中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科


 二月に入って梅便りが聞こえてくると、じっとしておれず、「湯島の白梅」で有名な湯島天神に出かけました。
「梅まつり」迄にはまだ一週間近くありますが、もう立派に咲いていました。
学問の神様の天神さんですので、合格祈願の絵馬がうず高く掛けられていました。
今は、切実な気分にはなりませんが、孫が受験期になった頃にはお願いに来ることになるのでしょうか?

 

 屋台が並ぶ参道を通って本殿に進みます。
白梅・紅梅がきれいに咲く中で結婚式が行われていて、新郎・新婦の幸せそうな姿を見ることが出来ました。

 

 湯島天神の梅をチェックしたので、「湯島聖堂」の梅も見ておこうかと思い、ぶらぶらと歩いていくと「妻恋神社」の案内がありました。
ややひっそりとしたたたずまいでしたが、名前につられてのぞいてみました。 
江戸時代には格の高い神社だったそうです。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと、稲の女神)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛命(おとたちばなひめ)の三神です。
神社は何度か焼失したそうですが、もとは日本武尊が東征をした時の行宮(野営陣地)の跡だったそうです。
「妻恋神社」は日本武尊が弟橘媛命を思って「あずまはや」と言った故事から来た名前でしょうが、私は老妻に「老老介護」をお願いしようと思ってるので、「妻恋神社」のご利益をお願いしました。

 

 更にぶらぶら歩いていくと江戸総鎮守の「神田明神」に到達しました。
ここは初詣によく来ているので、勝手知ったる神社で商売繁盛の神様です。
ご祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと・大黒様)」「少彦名命(すくなひこなのみこと・えびす様)「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」です。今日は初詣と違って、境内をゆっくり歩くことが出来ました。

 

 本殿のすぐ傍に「石獅子」の夫婦二頭の獅子の像がありました。
江戸時代末期の庶民信仰をもとに制作され、奉納されたようです。
神田明神は、さすがに「商売繁盛の神様」だけあってアニメ風のイメージで若者の聖地の座を狙っているようです。

 

 さて、今日の終着地、「湯島聖堂」に到着しました。
湯島聖堂は、元禄3年(1690)、五代将軍綱吉が上野忍ヶ岡にあった林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)をこの地に移し、官学の府としたのが始まりです。
さらに、寛政9年(1797)十一代家斉のときには、規模を拡大し「昌平坂学問所」を開設しています。
入徳門、杏壇門を経て、大成殿(孔子廟の正殿)に至ります。

 

 大成殿には孔子・孟子・顔子・曽子が祀られています。
さて、この梅は昭和10年、伏見宮博恭王殿下お手植えの梅です。
「梅に鶯」と言われますが、ちょうどいいところで鶯が梅の蜜を求めて枝から枝へと遊んでいました。
ところがドッコイ。 この鳥はネットで調べてみるとメジロなんだそうです。
梅に誘われたお散歩は大変結構なフィニッシュを飾ることが出来ました。

 


 
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