81歳を越えていよいよこれが最後の海外旅行かなと思いながらスペイン旅行に出かけました。 スペインと言えばガウディのサグラダ・ファミリアなど有名な観光地が沢山ありますが、私の頭の中には名曲「アルハンブラの思い出」が自然に浮かんできました。 今回の旅行記でも「食レポ」をしてみたいと思います。 スペインの人口は約4800万人、広さは50万平方キロ。 日本の広さが38万平方キロですから、日本よりちょっと広いですね。 スペインの国旗はサッカーの試合でお馴染みですね。 国王はフェリペ6世、首相はペドロ・サンチェスでスペイン社会労働党の書記長です。 首都はマドリッドで、外務省から危険情報は出ていません。 EU第4位の経済大国であるスペインでは、観光業が経済を牽引していて意外と景気がいいそうです。 これぐらいの事前勉強で、スペイン旅行に出かけましょう。 1日目 旅の初めに 羽田の第3ターミナルからルフトハンザ・ドイツ航空LH0715号機(エアバスA321−900)で出発。 ルフトハンザに乗るのは初めてです。 いきなり驚きました。 いつもヨーロッパ方面に出かけるのに西側に向かって行きますが、今回は東側に向かい、千島列島沖を北上し、アラスカ・カナダ・北極海上空を経て、グリーンランドからノルウェイそしてドイツのミュンヘン空港に到達します。 ロシアのウクライナ侵攻に伴いロシア上空を通れないからだそうです。 14時間20分のフライトの後、17:00乗り換え地のミュンヘンに到着。ミュンヘンで入国審査を受けました。 ドイツからスペインへの移動はEU域内のローカルな移動になり比較的簡単に済みました。 ミュンヘンからルフトハンザ・ドイツ航空のLH1818号機(A321−200)に乗り換えて19:25出発。 2時間5分のフライトの後21:30バルセロナに到着。 スペインはサマータイム中だったので日本との時差は7時間です。 今回の旅行はスペインを一筆書きにぐるっと一周します。 2日目バルセロナ バルセロナはピレネー山脈に近いスペイン北部、カタルーニャ地方の州都ですが、カタルーニャ州は交通の要衝として古代から栄えてきました。 独自の歴史・伝統・習慣・言語を持ち、2017年にはカタルーニャ共和国として独立宣言が行われました。 ただしスペイン中央政府から独立は認められていない現状です。 朝日に輝くサグラダファミリアは神々しい雰囲気に溢れています。 サグラダファミリアはもの凄い人気でなかなか中に入れない状態ですが、幸いにも教会内に入ることが出来ました。 日本人の外尾悦郎氏が40年以上石工として彫刻をするとともに教会の重要部分の設計にあたっています。 サグラダ・ファミリアは、2026年には完成すると言われていましたが、コロナと資金難のためまだまだ完成は先になりそうです。 ガウディはキューバ貿易や繊維業で財を成した実業家のグエル氏の支援を得ていろいろ建築しています。 グエル公園は、グエル氏が頼んだ別荘でしたが、残念ながら未完成で終わってしまいました。公園は波のベンチ、タイル装飾やモザイク大トカゲなどで有名です。 ガウディは若い頃から天才か??かと言われれていましたが、晩年には工房にこもってサグラダファミリアの完成に全力を注いでいました。1926年、ミサに向かう途中段差に躓き転倒し、そこに通りかかった路面電車に轢かれ、浮浪者と間違われたため手当てが遅れ入院先の病院で死去しました。(73歳没) 遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されています。 タラゴナのラス・ファレラス水道橋 バスで1時間30分、約100km移動してタラゴナに世界遺産のラス・ファレラス水道橋に到来しました。 この水道橋はタラゴナの北にあるフランコリ川からタラゴナまで水を供給するためにローマ帝国時代の西暦1世紀頃に造られた水道橋で、短い建築期間で完成したので「悪魔の橋」と呼ばれていたそうです。 橋の上には幅1mの水路があり、今でも堂々とした姿を見せてくれます。 バレンシアへ タラゴナから約4時間 約250km走ってバレンシアへ。 バレンシアと言えば、バレンシアオレンジを思い出しますが、このオレンジの産地はカリフォルニアだそうですが、スペインのバレンシアの名前を借用したそうです。 勿論スペインのバレンシアもオレンジの名産地です。 バレンシアは火祭りやトマト祭りなどで有名です。またラ・ロンハ、ゴンサーレス・マルティ国立陶器・装飾芸術博物館、バレンシア大聖堂などがありますが一泊のみで通過させていただきます。 3日目 ラ・マンチャ地方 ラマンチャはマドリードの南に広がる平原で、風が強く標高の高い地域で、アラビア語で「乾いた土地」という意味で、セルバンテスの「ドン・キホーテ」の舞台になっています。 「ドン・キホーテ」の原作は騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった男が、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語で、1600年代の初め頃の作品です。 松本幸四郎の「ラマンチャの男」が有名でしたが、最近では安売りスーパーの王者が圧倒的に有名ですね。 さて、現代の風車を通り過ぎお目当てのコンスエグラ・カルデリの丘の風車に到着しました。 丘の麓の食堂で昼食を摂りました。 サラダに続いてメインはローストポークでデザートはプリンの上にサフランを振りかけたものでした。 グラナダのフラメンコ 約4時間30分走って地中海に面したアンダルシア地方のグラナダに到着。 ホテルでの夕食後、フラメンコショーを鑑賞しホテルへは深夜にお帰り。スペインは夜更かしの国だそうです。 スペインで有名なフラメンコと言えばセビリアとグラナダです。 グラナダのフラメンコはロマ(ジプシー)の踊りを基に地元の踊りが組み合わされて今に至っているということでした。 「洞窟」という店でかぶりつきでショーを見ましたが、踊り子さんが汗びっしょりになって足元の板を踏んで鳴らす音が迫力ありすぎて驚くとともに、足を痛めないかと心配になりました。 フラメンコギターも熱のこもった演奏を行っていました。 フラメンコ・ギター演奏 フラメンコ・歌と踊り 4日目 アルハンブラ宮殿 グラナダでは世界遺産のアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ庭園を観光しました。 アルハンブラ宮殿はイベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のイスラムの政権下で増築されました。 アルハンブラは「赤い城」という意味でスルタン(王)の居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもありました。 その後、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)によってイスラムの建築物は壊されましたが、アルハンブラ宮殿だけがその美しさのため破壊されることなく残され、現在もスペイン屈指の世界遺産になっています。 フェリペ6世とレティシア王妃の看板が立っていました。美男美女ですね。 中庭には水路が通っていますが、この水はグラナダの町を取りまくシエラネバダ山から来ているそうです。 王の間の天井には様々な装飾が施されています。 中庭はきれいに手入れされており、外には町の様子が広がっています。 ヘネラリーフェ庭園 ヘネラリーフェはアルハンブラ宮殿から歩いて行ける距離にある離宮で、美しい庭園があります。 フランシスコ・タレガが1896年に作曲したギター独奏のための小作品「アルハンブラの思い出」はこのヘネラリーフェ庭園で着想したということです。 私はトレモロが美しいこの曲が子供の頃から大好きでした。そして今、ここが思い出の地なのだと納得しました。
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スペインぐるっと一周
2024.10.22〜10.29 (前編)