中埜和男(和童)
幹候:8区隊 職種:通信科
進藤義彦(篁童)先輩の思い出 進藤義彦(篁童)先輩との出会い 私と尺八のつき合いが始まったのは、桧町の陸幕勤務時代の34歳の時でした。 それまでトランペットを吹いていましたが、これ以上の継続は無理と考え、次なる道を模索していた時代でした。 防大同期で尺八クラブ出身だった恩田君に教えを乞おうとしたところ、彼の先生である荒屋夢童さん(当時、自衛隊調査学校の中国語教官)を紹介された。荒屋さんに教えを乞おうとしたところ、更に四谷にあった琴古流童門会本部の山下慶童先生を紹介され、尺八の稽古を開始しました。 そんな時、童門会本部で自衛隊OBの進藤義彦(篁童)さんにお会いし、その後、自衛隊と尺八の後輩として、約30年間、暖かく指導をしていただきました。 進藤さんは、陸士47期で、2・26事件の折、同期の林八郎少尉の銃殺処刑にあたられた方です。 林少尉と進藤少尉は懇意の仲で、剣道のライバルでもあったとか。林少尉の銃殺は「武士の介錯」だったということをお聞きしました。 進藤さんは騎兵の出身で、自衛隊では富士学校の機械化実験隊長等の要職につかれ、退官後は亜細亜大学で教授をしておられたと記憶しています。 また、娘さんは音楽の道に進まれたと聞いています。 進藤先輩からはスケールの大きい「武人」としてのオーラを感じていました。 篁風会の思い出 ある日、進藤さんから「厚木で主宰している篁風会の稽古発表会に参加してみないか?」と声をかけていただきました。 これをきっかけに、年に二回、箏・三味線・尺八の合奏をすることになりましたが、尺八の一人吹きはなかなかうまく行かず、反省の日々が続いていました。 もっとも発表会後の居酒屋での尺八仲間との反省会(飲み会)は楽しいものでした。 反省会での楽しみの一つは、進藤さんが原語で朗々と歌われるロシア民謡を聴くことでした。 また、新年の尺八稽古発表会では例年、居合いを披露されました。 刀が飛んでこないかとヒヤヒヤしましたが、当時の先輩は現役最高齢の居合いの達人と聞いており、間近で見せていただきました。 静かな中に気合が充実していました。 その後、進藤さんは数年の療養を経て、平成18年に93歳で天寿を全うされました。 葬儀では、我々尺八の後輩一同が、琴古流本曲「三谷菅垣」を献笛して武人の葬送に慰霊の誠を捧げました。 この厚木の稽古会のお蔭で、一流のプロの方々とご一緒に演奏する機会が増えました。 生田流から佐藤延子社中、山田流から木本照光社中が参加、佐藤延子先生の娘さんである佐藤紀久子さん(東京芸大卒)も参加されました。 さらに歳月が流れ、私も尺八稽古歴30年余りを経て、ようやく「人前で演奏できるかな」という気持ちになってきました。 そこで厚かましくも、佐藤紀久子さんにお願いして、箏・三味線・尺八の邦楽ライブにお付き合いをしていただいています。 進藤さんとのえにしに感謝 最近では、偕行社文化祭、郷友連盟の記念演奏、東京都隊友会、同期生会や、退官後にお世話になった会社の仲間の会、老人ホーム慰問などで、佐藤紀久子さんや芸大卒業生の仲間とコラボを楽しんでいます。 そうした機会のあるたびに、進藤義彦(篁童)先輩とのえにしを思い浮かべ、感謝している日々です。 偕行記事(喜田君担当)に加筆 進藤義彦氏(陸士47期)の林八郎少尉介錯に関する記述(PDF) |