅葉のシーズンでも無いのに何でまた?」の返答としては、「シーズンになると、混むでしょう。空いている時にゆっくり見るのもいいじゃないですか」
また、「日光東照宮は修理中でしょう?」の返答としては、「奥日光にも楽しむところは、いろいろあるでしょう」などと、思いながらとにかく行ってきました。
東武日光の駅を出るとすぐ世界遺産らしいカラフルなバスが出迎えてくれました。

 

まず最初は「神橋(しんきょう)」 神橋も下を流れている大谷(だいや)川もきれいですね。
この橋は二荒山(ふたらさん)神社の一部で、奈良時代に日光を開山された勝道上人が二荒山の頂上を目指したとき大谷川を渡るためにお祈りしたのが発端だったそうです。

 

神橋から「いろは坂」を通って奥日光に向ったのですが、途中、霧が出て見通しがきかない状況が続き、「今日は、ハズレかな?」という思いがよぎりました。
ところが、「いろは坂」を登りきる頃、俄かに霧が晴れ、青空が広がってきました。
そして中禅寺湖が現れました。標高1,269m、周囲25km、最大水深163mの湖で、約2万年前に男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたそうです。

まず、中禅寺湖畔の「二荒山神社中宮祠」にお参りをしました。
神社の奥に見える男体山の頂上にある「二荒山神社奥宮」と日光市内にある「二荒山神社本社」の中間にあるので「中宮祠」と呼ばれているそうです。
宝物館には男体山信仰によって奉納された「大太刀 備前長船倫光(国宝)」や、男体山頂の祭祀遺跡の出土品が展示されていました。

 

中禅寺湖畔を走って、「中禅寺」にお参りをしました。 
このお寺は日光山の開祖、勝道上人が784年に建立し、修業の場としてきたたもので、日光開山1250年記念として、秘仏「吉祥天像」が初公開されていました。
このお寺のご本尊「立木観音」は勝道上人が刻んだという十一面千手観音菩薩で、胴体部分が根がついたままの立木の状態で彫られたことから立木観音と呼ばれており、明治35年大山津波で中禅寺湖に沈んだ後、奇跡的に浮き上がり引き上げられたそうです。

 

「中禅寺五大堂」から「中禅寺湖」とその先の山々が見事に見えました。
写真(左)の中禅寺湖の向こうには日光白根山がきれいに見えていました。
写真(右)の右端の山が男体山でこの山が、二荒山神社のご神体になっています。

 

続いて「華厳の滝」を見物に行きました。
この滝は勝道上人によって発見され、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたと言われているそうです。
中禅寺湖から流れてきた水が落差97mを落ちる見事な滝です。
岩盤の中をエレベータで滝壺まで100m下ります。

 

今年は夏の水不足で流量が通常の半分まで減っていたそうですが、その後の台風と長雨で毎秒2トンの通常の流量まで戻り、見事な滝が落下していました。
滝壺の近くから写すと水しぶきでレンズに水滴がついて濡れてしまいました。

 

さて、奥日光での昼食を終え、「いろは坂」を下って、日光市内に戻りました。
「いろは坂」は登り20曲がり、下り28曲がりの2本の道を合わせた48曲がりからそう呼ばれているそうです。

「輪王寺」にお参りをしました。
パンフレットによると、日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人により開山され、日光山 輪王寺は、関東の一大霊山でした。
明治の神仏分離以降、本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、支院を統合して輪王寺と総称しています。

日光山の大本堂である三仏堂は、約50年ぶりの大修理中で、平成31年には完成の予定です。

 

次に、御鎮座四百年を迎えた日光東照宮にお参りしました。
日光東照宮は、元和3年(1617)徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。
徳川家康は、元和2年駿府城で75歳の生涯を終え、直ちに久能山に埋葬されました。
遺言により一年後、二代将軍秀忠により久能山から日光に移され、東照社として鎮座し、その後宮号を賜って東照宮と呼ばれるようになりました。
現在のおもな社殿群は、三代将軍家光によって、寛永13年に造替されました。

五重塔は小浜藩主酒井忠勝によって奉納され、火災にあった後、同藩主酒井忠進によって再建されたものです。

 

陽明門は平成の大修理中でシートを被っていました。平成31年には美しい姿を見せてくれるでしょう。
手前の三神庫(さんじんこ)には「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められており、屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の彫刻がほどこされています。

神厩舎はご神馬をつなぐ厩で、修理中でした。
人間の一生を風刺した猿の彫刻が8面あり、「見ざる・言わざる・聞かざる」のレプリカが飾られていました。

 

白く塗られた唐門も修理中でしたが、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい彫刻がほどこされています。

本社は本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところで、修理中でしたが仏像の修理の様子などを間近で見ることができました。

奥宮(御祭神の墓所)に通じる門の上に左甚五郎作と伝えられている「眠り猫」の彫刻(修理中のため、レプリカ)がありました。
小さいけれど国宝で、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしています。

 

東照宮を出てすぐの所にある日光二荒山神社の本社にお参りをしました。
祭神は 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)で、霊峰二荒山(男体山・標高2,486m)を御神体山と仰ぐ神社です。
神域は華厳の滝やいろは坂、神橋などを含み、伊勢神宮に次ぐ広大な境内地です。

 

一日、世界遺産の日光を見て巡りましたが、大修理が終わった頃、もう一度ゆっくり見て回りたいと思った旅でした。

 
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