中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科

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  ・ 秩父夜祭の熱気に溢れる音をアップしました。
  ・ MP3でディジタル録音していますので、Windows Media Playerで再生するとうまく聞こえます。
  ・ パソコンのイヤホンジャックにイヤホンまたはヘッドホンを取り付けて聞いてください。
    ◎ 神代神楽の演奏
    ◎ 屋台を引く掛け声(1)   
    ◎ 屋台を引く掛け声(2)   

秩父夜祭を見に行ってきました。秩父夜祭は毎年、12月1・2・3日が祭りで、特に3日が本祭りです。
3日の午前中は雨模様で、万全の寒さ対策をして出かけましたが、午後から天候が回復して、寒くもなく絶好の夜祭日和になりました。

池袋から西武特急のレッドアロー号で出かけ、西武秩父に到着するとそこはもう祭りの世界でした。
秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられているそうです。 また、この時期、全国的に大きな祭りが無く、町中には露店がひしめき合っていました。

 

露店で焼き鳥やおでんやホルモンなどのジャンクフードを肴に、お酒でテンションをあげて、秩父神社の境内に入ると、神代神楽が奉納されていました。この神楽の太鼓奏者になるのは、東大に合格するより難しいと言われているそうです。
そして、いよいよ屋台の巡行が始まりました。

   ◎ 神代神楽の演奏

 

午後7時頃から各町会の屋台が秩父神社を出発して、午後10時頃にはお旅所に到着しますが、この坂道を上るのが大変だそうで、多くの引き手が力を合わせて屋台を引き上げていました。
坂を上った広場には多くの屋台と引き手が大群衆になってひしめき合っていました。

  ◎ 屋台を引く掛け声(1)      ◎ 屋台を引く掛け声(2)     

 

秩父夜祭名物の花火では、スターマインなどが次々と打ち上げられていました。
私の花火撮影能力が低く、美しさを十分お伝えすることが出来ませんが、カッコいい花火でした。
そして、夜遅くまで祭りは続き、酩酊度もアップして行きました。

 

さて、日帰りで終電車で帰る人や、バスツアーで来ている人は別として、街中で宿泊するのは至難の技でもあり、郊外の丘の上のコテージで一泊しました。
冬とは言っても、あまり厳しくない朝の空気の中を散歩しましたが、秩父のシンボルである武甲山(1304m)がくっきりと見えました。 
この山から秩父セメント(現、太平洋セメント)が今も石灰石(サンゴ礁が堆積してできたもの)を切り出しているそうです。

 

昨日、夜祭が行われた所をもう一度見てから帰ろうと思い、秩父神社を訪れると、昨夜の露店はすっかり姿を消し、静寂が戻っていました。
秩父神社は、崇神天皇の時代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の子孫である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が創建し、知知夫国の総鎮守として、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。
また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、秩父妙見宮として隆盛を極めました。
現存する社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康が寄進したものだそうで、左甚五郎の彫刻もあります。

 

境内では、昨夜、引き回しが行われていた屋台の後片づけが行われていました。
また、境内には昭和8年、秩父宮両殿下がこの神社を訪れたとき、勢津子妃殿下が植えられた銀杏が乳のように垂れ下がっており、「乳銀杏(ちちいちょう)」と呼ばれていると書かれていました。

 

満たされた気分で、再び西武特急レッドアロー号に乗って、帰路につきました。

 
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