杉本 幹男
  (10区隊 ・ 普通科

未だ壊滅せず

 私は当事者ではない只のディレッタントにすぎないけれど、今回の事件では、まさに我が国が北帰還事業時に埋め込んだモールが未だに生き残っているのではないかということにまざまざと思い至った。おそらくは南出身者の子弟、日本人妻、そして一番期待されるのがモノ本の北支持者でそれぞれに対してかなりの、そしてひそやかで曖昧な働きかけがあったことは想像に難くない。

 取り敢えず粉をかけておけば、最初に幻滅するのは北支持者であろうことは実は当時からその筋では大方の知る所だったから不思議はない。当時の朝日や毎日の記者達の現地報道というものは、今の朝日放送よりも酷いやらせであることは当の新聞が一番判っていたことだろうが、それにしても滅茶苦茶ではあった。誰が責任を取るのだろうか。社会保険庁も酷いことで、責任を追及するべきだろうが、それでも彼らのやったこと、やらなかったことで亡くなった方々は3桁の上の方までは行くまいが、北事業では軽く5桁は殺されていると推測できる。

 モールのことだが、日本人妻達はやはり日本人で役にはたたなかったのではなかろうか。もっとも日本からの物品送付という連絡幸便は利用できたであろう。南出身者の子弟で、日本に企業基盤が残る者たちはそれなりに有利な立場を得て残存できたろうが、そのために冒険は出来なかったろう。しかしこれら三者が連絡できる、あるいはせざるを得ない状況に今当面しているとするとどうであろうか。金、連絡、実行力の三位一体が現出、完成する。権力の箍が緩み始めた今、モール達の機能が現れたと言うべきか。

 三国外相会議のその時に日本本土に脱北者が現れるなんて、信じられない偶然とは言うべきであろう。“中華人民共和国”や大韓民国では当然そのように評価、理解しているのではなかろうか。


「ボラット」のこと

 ユダヤ人は何をやっても良いというのでしょうか。昨日「ボラット」と言う映画を観ました。ドキュメンタリーを僭称し、「栄光なる国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」を副題とするのですが、徹頭徹尾カザフスタン人を虚仮にし、そのユダヤ排斥を揶揄することによりキリル文字使用各国の反ユダヤ趨勢をもあぶりだそうと企図し、アメリカの場面では恐らくは事前了承無く撮影して真面目な、一寸保守的なアメリカ人達の“政治的に危険な”本音を引き出して見せたかのように作っています。

 笑いは殆どがあくどい性的くすぐりで、いかにもの様に黒人少年達や娼婦との“心のつながり”を組み込んでいます。これでゴールデングローブ賞最優秀主演男優賞受賞他7受賞と11ノミネートというのですから、アメリカの知性の極めて敷居の低い限界を思い知らされます。

 多数の訴訟を起こされているとのことですが当然でしょう。原案・作製・脚本・主演のサシャ・バロン・コーエンはユダヤ系イギリス人の人気コメディアンとのことですが、えげつないの一言につきます。いやになるのは、それでも映画は結構面白かったということです。でも、ユダヤ人は何でもやって良いというのでしょうか。ちなみに、昨年皆さんに警告しましたが、アメリカのユダヤ映像資本が反日映画を作り終えあるいは次々と製作しています。


死ぬのは誰か

 最近死んだ大臣様が述べたように、叩き上げは潰され、殺されるというのは本当の様だ。尤も宗男さんなんかのように「蛙の面に小便」みたような人も昔から結構いるし、最近はどんどん繁殖してもいるようだが、本当のエスタブリッシュメントに組み込まれていない者は、やはり犠牲にされるのでなかろうか。

 今回だって関係者で既に死んでいる人はあるし、いつだって秘書とか運転手だとかが死ぬんだから、多分今度“自死”した人も誰かの使用人だったのだろう。東大出身官僚は死なないし没落しない様に見受けられる。責任は取らないし、取らされないし、大抵は矢面にも立たないで済む様だ。結局は情報の質と量ということか。

 あ、それで思い出したが最近の数々の警察の無様な失敗。旧帝国陸軍では、優秀な下士官兵が戦闘においてとことん頑張り、聯隊長以下が劣悪な兵站にもめげずに戦術的努力を重ねても、軍中枢の軍事エリート官僚達が戦略的大失敗と齟齬を繰り返してとうとう滅亡したわけだが、警察はさらに“進歩”して、現場警官が無能化し、署長レベルはオタンチンだらけで、補佐する副署長以下はオベッカ野郎ばかりとなり、勿論その上はエリート署長さん達の成れの果てだから推して知るべしということだ。

 どなたかが喝破したように、明治維新で我が国が、その歴史を通して採用してこなかった「科挙」に類似した制度を取り入れたことが間違いだったのではないのか。高等文官試験制度、高級軍人選抜試験制度は大東亜戦争でその破綻を見せたが、そのままに継承され今に至り、再び大失敗を迎えようとし、あるいは現に迎えているのではないのか。


“中華人民共和国”の民度 その1

 今朝の読売新聞6面に「中国 カンニング攻防戦」という記事が載っている。“中華人民共和国”で大学入試が全国一斉に始まるに当たり、当局が監視体制強化を図っているという内容で、何でも昨年は摘発されたものだけで全国3000人以上の関与があったそうだ。ま、「上に政策あれば、下に対策あり」のお国柄だから、なかなか面白いことではある。

 遼寧省では、金属探知機や監視カメラ等、約1億元(約16億円)を投入、四川省は約百万元で無線機器探索装置を導入したそうだ。ま、違法、不法、脱法という観念が殆ど無いに等しい人々が大多数の国だから、賄賂を使い、あるいはカンニング請負業者に金を払っても入ってしまえば大成功ということだろう。

  昔、欧米人が“アジア的”と評した「社会的だらしなさ」が蔓延っているのは、封建制を経験しなかった彼らの歴史からの遺産であろうか。司馬遼太郎氏の云う「公と私」の不在、自律ということへ無理解、これらが彼の国の社会特性であろうか。もっとも、我が国も最近「アジア回帰」が甚だしいようで、このままでは“中国化”してしまうかも。


River of no return.

 今日昼過ぎNHKのBS2でこの映画を観た。野坂昭如氏がこの映画が気に入っているということを聞いたことがある。同名の主題歌が好きなのだか、マリリンモンローに魅入られたか定かではないが。今の目から見ると、何故モンローが当時あんなにもてはやされたのか、良く理解できない。美しいという女性ではなかろう。一寸可愛い女というのか、柔らかそうだというほどの感じか。だって、膝小僧から下脚への曲がり具合なんかはむしろ醜いほどだし、唄はアテレコらしいし、映画全体を通してのキャラクター設定に応ずる演技にはえれーむらがあるし、どういうもんだろう。ま、あくまでも今の視点からの話だけどね。
この映画で一番応えるのは、終末近くで、幼い男の子が父を助けるために父親に拳銃を向けている男を背中から撃って殺すところだ。このところは野坂氏はどうよ、と聴いてみたいところだ。

 あと、インディアンという言葉を先住民族と訳出しているが、歴史の改竄ではないのかね。それにしても、ばったばったとインディアン達が殺されちまうこと蚊や蝿の如し。尤も白人にとっては日本人も同じようなもので、大抵の日本との戦争物でも、日本公開を考慮に入れてすら基本的には奥底にその感覚があることが、私には感じられるのだが。

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現 代 御 伽 噺

近頃、見たり聞いたりした事柄を勝手な思い込みで綴ってみました。

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