第4日 トロギールからスプリットへ 朝食後4時間半ほどバスに乗ってドブロブニクからトロギールへ移動します。 ドブロブニクもトロギールもクロアチアの町ですが、従来はボスニア・ヘルツェゴビナを経由して行く必要がありました。 国境越えの煩わしさ解消のため、海岸沿いの小島にトンネルを通し、橋を架けてボスニア・ヘルツェゴビナを迂回することが出来ました。モストで見かけたネレトバ川が海に注ぐ所を通過しました。 海岸道路を離れて内陸部の高速道路を走りましたが、石灰岩質のゴロゴロした岩山が続き、豊かな土地柄ではなさそうです。 トロギールは、クロアチア本土とチオヴォ島の間の小さな島にあり、橋によって結ばれている港町でギリシアの植民地として歴史が始まったそうです。中世の要塞の島として1997年、世界遺産に登録されました。 トロギールに到着後レストランでイカのグリルの昼食をとりました。この店も観光シーズンにはなかなか入れないそうです。 食後、大聖堂を見ました。入口にライオンの彫刻がありました。 カメルレンゴの砦とヤシの木のプロムナード。 町の中を見て回りましたが、この日は何かの記念日というので多くの店は閉まっていました。 スプリットへ移動 次に、約30分かけてスプリットへ移動しました。 スプリットはクロアチアのダルマチア海岸の町で、ビーチの他に中心部にある要塞のような建造物のディオクレティアヌス宮殿で知られています。この宮殿は4世紀に古代ローマのディオクレティアヌス帝が晩年を過ごす為に建てたもので世界遺産になっています。 旧市街全体がディオクレティアヌス帝の宮殿で、宮殿のすぐ前まで海だったそうです。 海側の青銅の門から宮殿の地下に入りました。土産物屋さんがありました。昔はゴミ捨て場だったそうです。 聖ドムニウス大聖堂(右)と鐘楼が見えます。手前の家は後世に色々な人が勝手に住み着いたらしいです。 右下に銅像が立っていますが、10世紀の司教グルグールの像で、足の親指を触ると願い事がかなうそうです。 第5日 プリトビッツェ経由ザグレブへ 早朝6時30分出発で約4時間バス移動をしてプリトヴィツェへ移動しました。 高速道路で内陸部に移動し、ボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近まで来ました。 プリトヴィツェ湖群国立公園は、クロアチアの国立公園であり、大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出しており、1979年に世界遺産に登録されました。 この付近でも内戦が行われたため、一時は危機遺産になってしまったそうです。 ボートや徒歩で広大な公園内を移動しましたが、気温5度でやや寒さが身に沁みました。 山からの水がカルスト地形の石灰石の間を通過する度に浄化され、こんなにきれいになったそうです。 プリトヴィツェ川の大滝は落差87mで、この川は下ってドナウ川に合流するそうです。 清流にすむ魚が泳いでいました。現地ガイドのNERAさんが「チャンプ」とか言っていました。 コジャック湖を30分ほどかけて船で渡りました。 公園内のレストランで白身魚のフライを食べました。何の魚かは分かりません。 ほうれん草とジャガイモは美味しかったです。 ザグレブに移動 その後、2時間半ほどバスで移動しザグレブに到着し、市内観光をしました。 ザグレブには18世紀から19世紀にかけて栄えたオーストリア・ハンガリー帝国時代の建築多いそうです。 「鉄道駅」からトラムに乗って2駅、イェラチッチ広場に着きました。 イェラチッチ広場にある騎馬像がイェラチッチ将軍でクロアチアの独立の恩人だそうです。 2018年のサッカーワールドカップで準優勝した時には、この広場に8000人の人々が集まりお祝いをしたそうです。 大聖堂は2つの尖塔が美しく、その高さは国内一を誇り、市内どこからでも良く見えるときいていましたが、2020年に起こったザグレブ大地震によって破損し、修復の最中でした。 店屋が続く中に、ネクタイ発祥の店「クロアタ」というのがありました。 石の門は1731年に起こったザグレブ大火災の際に無傷で残った唯一の門で、ゲート自体がチャペルになっています。 聖マルコ教会はカラータイルの紋章がある屋根が特徴です。 すぐ隣にはには国会議事堂や首相官邸もあり、この辺りが政治の中心になっています。 4時過ぎですがザグレブの町に日暮れが近づきました。散策を終えてイェラチッチ広場に戻ります。 土産物屋さんの人気商品は勿論サッカーのユニホームです。 夕食はホテルでチキンか魚かとハムとチーズをカツにしたものを食べました。 第6日 スロベニアのブレッド・リュブリャナへ ザグレブから約3時間半高速道路を走ってスロベニアのブレッドに移動します。 途中、クロアチアとスロベニアの国境を通過しますが、あっという間に通過できました。 NOMAGOバスがスロベニアの大きなバス会社で、ドライバーのドラゴさんもスロベニア人だからでしょう。 スロベニアは山や湖、スキーリゾートで知られる中央ヨーロッパの国です。 スロベニアは、西はイタリア、北はオーストリア、南や南東はクロアチア、北東でハンガリーとそれぞれ国境を接しており、面積は日本の四国とほぼ同じの2.2万km2、人口は約200万人で、首都はリュブリャナです。 スロベニア人が約90%、クロアチア人が10%を占めており、宗教はカトリックが約60%、公用語はスロベニア語です。 歴史的には、6世紀末にスラブ人が定住を初め、その後、ハプスブルク家の所領となり、1945年にはユーゴ構成共和国の一つとして発足、1991年にスロベニア共和国として独立しています。 ブレッド湖は、「アルプスの瞳」という愛称で人々に親しまれており、ブレッド湖周辺は、かつてセルビアの王族やハプスブルク家の別荘地でもあったスロベニア屈指のレイクリゾートです。 ここからブレッド湖とそこに浮かぶ緑の島の聖マリア教会の絶景を眺めることができます。 ブレッド島には「プレトナ」と呼ばれる小さなボートで約10分かけて渡ります。 船頭はマリアテレジアの時代から世襲制で、ムリノ村出身の男性のみ漕ぎ手となることが出来るそうで、透明度を保つため、モーターボートの使用は禁止されているそうです。船の名前はお母さんの名前だそうです。 船から下りると、99段の階段があり、その先に「望みの鐘」で有名な聖マリア教会があります。 聖マリア教会に残る「望みの鐘」は、恋愛のパワースポットにもなっています。 マリア教会内の正面にはマリア像が飾られ、祭壇の前にロープがぶら下がっています。心の中に希望を抱いてこのロープを引っ張ると屋上の鐘が鳴るようになっています。 観光シーズン中は、この順番待ちが長くかかるそうですが、今は鳴らし放題になっています。 更に90段上ると時計の駆動部があり、見晴らし台に続いていました。 ブレッド湖のほとり、高さ約100mの断崖にそびえ立つブレッド城は、ロマネスク様式とゴシック様式の外観を持ち、スロベニア最古の城のひとつです。ブレッド城の向こうの山はオーストリアです。 かつてユーゴスラビア大統領であったチトー大統領の別荘であった建物が高級ホテルになっていました。 昼食はその高級ホテルの近くのレストランでマス料理を食べました。 スロベニアの首都リュブリャナへ移動 その後、約30分かけて、スロベニアの首都リュブリャナに移動しました。 首都リュブリャナは数100年の間、オーストリアのハプスブルク家の支配域にあったため、オーストリアの地方都市のような古い街並みがみられます。 中央広場には、スロベニア国歌を作詞した19世紀の詩人プレシェーレノフの像が立っています。 彼は失恋したのですが、死後、その事を彼女が知り、彼の目の先に彼女の像が飾られています。 三本橋(トロモストヴイエ)はリュブリャナのシンボルの1つです。 中央の石のアーチ橋の両側に歩行者専用の橋を付け加えたのが、スロベニア人建築家ヨジェ・プレチュニックだそうです。 川向こうに聖ニコラオス大聖堂が見えます。 町のシンボルであるドラゴンは、力や勇気、大きさの象徴らしですが、色々な場所で見られます。 丘の上に建っているのがリュブリャナ城です。最初に造られたのは1144年。現在の姿は16〜17世紀になって築かれたものだと言われています。 第二次世界大戦中はイタリア人やドイツ人捕虜の収容所として活用されていたそうです。 青空市には美味しそうな果物が並べられていました。 現地ガイドさんがSLOVENIAの土産物をお勧めしてくれました。 大勢の人が集まってワーワー言って、ラッパも鳴って、旗も振られていたので、サッカーのサポーターが気勢を上げていると思ったのですが、市役所前で市民が抗議行動をしているようでした。 観光後、2時間半かけてクロアチアのザグレブへ移動します。 最後の晩餐は豚肉とチャーハンのような料理でした。旅行社から「飲み物代をもちますので好きなものを注文してください」と言われましたが、4ユーロくらいのビールで十分でした。 第7・8日 ザグレブからイスタンブール経由成田へ 朝食後ザグレブ国際空港へ。エアバス321−200でイスタンブールへ。 イスタンブールから成田へ 旅の最後はボーイング787−9に乗って帰りました。 食後、「なにわ男子」の高橋恭平君と、畑芽育さんが主演する「なのに、千輝くんが甘すぎる。」と、もう一本映画を見て、寝て、目が覚めるともう成田の近くまで来ていました。かなり歩き疲れていたようです。 旅の回想 今回はシルバー14人、ヤング2人の16人チームで旅を行いました。 イスタンブールまで約14時間はなかなか厳しく感じました。(帰りは快適でした。) 4か国の観光はかなり厳しいスケジュールで、ドラゴさんが一人で1600km走ったと言っていました。 プリトヴィツェやブレッド湖の歩きもなか大変でした。しかしそれにも勝る感動がありました。 次回の旅行を決行するか否かは私の中の「旅の虫」の機嫌次第というところでしょうか。
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アドリア海東岸諸国探訪
2023.11.15〜11.22 (後編)