中埜和男(和童)
幹候:8区隊 職種:通信科
楽しい同窓会 先日、中学のクラス会(昼食会)をするので、参加しないかと旧友からの誘いを受け、いそいそと参加してきました。 その後、関東地区にいる中学の同窓生からに紅葉狩りに行こうと誘いを受け、またまた参加しました。 故郷を離れて50年以上、父母も亡くなってしまった今、昔の友人達と同窓会での会話は楽しみの一つです。 神戸でのクラス会に参加 私は現在、関東に住んでいますが、いろいろな事件で有名な兵庫県尼崎市の出身で、中学3年の時の旧友から「神戸のホテルでクラス会(昼食会)をしよう。」と声をかけられ、いそいそ出かけてきました。 新幹線の始発に乗って神戸に向かう車窓からは富士山が見え、気分はルンルンという所でした。 いつもは尼崎に帰るために、新大阪で降りていますが、神戸のホテルでの昼食ということで、初めて新神戸で下車しました。 昼食にはまだ時間があったので、ここも初めての神戸異人館を散策。 中はレストランや喫茶店になっていましたが、いかにも異人館といった感じで、18歳まで尼崎で育ったのに、神戸のことを知らない自分を発見しました。 その後、三宮を経て、神戸オリエンタルホテルに到着。 もう、そこには阪神・淡路大震災の跡かたは全然感じられない景色を見ました。 さて、昼食会。 5年前に中学の卒業50周年の全校同窓会があり、以後はクラス毎の同窓会にするというので、もう同窓会の成立は難しいかなと思っていた所に「やるヨ!」という声がかかったので、喜んで参加しました。 中学卒業以来、55年ぶりに会ったクラスメートや、卒業50周年の同窓会以来5年ぶりのクラスメート、中学・高校が一緒でつい今年の春にも会ったクラスメートなど様々でしたが、楽しく語り合いました。 そして、2次会は、三宮で店を開いている同窓生の店に繰り出し、ローカルな話題を楽しんでいました。 おっと、そこで大変なことを聞いたんです。 クラスメートの女性群のうち、3人がもう未亡人になっていた。 統計が示している冷厳な事実がそこにありました。 ということは?? 私もいよいよ、危険水域に到達したということを、身近なクラスメート達から教えられました。 残された人生をいかに充実して生きるか? いよいよ本気で考える時間帯のようです。 昭和記念公園(立川)で「昭中さんしの会」 さて、それから半月。 関東地区の「昭中さんしの会」の永久幹事をしてくれている千葉県在住のクラスメートから「第10回さんしの会」を昭和記念公園でやりましょうという呼びかけを受けました。 「昭中さんしの会」は、昭和34年に昭和中学を卒業した同窓生の会にちなんで、幹事が付けてくれたネーミングで、春、秋にピクニックに行き、その後、酒盛りをするというのを目的にしています。 東日本大震災の年には中止になったり、スタート時よりメンバーが減ったりしましたが、まあまあ続いており、当日は絶好の行楽日和で、楽しい一日を過ごしました。 昭和30年代・40年代に故郷を離れて東京に出てきたのは、上野にやって来た東北の人たちだけではありません。 私は東海道線の夜行で東京(本当は横須賀)に出てきました。 私たち関西出身者を含め、全国から東京・関東へ大勢出てきていたんですね。 尼崎に帰っても、阪神・淡路大地震で家は崩壊し、家族もそこにはいなくなっており、また、1学年に14組もあった「昭和中学」も、生徒が減って統合され、「中央中学」になってしまいました。 「ああ、昭和は遠くなりにけり。」 浦島状態になってしまった今となっては、私は故郷=クラスメートだと思って同窓会を大切にしています。
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