中埜和男(和童)
幹候:8区隊 職種:通信科
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防衛大学校吹奏楽部の定期演奏会が汐入の横須賀芸術劇場で行われるという案内が届き、当日、秋晴れのいい天気だったので少し早く出かけて横須賀お散歩をしてきました。 京急「汐入」で下りるとすぐの所に「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズの汐入ターミナルがあります。この日は絶好のツアー日和だったのでクルーズ船は超満員。沈没するのではないかと少々心配してしまいました。 私はクルーズ船には乗らずに公園をぶらつきましたが、湾の対岸にあるベース(米海軍横須賀基地)のあたりに潜水艦と護衛艦のような船が見えました。潜水艦は旭日旗が見えたので海上自衛隊のもの、また護衛艦のような船には紅葉の旗が見えたのでカナダの艦船のようです。ドックに入っているのでしょうか。 私がぶらついていた場所は以前は臨海公園と呼ばれていましたが、対岸のベースのあたりにあった横須賀製鉄所の建設にフランス人技師ヴェルニーが貢献したことや、ヴェルニーと当時の勘定奉行小栗上野介を記念する祭りが公園で毎年開催されていたことなどから、平成14年にフランス式の花いっぱいのヴェルニー公園が完成しました。 港の先の方に米海軍の航空母艦のような船が見えたので近くに行ってみると、海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦でした。「183」と書かれてあったので家に帰ってから調べてみると「いずも(DDH183)」でした。排水量19,500トンもあるのですね。 私達が防衛大学の学生時代に乗艦実習で乗った護衛艦は2,000トンクラスだったので「随分大きくなったなあ」と驚きました。「いずも」の左側の岸壁近くの小さな建物が海上自衛隊の横須賀地方総監部です。 更に公園を進んで行くと大砲が飾られていました。この大砲は戦艦「陸奥」の主砲(41p連装砲の一部)でした。砲があまり巨大だったので一枚の写真に納まらない状態でした。何気なく写真を撮ったのですが砲の横でベンチに2人が座っていますが、砲の大きさを感じさせるいいモデルさんでした。 戦艦「陸奥」は大正10年に横須賀海軍工廠で建造され、昭和11年の大改修で主砲が搭載されたのですが、昭和18年、瀬戸内海の柱島沖で原因不明の爆発によって沈没しました。主砲の一部が昭和46年に引き揚げられ、呉市の施設や船の科学館(品川)などに展示された後、平成28年、船の科学館からヴェルニー公園に移設され80年ぶりに「帰郷」を果たしたのだそうです。 ヴェルニー公園のすぐ近くにはJRの横須賀駅があります。ここは私が防衛大学に入校するために初めて横須賀の地に足を踏み入れた思い出の場所です。あれから56年、そこにはあの日と少しも変わらない木造の駅がありました。変わったものと言えば駅の看板とNewDaysくらいです。「京急の横須賀中央に負けて発展できずに、鄙びた姿を留めているのかな?」と思っていましたが、家に帰って調べてみると「駅構内に階段が無い貴重な駅」なのでレトロな姿を維持するために格段の努力をしているのだそうです。申し訳ありませんでした。そして、残念ながらNewDays で買い物をしただけで貴重なJR横須賀駅の写真を取り損なってしいました。 定期演奏会の開始時間も近づいてきたので、ヴェルニー公園のお散歩を終わって横須賀芸術劇場に向いました。下の写真(左)の中央の高いビルがそれです。 実は横須賀芸術劇場は平成6年に米軍EMクラブ(米海軍下士官兵集会所)の跡地に建てられた国内有数のオペラハウスです。EMクラブでは終戦後、渡辺貞夫、ジョージ川口、原信夫、松本英彦、安田伸、江利チエミなどのジャズミュージシャンが盛んに演奏していました。 横須賀芸術劇場の近く、「軍港めぐりツアー」の汐入ターミナルの後ろにショッパーズプラザ横須賀が見えます。この地は横須賀海軍工廠、住友重機、米海軍、更に住友重機や林兼造船へと変遷した後、平成3年にダイエーがオープンしましたが、平成28年イオン横須賀に移行しました。 さて、横須賀芸術劇場は定員2000名のオペラハウスで、防大吹奏楽部の演奏会場としては立派過ぎる感じがしますが、以前、防大の定期演奏会ではこの会場を満員にして、私たちは最上階でしかも立ち見をした思い出があります。時代の流れなのか、行楽日和のせいなのか、今回は約50%の入りだったようです。 演奏中の写真は撮れませんでしたが、演奏はなかなか充実していて楽しませてもらいました。ミュージカルの曲を演奏した時には女性部員を含む5名の吹奏楽部員がかっこいいダンスを披露したり、応援団部員との共演もいい企画でした。 お客さんにはリピーターも多く、アンコール曲「軍艦マーチ」を聞くまでは決して席を立とうとはしません。横須賀には「海軍カレー」と「軍艦マーチ」がよく似合いますね。 演奏会終了後には、吹奏楽部員や応援演奏をしたOBの部員がホールの玄関でお客さんを見送ります。まだ演奏の興奮が冷めやらず学生たちが飛び跳ねるように躍動していたるので写真がブレてしまいました。 お客さんは老いも若きも熱心で、演奏をした学生たちに「また来年も聴きに来るからね」と約束をして満足そうな顔をして帰路につきました。 定期演奏会が終わると場所を移して「打ち上げ」が行われます。4年生(63期生)はこの「打ち上げ」で吹奏楽部の活動を終え、これ以降は卒業研究などに集中して来年3月の卒業を迎えます。 (おしまい)
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