中埜和男(和童)
幹候:8区隊 職種:通信科
団 地 の 夏
団地の夏 希望に溢れて1500世帯、5000人の、この団地に入居してもう35年近くになってしまった。 あの頃は皆、若かったが、今はシルバー一色だ。 35歳で入居して、70歳になってしまったのでこれは致し方ない。 夏のある日、ベランダから外を眺めた。 すぐ下に息子が通っていた幼稚園が見える。 団地のスタート時にオープンした幼稚園と2つの保育園は、今も健在だ。 あの頃、幼稚園児は90%が団地の子供だったが、今では90%は近隣からの子供である。 幼稚園も建て替えをしてモダンな園舎になっている。 団地のスタートから少し遅れて、ほぼ団地専用の小学校がオープンしたが、今では近隣の子供たちが主力になって学んでいる。 つっかい棒が無いと、立っておれないようだった華奢な植え込みも、今ではどっしりとした森になっている。 入居当時の「ニュータウン」から、今や「オールドタウン」に変身したわが団地も、全棟共通の大規模修繕を終え、私も何とかここで人生の最後の日々を過ごせそうである。 入居当時は新しい土が入れられたので、まだ蝉の声は聞こえなかった。 今では蝉の大合唱である。 木の根元を見ると蝉が這い出てきた穴だらけ。 地中に何年か居た後に地上に這い出して短い命を終えると聞いたが、私の一生と変わるところは無さそうだ。 70歳以上のシニアが住民の主力になった今、杖をついたり、シニアカーを押す人達が増えている。 掲示板に、以前は男性の訃報が多く張り出されているように感じたが、最近は女性の訃報も増えてきたように思う。 お盆には団地の人達のボランティアによる納涼祭が開かれ、近隣の人達もこの納涼祭を楽しみにしている。 祭りは太鼓サークルの演奏でスタート。 この太鼓サークルはアメリカまで演奏旅行に行ったそうだ。 小学校・中学校からのブラスバンドの賛助演奏もあったたが、残念ながら激しい夕立で、屋内演奏になってしまった。 子供みこしも団地の中を練り歩く。 (神輿本体の写真は後に出てきます。) 祭りには自治会「まつり部」が大活躍する。 広場ではオセロ大会が開かれ、人々は会話を楽しみながら食事をとる。 模擬店も35年のボランティア活動を経験して、プロ顔負けの運営をしている。 子供たちの楽しみはおもちゃや駄菓子を買うこと。 お店の人達は、団地内の店屋や団地の住民ボランティアだ。 福島のアンテナショップがお店を出していて、桃、ブドウ、ジュース、野菜などが飛ぶように売れていた。 店は日本橋に移転したが、以前は団地の近くにあり、原発風評被害の中でも、皆が積極的に買い物をしていた。 店長も団地の人達の人気者だ。 私も「福島の地酒とおつまみ」を買って、ささやかながら福島の復興に貢献をした。 一昔前は、団地を出た子供たちが祭りの日に戻ってきて、旧友たちとの再会を楽しんでいたが、今では、子供たちが更に孫を連れて戻ってきている姿が目立つ。 やはり、入居以来35年の時間を感じる。 夜になると「神輿かつぎ」と「盆踊り」の本番を迎える。 「神輿」は、有名神社のような本格的なものではないが、「大人神輿」「子供神輿」が揃い、手作りの味わいがある。 子供たちに「ふるさと」を持たせようとする住民たちの努力が続いている。 「盆踊り」の主役は「敬老会」のお姉さま方。 オリジナルの「盆踊り唄」もあり、稽古もしっかりしていて、新曲もどんどん取り入れている。 昔は佐良直美の「二十一世紀音頭」で踊っていたが、今や「二十一世紀の夜明け」は遥かに通り過ぎてしまった。 幼稚園の園児も「盆踊り」の稽古をしており、踊りの輪に加わっている。 踊りの曲も子供たちを意識して、人気アニメの曲がかけられている。 20時30分が来た。 シンデレラではないけれど、楽しかった盆踊りも見事に終了。 団地は再びに静かになった。 そして、来年の夏を楽しみに、蝉たちと一緒に深い眠りに落ちた。 |