中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科

トップページへ


4年ぶりに入谷朝顔まつり(朝顔市)が7月6・7・8日に開かれているので見物に行ってきました。
朝早くから賑わっていました。

 
朝顔市は「恐れ入りやの鬼子母神」で有名な入谷鬼子母神とその周辺で開催されています。
法華宗の真源寺は、万治2年(1659)に創建され、入谷鬼子母神(いりやきしきしもじん)の名前で有名です。
釈迦は、性質凶暴で子供を食べる悪神鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ改心させました。
以後、安産・子育ての守護神として信仰されています。
入谷鬼子母神の朝顔市は明治時代になってから盛んになったようです。

 
朝顔まつり限定のご朱印が販売されています。
朝顔のお守りを買うと神社の方がありがたい言葉を唱えながらカチッと火打石を切ってから手渡してくれます。

 
境内では所狭しと朝顔の鉢植えが売られていました。
皆さん、「買うぞ!」という意気込みで来ているだけあって、飛ぶように売れていました。
4種類の朝顔を鉢に植え込んだもので2千円くらい、大輪の1本植えが5千円くらいです。
両手に鉢を抱えた人や宅急便に配送をお願いしている人も多く見られました。

 
最近の人気品種は「団十郎」です。えび茶色の花と黄緑色のせみ葉が特徴の大輪咲きです。
ちょうどいい所に2株あったので、カメラに収めようとしていると、前にいたご婦人が2株とも買ってしまいました。
「残念!」と思いましたが、無料で写真を撮られるより、買い上げてもらう方がいいですよね。

 

朝顔市を満喫した後、入谷の周辺をぶらぶらしていると、「小野照崎神社」に至りました。
ご祭神は「小野篁」ということでした。
百人一首の「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟」で有名ですが、反骨の人でもあったようです。
神社のご由緒によると御祭神は、平安初期有数の歌人であり、漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれ、その文才は天下無双、また絵の大家でもあり、法律に明るく当代きっての学者で、参議という国の要職も務めたそうです。
神社は852年(仁寿2年)、小野篁が国司として東下した際に住んだ上野照崎の地に創建され、寛永寺の建立とともに現在の地に遷されたそうです。

 

さて、入谷を離れて上野にやって来ました。
「不忍池」で蓮の花が見頃だというニュースを耳にしていたので、ちょっと寄ってみることにしました。
不忍池は一面ハスの葉と花に覆われていました。

 
小さな橋を渡って弁天島に至りました。
「弁天堂」には大勢の観光客が訪れていましたが、至る所で外国語が聞こえてきます。
弁財天の傍には「大黒天」が祀られていましたが、弁財天に遠慮しながらひっそりと鎮座しているような様子でした。

 
それでは、満開の蓮の花を満喫していただきましょう。

  
蓮の花は優雅ですね。

 

7月の9日・10日、浅草寺境内で「ほおずき市」が開かれます。
浅草の夏の風物詩ほおずき市は、「四万六千日」の縁日に開かれます。
出かけてみると浅草寺は相変わらずの大変な賑わいでインターナショナルな雰囲気に溢れていました。

 
雷門から仲見世を通り、宝蔵門をくぐり本堂へ進みます。浅草寺のご本尊は観世音菩薩です。
平安時代から縁日が開かれていましたが、室町時代末期頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになり、特に「四万六千日」と呼ばれる日は約126年に相当し、「一生分の功徳が得られる縁日」になります。
四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、境内は参拝者で賑わうようになりました。

 
7月9日・10日の両日、いなせな恰好の売り子たちが声をあげてほおずきを売り、境内は朝から晩まで参拝者で埋まります。観世音菩薩の功徳に感謝して参拝して江戸情緒を味わいます。

 
いよいよお待ちかねのほおずき市の屋台です。
きれいどころののお姐さんたちがほおずきの鉢植えを売っています。1鉢2500円が相場のようです。

 
ほおずき市は2日間の限定ですが夜遅くまで続きます。

 


 
中埜和男 もろもろ三昧記へ

中埜和男 世界の旅へ


 
会員コーナーへ


トップページへ

 

もろもろ三昧記
  朝顔・蓮・ほおずき