中埜和男(和童)
幹候:8区隊
 職種:通信科

   上野公園2021

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今年はさくらが早く、もう花見のシーズンも終わったので密を避けて外出を楽しもうと上野公園に出かけてみました。
上野公園はツツジやハナミズキの季節になっていました。

          

今日は国立博物館へ行く予定はありませんが、博物館の前には大学の入学式の後か、外国人のお嬢さん達がレンタルの着物を楽しんでいるのかは分からないけれど、着物姿のお嬢さん達が光に映えていました。

          

五重塔が見えてきました。
旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔)で、寛永8年(1631)土井利勝により建立、寄進されました。
寛永16年(1639)の火災により焼失し、現存する五重塔は甲良宗広らにより同年再建され、上野動物園の敷地内に建っています。
塔の高さは約32mで戊辰戦争、関東大震災、第2次大戦でも焼失や倒壊を免れました。

          

上野東照宮は1627年に創建された神社です。
1616年、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山し、1627年に創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。
現存する社殿は1651年に三代将軍・徳川家光が造営替えをしたもので、幕末には上野戦争が勃発しましたが、上野東照宮には火の手が及びませんでした。
関東大震災にも倒れず、第二次世界大戦では社殿のすぐ裏に爆弾が投下されましたが不発弾で社殿の倒壊は免れました。

          

上野大仏は、像高約6メートルの釈迦如来坐像で1631年、 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立したのが始まりです。
その後、数々の火事・地震などで損壊し、胴体も戦時の金属供出で失われ、現在では顔面部のレリーフが保存されています。
上野精養軒に隣接する大仏山という丘の上にあります。
胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で受験生が合格祈願をし、「合格大仏」とも呼ばれています。

          

例年、花見でごった返す大通りの傍に小松宮彰仁親王の騎馬像があります。
小松宮彰仁親王は、江戸時代末期に伏見宮邦家親王の第8皇子として誕生。戊辰戦争で奥羽討伐総督として官軍を指揮したほか、のちの西南戦争でも旅団を指揮して出征しています。明治23年には陸軍大将となり、近衛師団長、参謀総長という要職を歴任しています。
また日本赤十字社の総裁として赤十字活動の奨励・発展に尽力するなど社会奉仕・事業団体の総裁を務めました。
明治35年、日本赤十字社設立25周年の記念として佐野常民が建立を提案しました。

          

野口英世は千円札の肖像で有名ですが、国立科学博物館前の林の中に建つこの像は試験管を持って研究中の姿を描いています。
昭和22年に野口英世と同郷(福島県)の玉応不三雄が銅像の建立を計画しましたが資金難で頓挫し、玉応氏も死去。
その後、医学界を中心に玉応氏の遺志を継いで製作が進められ、昭和26年に完成したそうです。

          

国立科学博物館前のシロナガスクジラのモニュメントはカッコいいです。
全長30mの巨体を海面から深く潜行させようとしている姿を再現したそうです。

          

さて、本日のメインイベントは国立科学博物館で展示されている「はやぶさ2」から投下されオーストラリアで回収されたカプセルの実物を見ることです。
密を避けるために事前にネットで予約しました。
皆さんにも是非感動を分かちたいと思ったのですが、残念。写真撮影NGでした。
実物を見て私の目には焼き付けたのですが、皆さんには撮影を許された一般展示の写真で我慢していただきたいと思います。申し訳ありませんでした。

          

 
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