バクーからグルジアへは空路で1時間半。グルジアは人口約425万人で、国民の84%がグルジア人。宗教は75%がグルジア正教徒、経済は観光や果樹・ワインなどの他、原油・天然ガスパイプラインによる収益で上向いており、また人情に厚い国と言われている。
世界では「ジョージア」と呼び名が変わってきており、日本でも近々「ジョージア」に変わるようだ。

 グルジア出身の有名人では、スターリン、シュワルナゼ、臥牙丸、栃ノ心などがいる。
グルジアは柔道王国でもあり、世界選手権で団体優勝をしている。
スターリンはグルジア出身だが、ソ連の首脳になってから、祖国の人を大勢殺したので人気が無いそうだ。

 温暖な気候に恵まれたグルジアは「カスピ海ヨーグルト」の生まれ故郷。また、ワインは8000年の歴史があり、クレオパトラも愛したと言われ、約500種類のワインがあり、ヨーグルト・赤ワイン・農産物の恵みによりグルジアは長寿国だそうだ。 

トビリシ
 バクーから空路グルジアの首都トビリシに到着。暖かい温泉という意味だそうだ。
トビリシはバフタング6世によって開かれた緑の豊かな美しい街で、秋の収穫祭の準備が進められていた。
この町にはいろいろな宗教の寺院がすぐ近くにある。
グルジアは世界で2番目にキリスト教を国教とした国で、今回の旅で巡る教会は殆んどすべて世界遺産に指定されている。


トビリシの町を散策
 最初に訪れたのは、町の中央を流れるムトゥクバリ川を見下ろす岩の上にあるメテヒ教会。
教会の内部にはきれいなイコンが描かれていた。
ありがたいことに、旅行中殆んどの教会でイコン等の教会内部の写真撮影が許された。


 町を歩いていると、グルジアで有名な「タマダ」という宴会部長の彫刻を見つけた。
また、美味しいパン屋さんにも立ち寄った。
グルジアへの外国からの旅行者はドイツ人が一番多いそうだ。


 町を見下ろす丘に登ると、神学校やトビリシの名前のもとになった暖かい温泉(ハマム)が見えた。


夕食は民族舞踊と音楽を楽しむ
 夕食時にはコサックの舞のような激しい回転のある踊りと、男性プレーヤーによる素晴らしい演奏を楽しみながら「グルジアワイン」を楽しんだ。


アルメニアへの往復
 翌朝はアルメニアへの移動で、バスで国境まで行き、10ドルの入国手数料を払って国境を通過した。
国境は小コーカサス山脈の尾根沿いの川で、この辺りは雪も降っており、もう冬の寒さだった。
(その後の2日間は、アルメニアの項に記載)

ムツヘタの町
 小コーカサス山脈にあるアルメニア国境から帰って、高地の牧畜地帯から更に農業地帯を下って再びトビリシに帰った。
昼食後、トビリシの前にグルジアの首都であったムツヘタに向った。
ムツヘタはクラ川とアラグヴィ川の合流点にできた町で、紀元前4〜5世紀に栄えた古都。
町の中にあるスヴェティ・ツボヴェリ大聖堂には、グルジア正教を広めた聖ニノが祭られており、地下にはキリストの着衣の一部が埋められているということだった。


グルジアの食事
 食事で美味しかったものに「焼きナスにペーストを塗ったもの」があった。
また、グルジア料理として有名な「ヒンカリー」は「小籠包」と同じで、確かに美味しかった。


軍用道路
 軍用道路を通ってカズベキ山へ出かけた。
軍用道路は19世紀初頭、ロシア皇帝が南コーカサスを支配するため、「北オセチア」のウラジカフカス(コーカサスを征服せよという意味)からトビリシまで、昔のシルクロード交易路をもとに、210kmの道路を整備したもので、現在では流通や観光の目的で使用されている。

アナヌリ教会
 軍用道路を進んで行くと、アナヌリ教会に到達した。
黄葉の中の教会は一際美しかった。
この地は交通の要衝でもあり、聖マリア教会の周囲に城壁が築かれている。


十字架峠
 更に進むと「グルジアとロシアの友好の壁」があり、その先に軍用道路の最高地点、十字架峠(2395m)があった。
「友好の壁」では、雄大な山の姿を背景に観光客がポーズをとってくれた。

 「十字架峠」には、第2次世界大戦時に捕虜になり、強制労働により多数の死者を出したドイツ兵の墓があった。
ドイツ兵の墓の傍にあるのはグルジア軍のレーダーで、すぐ傍の山の頂上にはロシア軍のレーダーがある。
ここはグルジアと南オセチアの国境になっている。
ロシアとグルジアは2008年に陸海空軍を動員した「南オセチア紛争」を行っており、両国の関係はあまり良くないようだ。


カズベキ山へ
 更に進むと、幸せなことに天候が回復してきた。
天気予報では雨であったのにカズベキ山に近づくとなんと雲一つない快晴になってしまった。
そして、ついにカズベキ山(5047m)の美しい姿が現れた。

 ところで、カズベキ村の写真には赤いパイプが写っているが、これはアゼルバイジャンから送られてきたガスを各家庭に送るガス管だ。
ウクライナの情勢でもわかる通り、ロシアにガス供給を依存するといざというときに止められてしまうので、グルジアでは全国的にアゼルバイジャンからのガス管が張り巡らされている。
グルジアにはロシアから友好国であるアルメニアに送るガス管も走っている。


カズベキ山の聖三位一体教会
 カズベキ村から4WDに乗って聖三位一体教会(2400m)に到達した。
そこで不肖、中埜和童はカズベキ山を背に、コーカサスの北の空に向けて、ある女性の鎮魂を祈って尺八の音を届けた。


最終日 テラピーのワイナリー訪問
 カズベキからトビリシに戻った翌日は、いよいよ旅行の最終日。
この日は、グルジア名物のワイナリー観光。葡萄畑が続く中を進み農家に到着。
ここでワイン作りを見せていただく。
グルジアワインはヨーロッパのワインと異なり、収穫後、2週間ほど葡萄の皮と実(ジュース)と種を一緒に仕込んだ後、濾して熟成する。
このため白ワインも黄色がかかっているのが特徴になっている。


ワイン作りを見た後、農家で食事をごちそうになった
 メインは焼いた豚肉で、ワイン、コニャック、チャチャ(葡萄から作ったウオッカ)などをごちそうになった。
加藤登紀子の唄で有名な「百万本のバラ」がグルジア人の画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという女優に恋した話をもとに作られたということが紹介され、歌も出て、名酒の助けもあり、昼食は大いに盛り上がった。


 グルジアが豊かな農業国であることを確認した良い旅であった。


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