百済王朝ゆかりの地を巡る旅   
    2014年3月10日~15日 (下巻)  


第5日目(3月14日・金・曇りのち晴れ)
今日も盛り沢山に、格浦、扶安の亀岩里支石とトーテムポール、碧骨堤の発掘現場、全州、益山を見てきました。
益山研修を終えてソウルに戻りました。



格浦海岸
格浦は、全羅北道 扶安郡 辺山面にあり、辺山半島国立公園に属しています。
リゾートホテルから絶景を間近で見ることができます。ここも白村江の候補地の一つです。
海岸の突端には、今でも軍隊の監視所があるそうです。


竹幕堂(海の神)
この割れ目のある岩は海から見ると女性のそれに見えるということで漁師の目印になっているそうです。
竹幕堂では海難の安全や豊漁祈願が行われています。


扶安の亀岩里支石墓とトーテムポール
扶安の亀岩里支石墓は3世紀以前のものらしいですが、村の有力者のお墓として巨石を積んだようです。
後方のきれいな山がお墓の背景として意味がありそうです。
トーテムポールは村の西門と東門に立ててあったそうですが、厄除けの意味があったのでしょうか?


扶安の家
扶安の立派なお宅を見かけました。韓国のソフトバンクのお父さんの家の屋根も立派でした。


碧骨堤(ピョッコルチェ)
碧骨堤は330年頃に建設された貯水池で、堤防は3kmほどあります。
水門付近の発掘現場を見せていただきましたが、版築方式で幾層にも突き固めたもので、底辺部分には「しきそだ」という葦や草を敷いて、強くしているそうです。
大阪の狭山池の堤防(7世紀前半に築造された)も同じ構造になっており、百済(あるいは馬韓)の技術が伝えられたとのことでした。


食は全州にあり
全州の南門をぐるっと一周したのち、昼食をとりました。
「食は全州にあり」と言われており、「食の全州」はビビンバ発祥の地だそうです。ここでは勿論、本場のビビンバをいただきました。


益山は百済の王都
益山は弥勒寺、王宮跡、帝釈寺等の発掘により貴重な遺物が発見され、百済の王都であったと考えられるようになったとのことで、復元工事や博物館の整備などが精力的に行われています。
発掘にあたられたチェ先生からレクチャーを受けた後に、見学したのでよく理解できました。

弥勒寺
弥勒寺は600年頃百済の武王が建立したもののようで壮大なスケールです。
九重の石塔(東塔)は壊れていたけれど残存していたそうです。西塔は今、修復中です。池に2つの石塔が写る日が待ち遠しいです。


塔の後ろに金堂の礎石部分が山の方まで広がっています。木造の九重の塔もあったようで、完全な姿に復旧すると素晴らしいですね。


石塔の礎石の部分から金の壺が出てきました。その中にまた、小さな金の壺が入っており、その中には仏舎利が入っていました。(国宝)
仏舎利は拡大レンズを通してはっきりと見えました。
その他に、金の板に記録が書かれていたり、真珠やガラスのビーズが入っていました。


王宮里
王宮里も益山にあり、弥勒寺から5kmほど南にあり、壮大な規模で感嘆しました。
五重塔(石塔)は傾いていたけれど残存していたそうです。


塔の基壇部から金製の舎利函が出てきたそうです。(国宝) 金の靴も展示されていました。


これは兜でしょうか? 右は木棺ですが、日本のコウヤマキが用いられているそうです。


最後の晩餐はソウルで
いよいよ旅も終わりになるので、晩餐はハヌソにしました。美味しかったです。
そして、反省会を都会の鄙びたお店で開きました。海鮮チヂミと、ねぎチヂミでお酒も進んですっかりご機嫌でした。


第6日目(3月15日・土・晴れ)
お名残り惜しいですが、今日で旅の終わりです。

無事、金浦空港から羽田に帰ってきました。
すっかり忘れていましたが、かの地では反日の片鱗にも接することはありませんでした。

この旅を献身的に支えてくれたガイドさんにカムサハムニダ




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