「キエフの大きな門」 (2017.6.23〜7.1)
ワインの国・モルドバ
モルドバ共和国は国土の広さは九州よりやや狭いくらいで、人口は約350万人。 民族はモルドバ・ルーマニア人が約65%、ウクライナ人14%、ロシア人13%、宗教は正教が98%です。 モルドバはワインの産地としても知られ、あちこちに葡萄畑が広がっています。 モルドバは、もともとルーマニア人の国家であるモルダビア公国に属していましたが、その後、16世紀にオスマン帝国の影響下に入り、1812年にロシアに割譲されました。 第一次世界大戦後に再びルーマニア領に戻りましたが、1940年にはソ連に編入され、1991年にソ連の崩壊により独立しました。 モルドバ経済はソ連時代にはワイン生産の単一経済を担当し、資源・エネルギーを他の共和国に依存していたため、ソ連の崩壊によって壊滅的な打撃を受けました。 経済はその後も一進一退の状態が続き、モルドバは現在でもヨーロッパの最貧国と言われています。 若者の貧困に対する不満から「twitter革命」が起こり、2009年から3年間も大統領が不在だったそうです。 若者の失業率が50%くらいあり、外国に出稼ぎに行く人も多いそうです。 モルドバも「美人の国」として評価が高いそうです。何か「美人の国」巡りの下心がありそうに思われそうですが、とにかく現地で確かめて来ましょう。 沿ドニエストル・モルドバ共和国 オデッサから約110km、モルドバ共和国の東に位置する沿ドニエストル共和国の検問所で入域審査を受け、主都ティラスポリに到着しました。 沿ドニエストル・モルドバ共和国は、1990年にモルドバがソ連から独立する際、ロシア系住民が「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言してモルドバ政府と戦争になりました。 国際的にはモルドバ共和国の一部とみなされていますが、民族としてはロシア系が約30%で、モルドバ共和国政府の実効統治ができていない状態です。 独立戦争当時、ロシアが応援に駆けつけて以来、警察・軍隊はロシア軍が担当しています。 沿ドニエストル・モルドバ共和国の首都ティラスポリで昼食をとりました。 このビールはモルドバからの輸入品です。 ◎ ティラスポリのレストランで聞いた音楽 ティラスポリの中央部で「ガガーリン」に出会いました。 ソ連邦の英雄は沿ドニエストル・モルドバ共和国とは直接関係はありませんが、今でも誇りなんでしょうね。 そして、堂々としたレーニン像と市役所。 人口47万人の自治共和国が頑張っている理由は発達した工業地帯と豊かな農地を持っているからです。 沿ドニエストル・モルドバ共和国、アブハジア自治共和国と南オセチア共和国が連合を組んでいます。 ロシアはこれらの国々を認めると独立のドミノ現象が起きては困るので、認めていません。 ペリンスキーは防毒マスクを発明したそうです。 この国唯一のSheriff財閥はロシア系で石油で儲けたようで、サッカー場・スーパーなどを展開しています。 モルドバの首都キシナウ ティラスポリでの観光後、1時間半ほど走って、夕方、モルドバの首都キシナウへ到着しました。 町を歩いてみると若者達がストリートパフォーマンスを楽しんでいました。 翌朝、市を代表する生誕大聖堂を見学しました。 ロシア正教系のモルドバ正教教会で、中では朝のミサが行われていました。 中央広場の「勝利の門」は1840年の露土戦争で勝利したのを記念する凱旋門で、後方は市役所です。 シュテファン・チェル・マレ公園の正面にはモルドヴァ公国を建国したシュテファン大公の像があります。 この公園内には若い頃、この地で暮らした作家プーシキンの像もありました。 国会議事堂の正面にはMOLDOVAのきれいな植え込みがありました。 ミレスチ・ミーチワイナリー 世界最古のワイン生産地域の一つと言われているモルドバ共和国では、紀元前3000年頃にはワインの生産が始まり、モルドバワインは世界で高い評価を得ているそうです。 葡萄づくりに最適の温暖な気候と、粘土質を含んだ個性的な土壌が葡萄の生産に適しています。 国営ミレスチ・ミーチ社は16世紀に会社が設立されて以来、有機農法によるワイン製法を厳守しており、王公貴族専用のワインは樫樽で自然発酵を待ち、熟成するまで寝かせ、出来上がったワインを瓶詰し、さらに数年〜数十年寝かせるそうです。 地下貯蔵庫は、地下30m〜80mにあり、「150万本のビンテージワイン」と「貯蔵所の総距離200km」が、2005年ギネスブックに登録されました。 きれいなガイドさんの説明を受けました。 巨大なワイン貯蔵所を見学した後、地下の貯蔵所の中で音楽の生演奏を聞きながら、7種類のワインを試飲して昼食を楽しみました。 お土産に高級ワインを貰って大満足で「ミレスチー・ミーチワイナリー」を後にしました。 ◎ ワイナリーで聞いた演奏 オルヘイ・ベッキ 食後1時間半をかけてオルヘイ・ベッキへ移動し、旧オルヘイの洞窟修道院を観光しました。 ここでは10世紀頃から修道士が断崖絶壁に洞穴を掘って、祈りの場としていました。 ソ連時代には閉鎖されましたが、近年、再び修道士が戻り、隠居生活を送りながら祈りを捧げています。 麓のブイチェニ村(人口300人)を散歩していると、枝もたわわにチェリー、アプリコット、クルミ、桑の実などが実っていました。 モルドバのクルミの輸出量はフランスに次いで世界で2位だそうです。 トレブジェニ村 人口700人のトレブジェニ村で夕食になりました。 食後、村の子供達による「花いちもんめ」のような歌と踊りを楽しみ、若者たちとも交流しました。 ◎ 子供達の歌 モルドバはヨーロッパで最貧国という事でしたが、とても豊かに見えました。 農業国の本当の豊かさはGDPでは表せないのかも知れませんね。 旅の終わりに キシナウを出発してモルドバ国際空港からアエロフロートロシア航空Airbus A320で、モスクワ・シェレメチェボ空港へ。 そしてAirbus330-300に乗り継いで帰国の途につきました。 一抹の不安を抱いて出発しましたが、念願の「キエフの大きな門」に対面することができ、また、平和なベラルーシ・ウクライナ・モルドバで多くの美人に出会い、美味しいワインを飲めた素晴らしい旅行でした。
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