中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科

  小松川・旧中川を歩く

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江戸川区にお世話になってから、もう数十年になるというのに、小松川地区や平井地区が荒川を隔てて飛び地のようになっている理由をはっきりと知らないまま、人生を終わろうとしています。
今年こそはぜひ現地を見てみようと小松川地区を歩いてみることにしました。

散歩のスタートは都営新宿線の東大島(ひがしおおじま)駅です。
都営新宿線は地下鉄になったり高架になったりしながら新宿駅と千葉県市川市の本八幡(もとやわた)駅を結んでいます。
また、新宿駅経由で京王線とも相互乗り入れをしています。

東大島駅は面白い駅で、駅が旧中川をまたいでおり、西側の出入口である大島口は江東区、東側の出入り口である小松川口は江戸川区にあり、地上部分では直接連絡していません。
なぜこんなことになったのか? ヒントは旧中川にありました。

 

旧中川は可哀想な川で、昔は立派な川で、千葉県や東京の葛飾区や江戸川区を通って東京湾に注いでいた中川や綾瀬川の下流部分でした。この中川が荒川に分断されてしまったのです。

明治43年8月に東京を襲った大水害が原因です。この大水害は東日本の1府15県を襲った大水害で、関東だけで死者769人、行方不明者78人、家屋全壊・流出約5000戸、東京府だけでも約150万人が被災する大惨事になりました。

これを契機に明治44年に岩淵から中川河口まで、幅500m、全長22kmに及ぶ放水路を開削する荒川放水路事業が着手されました。途中、第一次世界大戦に伴う不況や関東大震災などで困難を極めましたが、蒸気掘削機や浚渫船を活用しながら延べ310万人の人員が動員されて昭和5年に完成しました。

中川は荒川(放水路)によって分断され、小松川・平井地区は飛び地のようになりながらも江戸川区として残り、この地区を流れる中川は旧中川と呼ばれることになりました。隣接する区との境界は今も旧中川になっています。

 

東大島駅を出て、荒川の堤防に登りました。堤防は広くて高い立派な堤防で巨大な洪水にも耐えられそうな感じがします。
東大島・小松川地区は埋立地であり、川や橋が多く、大部分の土地が海抜より低く、何度も水害に悩まされてきました。
そのため平成2年からスーパー堤防の整備が始まり20年以上かけて完成しました。高層住宅が建設され、避難用の公園も整備され、堤防の上には1000本の桜が植えられ、春には小松川千本桜として人々に楽しまれています。

堤防から見ると、荒川の中州には首都高中央環状線が走り、その向こうにはここからは見えませんが中川が流れ、その向こうに江戸川区のシンボルである船堀タワーが見えます。
船堀タワーの近くには東小松川地区があります。

 

堤防を下流の方に歩いて行くと、荒川ロックゲート(閘門)に至ります。ロックゲートは、水面の高さが違う2つの川の間を船が通行出来るようにするための施設です。
荒川ロックゲートは、荒川の水位が旧中川の水位より高いため設置されており、大震災時にも速やかに支援活動ができるようになっています。この荒川ロックゲートは小名木川にも繋がっています。大きなポンプ場が建設途中でした。
荒川ロックゲートのちょっと下流が江戸川区と江東区の境界になります。

 

ところで、小松菜の名前の由来は、享保4年、将軍徳川吉宗が鷹狩りの際に、召し上がった餅の澄まし汁の青菜が美味しかったので「ここは小松川だから小松菜と呼べ」と命名したと言われています。江戸川区の小松菜の収穫量は、今でも都内でトップだそうなので、散歩の途中で小松菜の畑を見つけようと思います。

東大島駅の小松川口に戻りました。駅前にはおしゃれなコンビニがあり、公団住宅が整然と建てられています。その先には防災機能を兼ねた大島小松川公園が広がっていますが、小松菜の畑は見当たりません。

今日は散歩コースとして旧中川の川岸を選びました。旧中川では大勢の人達がボートやカヌーなどで楽しそうに遊んでいました。

 

東京スカイツリーが見えます。東京スカイツリーは江東区の北隣りの墨田区押上にあります。
手前の水色の橋は「ふれあい橋」という名前で、江戸川区と江東区とを結ぶ人と自転車のための橋です。両地域の交流が一段と深まるように「ふれあい橋」と命名されたそうです。この辺りは実際には江戸川区平井地区です。
カモメが杭の上でリラックスしています。サギもあまり警戒感なくのんびり遊んでいました。

 

シラサギが孤高な姿ですね。
セキレイはやや警戒心を解かないようで近づくとすぐ飛んで逃げます。

 

黒い体に白い鼻筋の通ったオオバンという冬鳥とカモが遊んでいます。やや警戒心はあるようで、近づいていくと、川岸から離れて行きます。それでも危なくないとわかるとすぐ戻ってきます。

 

旧中川に沿った地域は元々三角州の砂地の地盤で低地だった上、工業用水の汲み上げなどが重なり洪水に襲われため、何度も何度も堤防のかさ上げ工事を行った歴史が残されています。

 

川向うに真っ黒な焼け跡のビルが建っています。先日、墨田区で石けん工場が火事になったニュースがありましたが、それがここです。

おじさん達が釣りをしている後ろでシラサギがおとなしくしています。
おじさんが釣った小魚をくれるのを待っているんだそうで、「もう20匹もあげたんだよ」と言っていました。
サギも自分で獲るよりもらった方が楽なんでしょう。

 

更に歩いて行くと、大きな煙突が見えてきました。墨田区の清掃工場です。カッコいいですね。

手前の橋は「中平井橋」で江戸川区と墨田区を結んでいます。
江戸時代には江戸川や中川に橋を架けることが許されず、渡し舟によって交通が支えられてきました。
ここには「中平井の渡し」がありましたが、明治以降、橋がかけられ、老朽化に伴って何度か更新されています。現在の橋は平成20年に完成しました。

 

散歩もいよいよ終わりに近くなり、ポンプ所にやって来ました。このポンプ所で荒川に連結されているんですね。
台風などで水害にあいそうな時にはこのポンプ所の活躍が期待されます。

平井6丁目付近から荒川堤防に登ってみると、首都高の「かつしかハープ橋」が見えました。
橋の右下の辺りに水門のようなものが見えますが、この辺りは葛飾区四つ木で、綾瀬川と中川が合流しています。
昔は、ここと小松川のポンプ所の所が繋がっていたけれども荒川放水路によって分断されたのですね。

 

荒川河川敷では若い男の子や女の子が未来の大谷翔平や村上宗隆を夢見て野球の練習に励んでいました。
そう言えば、今年はWBCがあって楽しみですね。

 

本日の散歩はここで終わり。きょろきょろと探していましたが、残念ながら小松菜の畑は見当たりませんでした。
小松川・平井地区はスーパー堤防の建設に合わせて高層住宅と公園を整備したので、多分、畑は存在できないのでしょう。
江戸川区の中でも東部の小岩地区などでは野菜栽培が盛んなので、そちらが頑張っているのでしょうか。

旧中川は分断されて可哀想な川だろうなと思っていましたが、歩いてみると、フレンドリーで、楽しさが溢れていて、「別れて良かった」のかなという思いが残りました。

 
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