『イランカラプテ』 農夫16年を振り返って「農業を一言で」と問われるなら、迷わず『イランカラプテ』と言いたいですね。 アイヌの言葉で「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という挨拶・気遣い・こころ配りの言葉。 種をまく前の畑の準備は耕運機での深耕(なるべく深く耕す)、肥料の散布と撹拌、整地、マルチ掛けなどですが、住み着いているミミズやケラを傷つけているだろう。 (福寿草) 次に種まき。 武骨な指で小さな種を蒔きながら、小さな芽を出し虫に害されながらも大きく成長する野菜たちへの思い! 成長過程で数回やる間引きと除草、除虫。 除草も心痛む時。雑草も懸命に生きているのに、人間の都合で成長途中の生命を断ち切るのだから・・・ 楽農夫は農薬を原則使わない。 発生した虫は手で除去しているが、これも人間の勝手で殺しているのである。 仏教では「不殺生戒」があり、「生きとし生けるものの幸せを祈る」ように教えられているが、やっていることは殺生ばかりなのです。 『無駄な殺生はしてはいけない』のが不殺生戒の本旨とは理解しているものの、命を奪っているのは事実ですから、心を痛めながらの作業になります。 最後の収穫。 成長を終えた野菜たちは必ず後継を作る準備をしますが、結実した物=後継者を人間が食べる(殺す)のです。 特に実野菜は生命の塊そのもの。これを食しているのです。 こんなことごとに思いを致しながらの楽農夫ですから、農業の終始を通しての心情は『イランカラプテ』なのです。 ですから種を蒔いた物はなるべく食するようにしています。秋の収穫を終えると我が家の食糧倉庫はジャガイモ、玉ねぎ、にんにく、ニンジン、山芋、かぼちゃ、5種類のジャム(ルバーブ、ブルーベリー、ハスカップ、イチゴ、アロニア)、3種の豆などで満杯になります。 「イランカラプテ」の心情は畑休みの冬も変わりません。 (ブルーベリー) 〈閑話休題〉 摩周湖の近く屈斜路湖畔に『モシリ』というアイヌ歌舞団があり、世界的に活動しています。 10数年前、最初にこの歌舞に接したときの感動は忘れられません。 「お客さんのために歌い舞うのではなく、自然と先祖への供養のためにやっているアイヌの毎日の儀式。お客さんがなくても同じです」と説明された。 いろいろのところからオファーがあるらしいが、「見世物ではない」とのプリンシプル(原則)は絶対に譲れないとの主宰者のつぶやきは千金の重みがあった。 さて、楽農夫・婦の楽しみは畑ばかりではありません。 1400坪の雑木の山は山菜、花、シタケ、木陰を作ってくれますし、防風役もしてくれます。 早春の山はフキノトウからはじまり、イラクサ、ヨモギ、フキ、アイヌネギ、こごみ、山ウド、タラの芽、などこの地で採れるほとんどの山菜を提供してくれるのです。 摘みたてはテンプラ、味噌汁の具に、またアイヌネギやウドは醤油ダシ漬けにして一年中味わいます。 池周りの水辺はクレソン、セリの場所。 木陰は休憩場所(昼食場所。ときどきジンギスカンやテンプラパーテイをします)だけでなく、シイタケ原木の置き場を提供します。 (乾燥中のニンニク) 山の木はダテカンバ(白樺そっくりの木)、ミズナラ、エゾ山桜、エゾ松、ヤチダモ、コブシなどの雑木ですが、下草には多種の野花があり、それぞれの立姿・花は心安らぐ場を与えてくれます。 山で忘れてはならない楽しみは小鳥や小動物たちです。 小鳥たちが餌箱の餌をねだってくれるのはうれしいことです。 時々はリス(シマリスとエゾリス)も来てくれますし、キツネは夜徘徊しているらしく、渡り鳥と思われる珍しい鳥を見かけるのは秋。 春は池にカモが来てくれます。 (保存する3種の豆) 畑に遊び、山の恵みを受け、来し方と汚れた心を反省する楽農園は第二の人生を限りなく豊かにしてくれています。 スイスの心理学者ユングは『幸せになるための条件』として@健康 A自分がこれでいいと思うぐらいのお金 B人間関係 C美しいものが分かる能力 D朝起きた時、しなくてはいけないことを何か持っていること E人生の障害にぶつかった時、それを解決できる能力 の6つを挙げていますが、農園遊びにはすべてが関わっていると思っています。 いつも気にかかる殺生には白隠禅師の草取り歌『弥陀の名号百万遍も 心ちらさぬ為としれ。 心ちらさにゃそれこそ浄土 勢至観音わきだちに」を口ずさみながら、もうしばらく農夫を楽しむ所存です。 (完)
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1区隊
北辺の農夫 川尻隆夫
楽農夫の独り言 C 完