「資統会」の解散式を終えて

山本 忠文
1区隊
職種:通信科


「資統会」というのは陸自資材統制隊OBの集まりです。

平成10年3月26日に「陸上自衛隊の後方支援体制の集約・一元化」事業に伴い、資材統制隊と5個の中央補給処が廃止されて新たに補給統制本部(十条)と関東補給処が新設されました。

当時、私は最後の資材統制隊長を務めておりました。また、新編された補給統制本部で初代の通信電子部長を拝命しました。自衛官生活の最終章を部隊の廃止、新編部隊の立ち上げに携わり、それぞれに課題山積で苦労話も多々ございましたが極めて充実した勤務ができたと感謝の念で一杯です。

特に資材統制隊長としては、それまでの資統隊及び5個の中央補給処が夫々に開発・運営していた補給管理システムをインテグレートして新設される十条の補統本部の電算機に乗せ換えるという大事業のコア部隊を率いて大きな課題に挑戦致しました。このような大規模のシステム統合は当時の日本では前例がなくメーカーサイドも手探り、試行錯誤の連続でした。電算機のメーカーの開発者・技術者が我々の職場に来て自衛隊の開発担当とともに夜遅くまで頑張っていた姿は今も脳裏に残っています。
様々な試行錯誤を経て3月26日に稼働できた時は、関係者一同が「ヤッター!」と歓声を上げて手を取り喜び合うと同時に、大きな責任を無事果たせたと胸をなでおろしました。

その様な中で、当時の「資材統制隊OB会」の役員が今後の会の在り方について相談・お願いに来られました。
趣旨は「今後も引き続きOB会活動を続けたいので協力願いたい」で、基本的には大賛成で最大限の協力を惜しまないとの態度で臨みました。その際に申し上げたのは「部隊がなくなるので、OB会の名称は変えたほうがよろしいのでは? 例えば資統会とか?」と「事務局を隊内に置くことはできないと思います」の2点でした。

役員の方々も、快く理解していただき「資統会」が発足することしなりました。会の開催時期は資(4)統(10)会にちなんで毎年4月10日前後にすることになりました。部隊廃止が3月26日でしたので、それにも近く全会一致で決まりでした。

そうして、翌年から「資統会」としての活動が開始され会員は現役、OBほぼ半々で約200名でした。私も最後の隊長ということで現役代表として「副会長」に祭り上げられ、それ以来最後に会長を引き受けるまでそれが続きました。発足当時、参加者は80〜90名を数え中には九州、東北地区からの方もおられました。

資材統制隊は自衛官と事務官・技官が混在し、自衛官も音楽科、会計科を除いた多職種の寄り集まりで、部隊への帰属意識は希薄ではなかろうかと勝手に解釈していましたが、資統隊一筋で勤務したという方も少なくなく特に事務官・技官の方の帰属意識は自衛官一般のそれよりも高いものがあり小生の認識誤りでした。

この会の特性は、会員数、参加者が漸減するということです。会員数はOB会と違い増加が見込めず、高齢化の伴い欠けて来たり、体調不良で退会したりするものがでてきます。それに伴い出席者も少しずつ減ってきて、10回総会では60名前後、15回総会では40〜50名となり、それ以降何時までこの会を続けられるのだろうか?というのが気になってまいりました。

私が会長を仰せつかったのが、丁度その頃で現役当時と同様で最後の決断を下さなければならない立場でした。役員会で方向性を検討し、18回、19回総会の案内に合わせて会員宛にアンケート調査を行い、19回総会で「20回をもって資統会を解散する」ということを報告し了承されました。

その後は、20回総会・解散会をどの様に企画するのかが役員会の焦点となり、「出来る限り会費を使い切る」をテーマに「心に残るようなイベントを行う」、「記念品を作成配布する」、「記念撮影をする」等のアイディアが俎上に上がり検討してきました。

会費を使い切る方策としては、努めて多くの人に参加して頂くため一人当たり2,000円の参加費を補助することとしました(19回総会でも実施)が、参加者数が想定以上に増えた場合は経費が不足する恐れもあり苦慮いたしました。記念品はボールペンを(予備を含めて)70本作成することといたしました。
「心に残るようなイベントを行う」に関しては、小生が発案して、同期の誼で中埜君に邦楽演奏を約1年前からお願いし快諾頂きました。

参加回答は予想をはるかに超え70数名に及び経費の懸念が現実化致しました。 最後の役員会でその対応を検討した結果、各担当役員の知恵と尽力で何とか赤字を出さないで済むとの結論に至り冷や汗を鎮めました。
平成30年4月8日11時からグランドヒル・市ヶ谷の「瑠璃の間」で、「第20回資統会総会・解散式」が始まりました。

     

総会に先立ち、佐藤紀久子さん、大熊育子さん、中埜和童さんによる邦楽演奏が披露されましたが、会員の皆さんは初めて本格的な邦楽演奏を聴く人が大半で、演奏終了後は割れんばかりの拍手でした。
その後の懇親会でも沢山の称賛の声を聴きました。時間が許せばアンコールをしたかったのですが、その後の予定もあり諦めることにいたしました。

     

参加者は、最後ということもあり、九州の鹿児島、大分から駆けつけてくれた方、初めて参加した方、久しぶりに参加した方等、都合で出席できなくなった2名を除き74名を数え大盛会となりました。そのため、記念写真は1枚では全員が入りきれないため2部に分け撮影いたしました。

     

     

懇親会では久々の再会を喜び合い久闊を叙する様子があちこちでみられ、本会を開催して本当に良かったと大きな満足と喜びを感じた次第です。
また、一部の会員からポスト「資統会」の希望の声が聞こえておりましたので、担当者を指定して「この指とまれ」方式で1年に1回開催することに決まりました。

楽しい時間は瞬く間に経過し、あっという間に閉会の時間を迎えてしまいました。最後に最高齢の米寿を迎えた参加者の発声で「万歳三唱」し解散致しました。


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