「日米同盟を陰で支える」
いつも明るく、周りを楽しませてくれる9区隊の武田君。
英語に堪能であることは、ご承知の通り。 退官直前に米陸軍長官から『陸軍賞賛勲章 Army Commendation Medal』を授与された。
米陸軍と陸自の連絡調整にあたった功績が高く評価されたのだ。 同期として誇らしく、おめでたいことである。
退官後も、米国防省の職員に登用され、航空機・燃料・タンカー・各種ガスの検査官として米軍に貢献していた。
ところが2003年にイラク戦争が勃発。 同戦争に派遣される米国船のみならず、ロシアやインドのタンカーに搭載する燃料の検査官に抜擢され、佐世保や沖縄で活躍した。 米国は同戦争に自国タンカーでは足りず、ロシアやインドのタンカーもチャーターした。
元自衛官が大量の燃料積み出しの現場責任者として多国籍軍を支援していたという事実。 朝日新聞でさえ知らないようだが、戦時の米軍は能力・資格のある者は国籍・年齢を問わず登用するシステムを持っている。
戦争終結後は、普天間のBОQに寝泊まりし、ヘリの改修検査にあたっていた。 ところが、沖縄国際大学に普天間基地所属のヘリが墜落した。 武田君は相模原に帰って事故を知り、墜落機が検査該当機ではなかったかと眠れなかったそうだ。 関係者から非該当機と知らされ、ホッとしたと吐露している。
波乱万丈の退官人生は、航空学校の教官時代、米陸軍の航空機検査課程に入校したことで種がまかれた。 自衛隊がAH‐1Sの導入を決定した時代で、納入機体・部品検査の必要から、彼に白羽の矢が当たった。
次の転機は退官直前、米軍から検査官の誘いがあったこと。 すでに各種の米軍資格を取得していた有能の士を、米軍は放っておかない。
武田君は誘いにを受け、米国防調達大学の課程で各種の資格(航空機・燃料・タンカー・ガス・NASA契約物品等)、及び各種の非破壊検査要領の資格(超音波・電磁・浸透探傷等)を取得した。 資格証明書は20枚を超える。
一方で、米陸軍航空大隊の連絡官、米国陸軍航空協会の日本支部・副支部長を引き受け、公・私のグレイソーンにある航空機関連の橋渡しにあたっている。 大げさかもしれないが、草の根による日米同盟の深化に貢献ということになろう。
彼は米国人に対し、次の心情を語るるそうだ。 「子供の頃の日本は、終戦後で非常に貧しかった。着る物や食べる物のない時代に、米国は日本を助けてくれた。おかげで今日の日本の繁栄がある。アメリカの恩は決して忘れない。しかし残念なことに今の若者は何も知らない。アメリカと戦争したことすら…。そう言うとたいてい米国側から、アメリカも同じだとの言葉が返ってくる。私は恩返しのつもりで米軍に貢献している。でも決して嘘ではなく、彼らは喜んでくれていると思っている・・・」
現在の彼は、「独居老人」だとうそぶくが、主夫業の他に、米軍キャンプ座間の厚生活動・旅行の支援、自衛隊記念行事への米軍機参加の調整(裏方)。 合間を縫って沖縄に出かけ、人情熱い人たちと交流を続けている。
氏の生き様を聞くとき、「人生ってのは誰がたくらんだものでもない。自分でたくらむほかないのだ」とつくづく感じる。 そして、日米同盟を陰で支えているなと感嘆するしだいである。
(偕行社 喜田君から)
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武田清之君の活躍
武田 清之君
9区隊