今回の旅の行き先は「草原のシルクロード」の国、カザフスタン・キルギスを選びました。
両国ともに、1991年のソ連崩壊に伴って独立した共和国です。
 以前、ウズベキスタンを旅した時、ガイドのアレックス君から「カザフスタンは草原ばかりで他には何もありませんよ」と言われたが、かつて草原を疾走していた突厥などの騎馬民族の姿を思い浮かべることができるといいなと思いながら、旅立ちました。

 ところで、2014年に「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の名で中国、カザフスタン、キルギスの遺跡などが世界遺産に登録されています。

旅の始まり
 成田空港からアシアナ航空のボーイングB747型機で12時30分に出発、15時にインチョン空港に到着。
ここで3時間待機した後、同じくアシアナ航空のエアバスA320型に機に乗換えて6時間のフライトの後、22時にカザフスタンのアルマティに到着し、ホテルに直行しました。
カザフスタン・キルギスともに、日本との時差は3時間です。

                    

カザフスタンの紹介
 カザフスタンの面積は日本の7倍、人口は約1640万人で、カザフ人が65%、ロシア人が22%、その他100の民族から構成される多民族国家です。
国土は殆んどステップ(草原)や砂漠に覆われており、カスピ海の石油をはじめウラン、鉄鉱石、レアメタルなどの鉱物資源が豊富で、小麦などの農業や牧畜が盛んな豊かな国です。

 宇宙飛行士の油井亀美也さんが宇宙に向ったバイコヌール基地もカザフスタンにあります。(ロシアが1億$/年で租借中)


 

 カザフスタンの旗は青色が青空を、黄色の太陽と鷲は明るい希望と自由を象徴し、左の文様はカザフ民族の伝統的な装飾を表しています。

首都アスタナについて
 アスタナは今回の旅の日程に入っていませんが、カザフスタンの北部に位置し、1997年から首都となり、2017年には万国博覧会が開催される予定になっています。
この町は黒川紀章氏が設計し、現在も建設が進んでいます。

 カザフスタンが、北部のアスタナに首都を移した理由は、ナザルバヤフ大統領がロシアに対する国家主権意志を明確にするが目的の一つだと言われています。

アルマティに到着
 アルマティは「りんごが採れる町」という意味で、カザフスタンの南東の隅にありますが、シルクロードの交易町として栄え、1997年に首都が北部のアスタナに移るまでは約70年間首都だった町で、今でもビジネス、文化、学問が盛んな中央アジアを代表する大都会です。

 アルマティではホテル「オトラル」に宿泊しました。
ソ連時代からある老舗のホテルで、日本人旅行者がよく利用していますが、食堂は立派で、やや時代がかっています。
バルコニーからロシア正教会の塔が見えました。

 

2日目 タムガルへ
 アルマティからバスで約3時間走って、タムガルの岩絵を見に行きました。
ここは2004年、カザフスタンで最初に世界遺産に指定された所です。青銅器時代から鉄器時代、サカ族によって狩りや生活の様子が5000点も描かれており、当時、ユキヒョウを家畜として飼育し、狩猟に使っていたことがわかります。

 

カザフスタンの農業
 アルマティの町を出ると広大な草原が続きます。カザフスタンは、中央アジアの中でも唯一、ソ連時代のコルフォーズ・ソフォーズが残っており、コンバインを使用して、小麦・トウモロコシ・米などの大規模な有機農業がおこなわれています。
そのため、ソ連邦崩壊後も多くのロシア人がこの地に残ったそうです。

 

カザフスタンのエネルギー事情
 バスはずっと続く草原の中を走ってキルギスに向いました。
以前、間寛平が地球一周マラソンで、48℃の炎天下にこの道を走って、一躍、この国で日本の知名度が上がったそうです。

 キルギスとの国境に近づくと風力発電の建設現場がありました。
カザフスタンのエネルギーはカスピ海で採れる石油が主であり、石炭火力や水力発電も行っており、更に風力発電にも取り組んでいます。カザフスタンは物価が高い中で、ガソリンなどの燃料費は安いそうです。

 

キルギス入国、そしてカザフスタンへ再入国
 旅はこれからキルギスに向かいますが、カザフスタンの旅をまとめるために、後日、キルギスからカザフスタンへ再入国した旅を引き続き報告します。

7日目 チャリンキャニオン観光
 キルギスからアルマティに戻った翌日、中国との国境に近いチャリンキャニオン観光に出かけました。
2000万年前、豊かな水量だったチャリン川の水量が突然減少し、その後、風化が進みミニ・グランドキャニオンができたそうです。
東方を見ると雲間から山の姿が見えましたが、この山の向こうは中国新疆ウイグル自治区イーニンになります。

 

ウイグル人の村で昼食
 チャリンキャニオンの近く、ワイセイット村で昼食をとりました。
新疆ウイグル自治区から山を越えてやって来たウイグル族の村だそうです。
シャシリクというラムの串焼きが良い味を出していました。

 

西ヨーロッパ・中国西部高速道路
 チャリンキャニオンンへの途中、「西ヨーロッパ・中国西部高速道路」(コンクリート製)の建設現場を悪性苦闘して通過しました。
この道路建設は2009年に開始された国際事業で、もう3〜4年の内には完成しそうな状況でした。

 カザフスタン内では2787kmが通過しており、東は中国の新疆ウイグル自治区イーニン、更にウルムチ、西安に通じているそうで、現代版シルクロードになりそうです。

 

8日目 アルマティ市内観光 パンフィロフ公園
 大祖国戦争(第2次世界大戦の対ドイツ戦)で、モスクワを防御し、戦死したパンフィロフ将軍率いる28人の戦士を記念した像がありました。

 

ロシア正教会 ゼンコフ大聖堂
 カザフスタンには多くのロシア系住民が生活しており、公園の中にロシア正教会がありました。
教会の中は写真撮影をできないと聞いていましたが、結婚式のセレモニーが行われており、撮影が許されました。

                  ロシア正教会のチャイム (生録音)

 

国立博物館
 カザフスタンの歴史資料が豊富に展示されており、元気な子供達が見学に来ていました。
人気の展示物は「黄金人間(レプリカ)」で、アルマティ近郊でスキタイ戦士の墓から発掘されました。
4000以上の金細工から出来ているそうです。なお、「黄金人間」の本物はアスタナにあるそうです。

教育事情
 カザフスタンもキルギスも共通で無料の義務教育は9年で、その上に大学があり、大学進学率はカザフスタンでは約80%、キルギスでは約90%です。
高校卒業生は2年、大学生は1か月の軍隊訓練があるそうです。

 

オペラバレエ劇場
 オペラバレエ劇場では18世紀にカザフ・ハン国のハン(王)だったアブライ・ハンのオペラが催されていました。
オペラバレエ劇場の前にはホテルがありますが、その奥の立派な建物は億ションで、この国には大金持ちが沢山いるそうです。

 

自動車事情
 カザフスタンでもキルギスでも日本の自動車が沢山走っていました。
トヨタ・ホンダ・スバル・ミツビシ・ニッサン等の新車同然の中古車が多く、レクサスも沢山走っていました。
スバルは故障しないので人気が高いそうです。
 これらの車はウラジオストクからシベリア鉄道で運ばれてきているそうです。

 

メデウスケート場とシンブラクスキー場
 アルマティ郊外にメデウスケート場とシンブラクスキー場があります。
2022年の冬季オリンピック招致では北京に負けましたが、メデウは旧ソ連のスピードスケート選手の合宿地、シンブラクは中央アジアで一番のスキー場です。

 

カザフスタン・キルギスの料理
 定番料理で申し訳ありませんが、プロフ・ラグマンを紹介します。
プロフはピラフと同じ、ラグマンは肉うどんです。 地ビールもおいしかったです。
ワインはあまり推奨できないようで、オーダーしているのを見るとジョージアのワインが出ていました。

 

 カザフスタンのワイセイット村で食べたシャシリクというラムの串焼きは秀逸でした。
また、イシル・クル湖には3種類しか魚が住んでいないそうですが、その1つのシーガという魚のフライが出ました。

 

9日目 アルマティからインチョン経由で成田へ
 カザフスタン・キルギスの旅を終わって、往路と逆順で無事に帰ってきました。
総合所見は、キルギス編に書きましたのでそちらをご覧ください。



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「カザフスタン・キルギスの旅」
2015年10月9日〜17日
(カザフスタン編)