年齢と趣味の変遷
年齢と趣味の変遷 初めての冬山は、BОC時代の小富士登山だった。 1968年2月、帰路のアイスバーンで転倒し、腕を骨折して多くの方に迷惑をかけた。 私にとって山の「導師」は、後にエベレスト無酸素登頂に成功した同期の安藤千年君である。 無鉄砲の2人で、自衛隊の通常装備でどこまで耐えられるか試してみようと意気投合。 寒地用天幕・アイゼン・ピッケルも持たず、半長靴、通常の寝袋、イグルーで一晩過ごし、意気揚々と引き揚げる早朝に転倒した。 激痛に耐えられず、中央病院に即入院。終業前の迫撃砲射撃・試験は欠席。 BОCの成績がCであることは、後に教育課長時に知ったが、ビリということだった。 だが、冬山の「痛い経験は」北海道での積雪寒冷地訓練に十分生かした。 冬季検閲の難関は隷下30度になる峠越えのスキー夜間行進。 何回も指導にあたったが、八甲田遭難の徹は踏まなかった。 軽度の凍傷患者は出たが、アキオ曳行者に骨折や重症者はなかった。 ホッカイロやフリースはなく、綿の靴下に唐辛子を入れていた時代である。 若い時は、仕事と趣味がマッチングし、挑戦することに喜びがあった。 その後、地連・募集勤務では麻雀、陸幕勤務ではカラオケ、師団・連隊勤務ではゴルフに凝った。 それが趣味かと問われれば、そこに仕事上のメリット・親睦や付き合いという要素があった。 だから一方で仕事とは完全に離れ、山歩きやクロカンスキーに息抜きを求めていた。 そのうち退官。 研究・執筆活動に入ると足腰の衰えを自覚。 夏山も「他に迷惑をかけては」と控えめにし、里歩きに転向した。 一昨年は母の死を機に、四国八十八か所歩き遍路に挑戦し、1,100km踏破をやり遂げた。 こうした趣味(?)の変化を振り返ると、ヒトが楽しい・息抜きと感じる要素は、非日常性、挑戦性、連帯性、没入性の四つだと思う。 登山や遍路にはそのすべてがある。 加えて心身の健康にいいことは言うまでもない。 これから老齢期を迎える我々が前向きに生きるためには、「自分に合った『好き』なものを探すこと」だと、『団塊の世代』を書いた堺屋太一は述べている。 友人と趣味は人生を豊穣に彩ってくれる。 麻雀・ボーリング・ゴルフ等も、その当時は評判が良かったが、時代の変化を受けて競技人口も減っている。 暇を持て余さず、本格的に絵筆をとる人、旅を楽しむ、短歌や川柳に投稿するのもいいだろう。 好きなことを極めれば、同好の士の人脈ができて孤独にならない。 そういう意味から、老兵として価値観を共有し、気楽に付き合える同期生・同窓生のつどいは、改めて考え直してもいいのではなかろうか。
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喜田 邦彦
6 区 隊
職種:普通科